らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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山城探訪トップシーズンのラストスパート  

◆新緑に覆われる前に・・・一か所でも多く・・・◆

中世城郭研究者の達人に言わせると、山城探訪に「トップシーズン」などはあり得ないという。果たして本当にそうだろうか?

草木が生い茂る真夏に山城を訪問しても経験値は増えるだろうが正直言って楽しくない。遺構の魅力も半減以下である。

人それぞれの考え方があるので否定するつもりはないが、山城探訪の魅力的なシーズンは断トツで「晩秋~春先」だと思う。

旭山城201404 (92)
甲越紛争で有名な旭山城の主郭(2014.4.12撮影)。破城で虎口が崩されている事を知る人は少ない。

旭山城跡 014
チョッとアングルは違うが同じ旭山城の主郭(2010..6.20撮影)。周囲の土塁も緑に埋没している。

4月と6月の僅か2ヶ月でこんなに変わるのである。城跡から見える景色も新緑に阻まれてどんどん狭くなるのである・・(汗)

これが豪雪地帯(飯山以北・信濃町・小谷村・白馬村など)であれば、トップシーズンはもっと短くて短期決戦必死となる・・(笑)

さて、シロウトに毛が生えた程度の小生が新緑前の「悪あがき」として最近攻め込んだ先をご紹介したい。

「早く記事にすれば?」と仰せの方も多いが、未だ記事に出来ない在庫が300以上あるので何時になるか不透明だ・・・(爆)


【とんば城】(飯山市)

甲越合戦の頃に、武田信玄が松原湖の諏訪神社に「奥信濃の亀蔵城の10日以内の自落退散」の願文を奉納している(永禄三年)。この時の城がこの「とんば城」ではないかと伝わるが、確かに要害の地にはあるが、プアすぎる。が、ロケーションは最高だ。

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城域入口にある唯一の堀切。

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とんば城の主郭。

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静間地区と対岸の岩井城も見渡せる。

【小境城】(飯山市)

この城、戸狩スキー場にある北条城の隣にある山城なのだが、外郭の西側を恐ろしく長大な竪堀が斜面を下り、主郭の背後は深く険しい五連の堀切で刻まれている。南東尾根に城館が置かれ臨戦態勢バッチリの山城である。

小境城(飯山市) (14)
何処までも続く竪堀。

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垂直に近い主郭背後の堀切。

小境城(飯山市) (72)
五連の大堀切で最も堀底の広い四番目。天水溜も備えている。

小境城(飯山市) (108)
南東尾根の居館郭。臨戦時はこの郭で指示したのであろうか。


【後谷城】(飯山市)

斑尾山の東尾根を流れる清川の渓谷の突き出た尾根上にある。まとまりのある縄張で、竪堀と横堀の組み合わせを利用していることから戦国末期まで使われたと考えられている。

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鋭角な堀切。

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高低差を有効に利用した主郭手前の二重堀切。

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主郭の西斜面は竪堀と横堀を組合わせた新しい技法の堀切が守っている。


【中小屋城】(飯山市)

戦国末期まで現役として使われたであろう「中条城・累城」と隣接しているが、初期段階でその役目を終えたと思われる在地土豪の城である。背後の巨大な堀切のみで大雑把な作りである。

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郭の切岸は鋭利だ。

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背後の堀切は最大上巾15m。


【上境城】(飯山市)

千曲川の対岸は武田に与して奮戦する武田方の市河氏の本拠地となった野沢温泉である。千曲川に突き出る半島を利用した境目の城だが、主郭背後の巨大な二重堀切は「中条城・累城」や「仙当城」に匹敵する巨大な造作物であり一見の価値がある。

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長大な堀切の先には千曲川が見える。

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こんな山の中でこんな巨大な堀切が見れるのは素晴らしい。

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主郭と郭2の間の切岸。


【三才山砦】(松本市)

いつか行かねば・・・と思いつつその険しさ故に素通り・・・今回は気合入れて登った・・・(笑)
赤沢氏の居城である稲倉城(しなぐらじょう)の東の抑えとして一族の赤沢主膳が守ったという。地元の方に聞いたが案の定、城までの道など既に消えていて無いという。尾根まで地獄の直登だったことは言うまでも無い(汗)

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比高310mはハンパ無い・・・

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その昔、城跡には秋葉様が勧進されいて子供たちが毎年祭りの為に登ったらしいというが、恐ろしい体力である。

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主郭手前の横堀。


【覆盆子城】(いちごじょう 召田城)(松本市四賀)

いつでも行けると思いつつ通過していたが、ようやくその気になって訪問してみた。

天正壬午の乱で上杉方となった会田岩下氏が、徳川の支援で復帰した小笠原貞慶に攻められ落城した最後の城である。屈強な会田虚空蔵山城の砦群で何故に籠城しなかったのか?という疑問が常に頭をよぎるが、隣接する筑北の青柳城主の青柳頼長は既に小笠原貞慶と誼を通じていたとすれば合点がゆく。
急ごしらえの砦で防戦しつつ海津城の上杉方の援軍を待ったが、結局見捨てられ会田岩下氏は滅亡した。

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主郭。倒れていた年代物の標柱を立て直す。

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北尾根の二重堀切の跡。急いで作ったらしく不完全。

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落城後、会田岩下氏主従は山の尾根伝いに青木村まで逃げるが追い詰められて十観山で自害したと伝わる。


【中の小屋】(松本市中川)

会田岩下氏の青木村への逃避行ルート上にある砦の探索に向かった。
鉄塔の刺さる場所なので、保安道があると思い込んでトライしたが、遭難の危険を感じて今回は撤収した・・(汗)

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矢久の浄水場から沢沿いに奥へかなり進む。

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どうやらこの山の上のようだが、川と藪に阻まれて今回は断念した。

「こんな山奥で死んではいけない・・・」 このことであった・・・・(笑)


さて、ゴールデンウィーク明けまでが信濃の山城トップシーズン最後の勝負。

「安全は全てに優先する」   皆さんもお気をつけてお出かけして楽しんでくださいネ。
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Posted on 2016/04/12 Tue. 07:38 [edit]

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