らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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栗田城 (長野市栗田)  

◆長野市街地中心部に奇跡的に大規模な土塁が残存する栗田氏の居館跡◆

毎年の事であるが、訳の分からないうちに八月が終わろうとしている・・・。

自分の祖先の墓参りすら覚束ない(おぼつかない)のに、神社仏閣巡りして何かご利益があるのだろうか・・疑問だ・・・(汗)

今回ご案内するのは、善光寺の国衆であり善光寺の別当だった栗田氏が上杉方を見限って武田方に寝返り、旭山城に立て籠り上杉軍と対峙。武田方はこれを援けるべく、鉄砲二百挺と応援人員を派遣し支援したという栗田氏の平地における居館跡。第二次甲越紛争(弘治元年 1555)の原因となるも、その後はパッとせず甲斐善光寺の別当として表舞台から消えた・・・。

栗田城1 (2)
水内総社日吉大神社の入口に建立された石碑。

栗田城1 (6)
神社仏閣巡りに変わったのか?と言われそうな栗田氏居館跡に立つ大鳥居。

【立地】

栗田城は、裾花川扇状地の先端地域に位置し、西高東低する中州微高地の比較的安定した地域にあり、古来よりの要衝の地でもあった。
裾花川の支流が囲むこの場所は、しばしば裾花川の洪水に見舞われ堆積を重ねてきた。この地域には裾花川の支流の古川や計濁川などが、緩やかな段丘面を幾条にも分流し、一帯に広がる水田の灌漑用水として重要な役割を果たすと同時に、本城の水濠を満たしていた。
この付近には「栗田」「岡田」「高田」「吉田」「太田」などの地名が残っている。

栗田城1 (22)
縄張りについては「長野県町村誌」は輪郭式、地元の保存会は連郭式のようだが、周囲を水堀が囲む点では一致している。

【城主・城歴】

水戸家に伝わる「水戸栗田系図」、栗田寛覚の傍注に「栗田禅師初テ信濃国栗田郷ニ居住ス。依テ本名村上ヲ止メテ在名栗田ト号ス、同国戸隠明神別当ヲ兼ヌ」とある。
この覚書が村上氏の分家で栗田氏の祖である。

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残存するL字土塁のコーナー部分に鎮座する社殿。

そもそも村上氏は799年に賜姓され、1094年に至って白河上皇に仕える殿上人(てんじょうびと)に列せられ、勅使の役を務め院に仕えていたが、権力争いに敗れ父子兄弟が諸国に配流された。そのうちの村上盛清が、信濃の更級郡村上郷に配流されたと考えられる。

栗田城1 (12)
社殿から見た南の表参道。土塁を上手く利用しているので、城の遺構とは思えない・・。

鎌倉時代には戸隠山顕光寺(現・戸隠神社)や善光寺の別当に就くなどして、里栗田・山栗田に分かれ善光寺平一帯に勢力を及ぼしていた。天文二十四年(1555)七月、第二回川中島合戦に、善光寺堂主栗田氏が「朝日の城」(現・朝日山)に入り武田方の支援を得て、ここを守り通した。この戦いの後に栗田氏は武田の武将として、善光寺衆と共に甲府に移り甲斐善光寺の別当となった。(呼称・里栗田)

栗田城1 (15)
L字土塁の内側は公園化に伴い二段に改変されている。

武田信玄没後(1573)、設楽ヶ原合戦(1575)で、織田・徳川連合軍に大敗した武田勝頼は、遠江の要である高天神城を城将岡部元信や栗田鶴寿(寛久)らに託したが、天正九年(1581)徳川軍に敗れ、鶴寿は城と運命を共にした。子の永寿(国時)は別当職を受け継いだ。

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残存する土塁の東部分の内側。

一方、在郷して上杉を頼った栗田氏は、豊臣秀吉の「上杉会津移封につき、申し付け状(慶長三年 1588)」により上杉景勝と共に会津へ移った(呼称・山栗田)
徳川家康は関ヶ原の戦い(慶長五年 1600)に勝利した。大坂方に加担した上杉景勝は一年を経ずに、会津を没収さえr米沢に移り栗田氏も同行した。
※「栗田城址を整備する会」の説明文(平成26年12月完成)より引用。

栗田城1 (20)
保存会によれば堀跡、長野県町村誌によれば副郭跡。あなたはどっち?(笑)

【城跡】

栗田氏歴代の居館跡で堀之内城とも呼ばれ、中世の平城である。裾花川支流を利用し、二重の堀を巡らした複郭式平城で、長野市では最大規模の居館跡の一つである。
現在、主郭跡には西から北に廻り幅11m、高さ9m、長さ40m程の築堤が残されている。その位置関係から、土塁を含めた内郭範囲は120m四方の方形と思われる。北西隅には水内総社日吉大神社本殿がある。

栗田城1 (18)
土塁から見下ろした西側の遊園地。堀なのか、郭なのか?

文献に栗田城が登場するのは、南北朝時代の応安三年(1370)信濃守上杉朝房が栗田城を攻めたのがはじまりであり、文久九年(1477)栗田氏は漆田城を攻め領域を広げている。
明治期、栗田・北中地区には、東番場・西番場・舞台・源太窪・北河原・舎利田・部屋田の地名や古川堰・計渇堰・前堰・本城堰・太刀打場堰などの用水名が残されている。

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西側の遊園地から見た神社本殿。結構な高さの土塁である。

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土塁の東側の本郭跡。神社と共に地元の住民に大切にされてきた事が伺える。

市街地が形成されていく過程で、ほとんどの居館や屋敷が消滅してしまった中で、これだけの土塁が残ったのは奇跡に近い。
しかも、この居館跡の主は、あの有名な旭山城に立て籠った栗田氏なのである。

この一族の数奇な運命を辿るのも結構大変なのだが、興味が尽きないのも事実である・・・。

栗田城1 (32)
居館跡付近から見た西側の旭山城。


≪栗田城≫ (くりたじょう 堀之内城)

標高:355m 比高:-m
築城年代:不明
築城・居住者:栗田氏
場所:長野市栗田東番場
攻城日:2015年8月20日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:神社の駐車場借用。
見どころ:土塁
注意事項:市街地なのでプライバシーに注意
参考文献:「信濃の山城と館②長野・更埴編」(2013年 宮坂武男著)、「栗田城跡を整備する会」の説明板
付近の城址:旭山城など

栗田城1 (42)
北側より見た土塁の上の神社。まさしく戦国の城のようである・・・・(笑)

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Posted on 2016/08/30 Tue. 22:47 [edit]

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