らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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室賀氏墓所 (上田市上室賀)  

◆室賀ロスはいつまで続くのか・・◆

上半期の真田丸的流行語大賞は「黙れ、こわっぱ!!」で決まりでしょう・・・(笑)

しかし、もうそのセリフが聞けないのはとても残念。そんなムロガーロス状態の貴方のために室賀氏の墓所をご紹介。

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五百年前、室賀盛清によって開かれたという前松寺。三度の火災で焼失するも住職や寺の檀徒によって再興され今日に至る。

真田昌幸によって室賀氏当主の正武が謀殺されると、室賀氏の領地は真田の領土として併呑された。これにより小県郡は全て真田領として統一されたのである。

この時より室賀一族は真田氏に仕えるもの、徳川を頼って甲斐に落ち延びたもの(のちに旗本に取り立てられた)等分かれたとされる。
現在の室賀地区には室賀家は存在しない。信之の松代移封に伴い、松代へ移住したようである。
※上田市の富士山には室賀姓が残っているが、正武の正室の実家だとされるが、定かではない。

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室賀氏の史跡保存の為に110年ぶりに整備された室賀氏の墓所。地元の方の熱意には頭が下がります。

実は、室賀氏の墳墓は前松寺ではなく、毘沙門堂の旧地(所在不明)にあったものを、江戸時代に徳川の幕臣となった室賀氏が佐渡奉行から役替えの帰り道に先祖の墓参りをした際に、村で前松寺の裏山に移し祀ったとされている。

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宝篋印塔、五輪塔など五基が村人の努力により現地に現存する。

地元の郷土史研究家の西沢氏によれば、笹洞城も室賀氏の墳墓も原畑城(室賀氏居館)からは鬼門(北東)に位置しているので、鬼門除けだろうとしている。
それが事実だとすると、笹洞城の大手は南尾根であり、室賀水上神社からの道は鬼門となり大手筋とは考えられない事になる。

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重厚な山門。地元出身の佐藤清五郎の作といわれる彫刻も残っている。

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神社仏閣の趣味には100年早いようだが、竜の「阿吽」彫刻はこれなんだろうなあー、とは一応分かるような気がする・・(汗)

室賀氏の家紋は「丸に上」で、主家である村上氏と同じである。(分流の屋代氏も同じ)

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本堂の屋根には家紋が記され、室賀氏が開基である事を物語っている。

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室賀氏の墓所は寺の裏山にある。(誘導看板あり)

前松寺より、笹洞城のあった下洞山を見ると、結構険しいのがわかる。

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天文二十二年、武田信玄の小県侵攻に際し、村上方であった室賀氏は屋代氏と共に村上義清を見限り、武田方に降る。退路を断たれる危険を察知した義清は葛尾城を諦めて越後に退去した。

真田パパ幸に謀殺された室賀正武の墓所は今もって不明である。平山優センセも探索されているようであるが、全くもって分からない。郷土史研究家で室賀墓所の改修に携わった西沢氏ですら、わからないとの仰せである。

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前松寺の本堂。


≪室賀氏墓所≫

標高:620m 比高:20m
築城年代:不明
築城者・城主:室賀氏
場所:上田市上室賀
訪問日:2015年3月
お勧め度:★☆☆☆☆ 
所要時間:3分
見どころ:特になし
周辺の城跡:原畑城、伊勢崎城、跡部城、三水城、狐落城、浦野城、岡城など
注意事項:特になし

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Posted on 2016/03/25 Fri. 23:19 [edit]

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