らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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雨戸屋城 (松本市五常)  

◆往来の盛んな明科口と会田領の街道である五本峠を押さえた砦◆

毎年の事ながら、四月の声を聞けば「山城踏査のトップシーズン終了間近!!」に色めき立ち焦りまくるのである。

だからこそ綿密な計画を立てて、それに基づいて淡々とスケジュールをこなせればよいのだが、基本的に「屋外授業」なので、冬将軍の退却時期がずれたり、お天道様の機嫌が悪いと場所によっては留年する事態となる・・・(汗)

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北信濃の飯山地方は甲越紛争の激戦区で城砦も多く残っているが、豪雪地帯ゆえに観察出来るトップシーズンは短い。

昨日は、そんな飯山地方に最後のチャンスとばかり出掛けて、未だ訪問出来ていない城を巡ってきた。Web公開は来年かも(笑)

今回ご案内するのは先週の日曜日に松本市の険しい林道を上って仕入れてきた「雨戸屋城」(あめとやじょう)。

雨戸屋城 (4)
五本峠から東の尾根伝いに登るのが簡単で分かり易い。

【立地】

善光寺街道の会田宿のある岩井堂沢の西側の西ノ宮地区の後背の山尾根上にあり、五本峠の東側に位置する。五本峠は鬼落、沢村の集落を経て、明科の北東にある潮沢に通じ、ここから直接岩井堂沢にも繋がる。眺望にも優れていて、眼下の笹ヶ城、西側の鍋山城砦など、この地区の城砦群は広範囲で見渡すことが出来る。

雨戸屋城 (5)
尾根伝いに歩くと忽然と火の見櫓が現れてビックリ!!周辺には廃屋となった民家が点在するので最近まで使われていたか?

雨戸屋城 (6)
馬頭観音が多く点在するのは古くから生活道路として使われてきた証である。

雨戸屋城 (7)
城域へは尾根伝いにアップダウンで進む。(生活道路は右側の下を通っている。

【城主・城歴】

「信府統記」に「雨とや山ノ古城地 会田村ヨリ亥ノ方三十町十六間、本城ノ平東西五間、南北十間 南向ノ城なり、是仁科口押執出(とりで)ナリ、会田氏ノ家人小玉民部ト云フ者アリ、此城ヲ守リケルニヤ、甲州ヘ属セシ時ノ朱印感状等モ、其末孫金蔵、金右衛門、兵右衛門ナト云フ者、後マテ此所ニアリ、嫡孫ハ今ハ川中島ニ小玉何某トテアリ、彼御朱印感状等持伝フルト云々」とある。
会田氏の部下の守る砦の一つであったらしい。

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「信濃の山城と館④」の宮坂武男氏によれば三つの峯から成る砦だが、郭2と郭3は城外と考えても良いという。

【城跡】

宮坂武男氏が指摘している通り、縄張図の郭3~土橋~郭2を城域と見るかは難しい。郭1は主郭の前後を堀切で断ち切る厳重な防御を敷いているが、郭2も郭3も地山(自然地形)と言われれば、土橋以外に堀切も無いので城外かもしれない。

雨戸屋城 (12)
堡塁のような郭3。頂上の標柱は城跡ではなく、「地滑り指定」の標柱だった・・(汗)

雨戸屋城 (16)
郭3を下った先の土橋。これは人工的に加工された跡というのが分かる。

雨戸屋城 (18)
郭2手前のコブには祠がある。(祭神不明)

雨戸屋城 (20)
郭2(55×10)。兵の駐屯地もしくは見張用の掘立小屋が置かれたのかもしれない。充分な広さは確保されている。

【城の中心部】

前回掲載した鍋山城砦が自然地形の地山に近い砦だったのに対して、雨戸屋城はキチンと縄張された砦で、主郭の前後に加工度の高い堀切を穿っている。南の会田川を挟んだ対岸の笹沢城と共に会田領の南の防衛ラインとして重要視されたものであろう。

雨戸屋城 (23)
郭2から緩い尾根を下り鞍部から立ち上がる先が主要部となる。

雨戸屋城 (29)
鞍部の立ち上がり最初の堀切㋐。

雨戸屋城 (25)
北の沢に竪堀となる堀切㋐。結構真面目な土木工事が施されている。

雨戸屋城 (30)
主郭の手前は落差のある二重堀切で厳重に防御している。

主郭は19×8の楕円形で周囲には土塁等の痕跡は確認出来ない。東斜面には一条の横堀を入れているが、特筆すべきはそこに更に竪堀を追加普請している事であろう。
ここを敵が制圧すると、本城のある岩井堂沢までは至近距離であるため、会田氏も縄張を強化したものと思われる。

雨戸屋城 (33)
堀切㋑と㋒は南側の沢で合流している。

雨戸屋城 (38)
それほど広くはないが、眺望に優れていたであろう主郭。

雨戸屋城 (40)
主郭の東側の堀切。横堀+竪堀の合わせ技である。

雨戸屋城 (41)
この組み合わせは武田統治時代の改修かもしれない。

雨戸屋城 (42)
南斜面に続く横堀。

小さいながらも二重堀切や横堀+竪堀の防御施設を整えた砦である。
西ノ宮集落からの大手を考えるが、西尾根の五本峠に備えている縄張なので岩井堂沢方面が大手で、ヨシガ沢や鬼落といった集落の住人が交代で物見番を命じられたと推察される。

雨戸屋城 (51)
会田虚空蔵山城にも直接連絡が取れる位置なのが実感できる。

【雨戸屋城】 (あめとやじょう)

標高:869.5m 比高:260m (県道より)
築城年代:不明
築城者・居住者:小玉氏
場所:松本市五常
訪問日:2016年3月27日
お勧め度:★★☆☆☆ 
所要時間:15分 (林道脇より)
見どころ:二重堀切、横堀+竪堀など
周辺の城跡:鍋山城砦、笹ヶ城、笹沢城、会田虚空蔵山城砦群
注意事項:険しい林道を経由するので軽自動車の四駆でないと無理。徒歩でも訪問出来るが遠いので覚悟が必要。
参考文献:「信濃をめぐる境目の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)

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Posted on 2016/04/03 Sun. 22:01 [edit]

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