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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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刎石堀切 (安中市松井田町坂本)  

◆大道寺駿河守政繁の碓氷峠の悪あがき◆

真田パパ幸の思惑は外れ、「徳川内野聖陽家康とゆかいな仲間たち」は事もあろうに北条高島氏政と和睦してしまった・・(汗)

ドラマでは、堺信繁が小諸城と碓氷峠の兵站補給を遮断するよう進言し策が採用されているが、ここで残念ながら脚本から割愛された武将が二名ほどいる。パパ幸を徳川方に引き入れる調略をした依田信蕃と、北条方の小諸城将として松井田城より赴任していた大道寺駿河守政繁である。

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依田信蕃が信濃において初めての大名の地位となるまであと一歩の夢を絶たれ討死した岩尾城。(佐久市 長野県指定史跡)

徳川家康の天正壬午の乱における対北条戦の圧倒的に不利な戦いを五分五分まで挽回出来たのは、依田信蕃の功績が一番で、その信蕃の調略に応じた真田パパ幸が二番であろう。
※依田信蕃の生涯については岩尾城を参照願います。

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松井田城遠景(2009年6月撮影)

さて、肝心の大道寺家であるが、後北条氏の宿老として代々仕え、政繁のパパ重興(異説あり)の代から関東七名城の一つである川越城代を任されていたという。父の跡を継いだ政繁は氏綱、氏政、氏直の三代に仕え、名だたる合戦には参戦し数々の武功を挙げたという。

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松井田城の安中郭に建つ大道寺政繁の記念碑。(2009年6月撮影)

天正十年六月、信長が本能寺で横死すると、東国では武田遺領をめぐり上杉vs北条vs徳川の争奪戦が始まる。(天正壬午の乱)
上野国に侵入した北条氏直は、織田方の将である滝川一益を神流川の戦いで破ると信濃との境に位置する重要拠点の松井田城の城代として大道寺政繁を任命し、そのまま信濃に進駐。小諸城を拠点として圧倒的な軍事力を背景に佐久・小県の国衆を降し北信濃に進出していた上杉景勝と決着を着けるべく対峙。

小諸城 (16)
天正壬午の乱で、北条軍の信濃侵攻の拠点だった小諸城。大導寺政繁が城代に任命されていたという。(写真は三の門)」

だが、上杉方の海津城代だった春日信達の北条方への内通が露見し景勝により成敗されると、氏直は上杉方との決戦を回避し甲斐へ進駐していた徳川家康の排除に向かう。

北条との兵力差では絶体絶命の徳川軍であったが、依田信蕃の進言により真田昌幸を北条方より寝返らせ、碓氷峠を越えて伸びる北条軍の兵站補給の遮断に成功すると息を吹き返し、佐久の国衆は依田・真田の勧誘工作で徳川に寝返り、甲斐の緒戦では北条方に勝利し、氏直は和睦せざるを得ない状態に陥ったのである。
この時北条方の信濃の拠点であった小諸城には大道寺政繁が残り、指揮を執っていたと伝わる。

さて、真田丸の復習はそれくらいにして(笑)、松井田城代の大道寺駿河守政繁が築いたという「刎石堀切(はねいしほりきり)」をご案内しよう。

刎石堀切 (2)
坂本宿側から見た碓氷峠の登り口と刎石山。あの険しい山の尾根伝いに峠道が通っている。ここからの比高差は300m。

【立地】

旧中山道の坂本宿から碓氷峠に入り、群馬県と長野県の県境にある熊野神社へ向かう途中で、刎石山(標高810m)と栗ヶ原との鞍部に立地する。坂本宿から登ると旧国道18号線の東屋の脇に中山道の峠道への入口があり、愛宕山城と堂峰番所が守っている。

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堂峰番所跡。ここから北東の尾根筋に愛宕山城がある。

刎石堀切 (7)
堂峰番所から登ると刎石坂の手前に「覗」(のぞき)という場所があり、坂本宿を一望出来る。ここで一休み。俳人の小林一茶はここで「坂本や袂(たもと)の下の夕ひばり」と詠んだという。

堂峰番所を過ぎてしばらくすると碓氷峠の最大の難所と言われた刎石坂(はねいしざか)の急坂があり、登り切る場所に弘法の井戸、その先に刎石茶屋跡がある。この辺りからは平坦な道となり、途中には東山道時代の碓氷坂の関所推定地とされる場所に東屋が立つ。そこから10分ほど下り鞍部に出た場所が堀切跡である。

刎石堀切 (59)
碓氷峠の最大の難所と云われた刎石坂。

刎石堀切 (10)
茶屋跡。嘗ては四軒の茶屋で賑わっていたという。

刎石堀切 (12)
茶屋の先に進むと「碓氷坂の関所」推定地がある。899年に東山道の関所が置かれたという。

刎石堀切 (18)
刎石山の尾根伝いの平坦な峠道をひたすら歩く。この先で猿軍団(または秀吉軍?)と遭遇し焦ったが何とか通してもらう・・・(汗)

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こんな感じの現地状況図。


【堀切の設営】

天正十七年(1590)、秀吉による小田原攻めが全国の諸大名に発令されると、北条家家臣で松井田城代の大道寺駿河守政繁は、東山道を攻め上がる北国・信濃勢(前田・上杉・真田・松平・小笠原)を阻止する為に碓氷峠の刎石に堀切を穿ちこれに備えた。
同年三月、前田利家を総大将とする豊臣軍35,000は碓氷峠に向かう。松井田城の大道寺駿河守政繁はこれを迎撃せんと刎石の堀切付近に展開するが、予想以上の寄せ手の大軍勢に驚愕し慌てて撤兵し、松井田城での籠城に作戦を切り替えたという。

刎石堀切 (20)
堀切の手前200mぐらいからは峠道を挟むような地形。伏兵を置き上から攻撃出来そうだ。

刎石堀切 (22)
堀切手前100m地点。上から攻撃されれば反対側は急斜面なので逃げ道が無い。

刎石堀切 (26)
堀切手前50m。両サイドのコブを利用して挟撃が可能だ。

【堀切跡】

幅数メートルの岩の細尾根に続く鞍部の平坦地を両側を削って幅を狭くし土橋に加工してある。攻め手は並列から縦列に展開せざるを得なくなり、そこを守備側が道の両サイドの小山から攻撃しようと意図して造作されたものであろう。
ゲリラ戦で敵を一時的に足止めしようとしたらしいが、想像を絶する大軍に歴戦の猛将の大道寺駿河守もさすがに「無駄な抵抗」として諦めたのかもしれない。

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狭間を抜けた先の緩い下りの右カーブの先に土橋と堀切が見える。

刎石堀切 (30)
ここが「刎石堀切」(はねいしほりきり。または大道寺堀切の名も)

もっと長大で巨大な堀切かと期待していたのだが、チョッと短い。土橋など残さずにいっそ断ち切ってしまえば良かったようにも思えるのだが、時間が無かったのか人手不足だったのか、中途半端な構築で終わっている。
二、三千程度の軍勢ならば何とか時間稼ぎも出来たであろうがその10倍は想定外か・・・(笑)

刎石堀切 (31)
堀切跡には説明板が建つ。

それでも碓氷峠では怒涛の如く押し寄せる豊臣軍と迎え撃つ北条方の大道寺軍とで多少の小競り合いがあったらしいが、この程度の防御施設では支えきれなかったのであろう。

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西側の沢に向けて落ちる堀切。

刎石堀切 (41)
東側の沢に落ちる堀切は一部が杉林となっているが、往時はもちろん何もなかったはずである。

この峠道を前田利家、上杉景勝、真田パパ幸、松平康国(戦死した依田信繁の嫡男で小諸城主)、小笠原貞慶らの北陸勢・信濃勢三万五千の大軍が威風堂々と行軍していたかと思うと鳥肌(チキンスキンとも・・・・笑)ものである。
二列縦隊で通ったとしても全軍が峠を下りるには三日三晩は要したのかもしれない。

刎石堀切 (42)
看板裏の西側の堀切の拡大写真。

刎石堀切 (50)
南東側から見た東側の堀切。尾根を大きく抉っているのが判る。

実はこののち、碓氷峠の中山道を再度大軍が通る事があった。そう、慶長五年(1600)、関ヶ原の戦いに向かう徳川秀忠率いる徳川軍の主力部隊でその数は三万八千であったと伝わる。
第二次上田合戦の伏線となった碓氷峠越えが、真田丸ではどのように描かれるのか楽しみであるが、案外一瞬でワープすると思われる・・・・吉田剛太郎の本能寺の変なんて瞬殺でしたもの・・・・(笑)

刎石堀切 (34)
堀切の北側の通路は痩せた岩尾根を縫うように栗ヶ原に続いていた。

それにしても、たかがこれだけの遺構の為に往復6kmの碓氷峠の中山道を歩くヤツがいるだろうか?

最近では、同業者の富岡武蔵さんが徘徊したと聞き及び、あのお方ならそのまま軽井沢町の熊野神社まで走破する比類なき偉業を達成したと思われる・・・最近ご無沙汰しているが、本人に聞いてみたいものである・・・(笑)


≪刎石堀切≫ (はねいしほりきり 大道寺堀切)

標高:780m 比高:300m
築造年代:天正十六年~十七年
築造者:大道寺駿河守政繁
場所:安中市松井田町坂本刎石山
訪問日:2016年3月6日 
お勧め度:★★☆☆☆ 
堀切跡までの所要時間:片道70分 駐車場:無し(東屋の脇に路駐)
見どころ:大堀切とその周辺の陣地遺構
注意事項①猿軍団(秀吉とウザい仲間たち)と遭遇したら目を合わせることなくひたすら進む。決して威嚇してはいけない。②刎石坂付近では落石に注意。装備はトレッキングと同じレベルで登山ステッキか登山用のポールがあれば楽です。
参考文献:「信濃をめぐる境目の山城と館」(宮坂武男著 2015年 戎光祥出版)
付近の城址:愛宕山城、坂本城、虚空蔵山狼煙台、堂峰番所など

刎石堀切 (73)
東屋の観光案内板の地図ではそれほどの大変さは伝わらない。

刎石堀切 (79)
旧中山道碓氷峠の安見絵図には「ほりきり」と書かれており、刎石坂は「はんねいし」と表記され箱根よりも難所と書かれている。

さあ、あなたも吟遊詩人となり、中山道は碓氷の峠道を歩いてみましょう。自分探しの旅はここから始まる・・・・(笑)











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Posted on 2016/03/12 Sat. 21:49 [edit]

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