らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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柏尾館 (飯山市瑞穂柏尾)  

◆柏尾ノ備中守殿が住んだとされる居館跡◆

そろそろ「らんまる城館ぶらり旅」と改名したほうが良さそうである・・・(笑)

だって山城の縄張図と居館の縄張図でどっちが簡単?って聞かれたら、そりゃあそうでしょう。

今回ご案内するのは先日掲載した大倉崎館から北東約1kmの場所にある「柏尾館」(かしおやかた)。

柏尾館 (1)
南東隅より撮影した居館跡。

【立地】

千曲川の右岸の柏尾集落に位置し東の丘陵を越えると野沢温泉村である。南約3kmには犬飼館があり、修験者の霊場として賑わった小菅山の入口を抑える場所でもある。ここからは対岸の様子が一望できる。

柏尾館見取図①
ほぼ全周する形で土塁が残っているのは貴重だという。

【館主・館歴】

明徳三年(1392)、高梨朝高の史料に「柏尾郷」が高梨領とみえ、「柏尾南館」の館主は「柏尾備中守殿」という記述のあるところから、高梨一族の備中守と呼ばれる人物が居住していたことが考えられる。
越後の上杉氏と甲斐の武田氏との対立が激しくなる十六世紀の半ばになると、武田氏の勢力が当地を脅かすようになる。上杉方に協力してきた小菅一山の院坊(柏尾館の東南)などは武田方によって焼き払われた。上杉氏と親しかった高梨氏は、追い詰められて敗走した。
その後は、乱世を巧みに生き抜いた市河氏が高梨氏に替わって当地を領有し、慶長三年(1596)上杉景勝の会津移封により柏尾館は廃館になったと推定される。

柏尾館 (2)
残念ながら南側の土塁は消滅。大手口は南だったと推定されている。

柏尾館 (5)
居館東側の土塁(南東隅の土塁の上から撮影)

柏尾館 (7)
居館の内部は現在畑になっている。

【館跡】

柏尾館は南北約55m×東西約70mの方形単郭である。郭を囲む基底幅5~8m、高さ約2mの土塁が残る。かつては館の四方に築かれていたと思われるが、現状は北側と西・東側の一部に残るのみとなった。だが、これほどに土塁が残存している例は、飯山地方では他に見当たらない。郭の周囲、特に南側には約5m幅の堀跡が確認でき、立地形状等から察して水堀であったと推定される。
土塁、掘りなどの遺構を観察すると、規模こそ及ばないものの、中野の高梨居館跡を彷彿とさせる。

柏尾館 (18)
北東隅の土塁。高さは約2mある。

柏尾館 (32)
居館南側。水田に水が張られると、往時の姿が目に浮かぶようである。

柏尾館 (34)
大手口の南側より見た郭内部。

居館跡からは硯と須恵器片が出土していて、周辺には、馬繋(うまつなぎ)、的場(まとば)、馬放(うまはなし)、たてなどの地名があり、往時の歴史が伺える。

柏尾館 (24)
居館の西側の土塁と外堀跡。


≪柏尾館≫ (かしおやかた 柏尾南館)

標高:388m 比高:-
築城年代:不明
築城・居住者:高梨氏、市河氏
場所:飯山市瑞穂柏尾
攻城日:2015年6月5日
お勧め度:★★☆☆☆ 
所要時間:
駐車場:無し、路駐
見どころ:土塁、掘跡など
参考文献:「定本 北信濃の城」(1996年 郷土出版社)、「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(宮坂武男著 2014年 戎光祥出版)
注意事項:耕作地につき無断侵入禁止
付近の城跡:大倉崎館、今井館、神戸砦、犬飼館など ※東側に柏尾城という山城があるというが未確認

IMG_5611.jpg
南側より撮影した柏尾館全景。

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Posted on 2016/06/08 Wed. 11:33 [edit]

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