らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0818

飯縄山 里宮・奥社 (長野市富田)  

◆謙信公の兜の前立となり不敗神話を支援した飯縄大権現の本拠地◆

北信濃における修験者の三大霊場として全国にその名を知られた戸隠山・小菅山・飯縄山。

今回ご案内するのは、小生の三大霊場の最後の未踏の地であった飯綱山。

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甲越紛争の激戦地で、落城悲話の残る葛山城の本郭から見た飯縄山。登山の趣味などないので「ならば登りたくない・・・」(汗)

修験場としての飯縄山を記事にする場合、当然ながら里宮と奥宮がセットでないと片手落ちになる。が、肝心の奥宮が飯縄山(標高:1917m、比高:900m)の山頂に位置する為に、「登山」の覚悟と体力が無いと取材出来ない。

さりとて先延ばししても仕方ないので、先日何とか往復4時間30分の激闘の末、満身創痍(下山途中に両足の痙攣で立ち往生)で辛うじて生還を果たす。修験者の過酷な修行など、小生には絶対に無理だという事が判明しただけでも良しとしたい・・・(笑)

根小屋城(長野市戸隠) (6)
戸隠豊岡の根古屋城から見た飯縄山。


【修験道とは】 

小生が宗教を語るなんぞは百万年早いと言われるので、Wikipediaの主要部分のみを引用してみた。

修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の混淆宗教である。修験宗ともいう。修験道の実践者を修験者または山伏という。
また、修験道は神仏習合の信仰であり、日本の神と仏教の仏(如来・菩薩・明王)がともに祀られる。表現形態として、権現(神仏が仮の姿で現れた神)などの神格や王子(参詣途上で儀礼を行う場所)がある。

飯縄山里宮 (3)
飯縄山里宮の表参道。里宮は戸隠バードラインから少し外れた富田地区の荒安集落に佇む。

【飯縄神社の由緒】 ※飯縄神社公式HPより転載

飯縄神社は、西暦270年頃第15代応神天皇の御代飯縄山山頂に天神大戸道尊を祀り、飯縄大明神と称したのがそもそもの起こりで、本地を大日如来とし 848年学問行者が飯縄山に入山して、この如来の尊容を拝したと言われる。

 西暦1233年に信濃国荻野(信州新町)の地頭 伊藤兵部太夫豊前守忠綱が、飯縄大明神のお告げにより入山し、山頂に飯縄大権現を勧請した。忠綱の 子、盛綱も父に従い入山し、荼枳尼天の法を修得、 父より飯縄の法(管狐を使う独特の法術)を受継ぎ、飯縄原始忍法を確立、自ら「千日太夫」と称し、飯縄信仰を全国に広げると共に忍法の祖となった。
又、武門の尊崇を受け、特に足利三代将軍義満は、 紫金仏の地蔵菩薩像を飯縄山本地仏として寄進し、室町時代末期には武田・上杉両家の深い尊信を受け 神領を寄進され、徳川三代将軍家光も朱印地百石を寄進するなど、飯縄信仰は全国的に伝播、万余の末 社を有し、全盛を誇った。この里宮は、千日太夫の冬季居所に武田信玄が創建したものといわれる。

 飯縄山は山頂より食べられる砂(飯砂)を産し、参籠の行者等は、これを採って食べたことから飯砂山、転じて飯縄山と言い、これは保食神(皇足穂命)の霊徳として、明治六年長野県庁より皇足穂命神社の称号を与えられた。

※以上で引用終わり。

飯縄山里宮 (4)
自ら「パワースポット」と称するのは如何なものかと・・・。

「皇足穂命神社の称号が長野県より与えられた」などとは聞こえが良いが、実のところは、明治元年(1868)の神仏分離令が出されて神領を召し上げられ仁科宮司は退去。追い打ちをかけるように明治五年には修験禁止令が出されたため、名前を変更され郷社に列せられるという屈辱の過去だったんですネ。

飯縄山里宮 (6)
何で善光寺なの?この並びなら小菅神社(小菅山)でしょ。

【中世の飯縄山】

飯縄大明神は代々千日大夫と通称した修験者によって奉仕されていた。戦国争乱中の武将からも厚く信仰され、上杉謙信が兜の前立てに飯縄大権現を誂えたのはご承知のとおりである。また、その後の弘治三年(1557)、芋井の葛山城(長野市)を攻略した武田晴信(信玄)は、飯縄大明神の神官千日大夫に対し安堵状を与え、武田家の武運長久を祈らせた。またその功績によって、元亀元年(一五七〇)には、芋井を中心に沢山の所領を寄進した。また伝承では元亀頃飯縄神社里宮を荒安村に造営したといわれている。

 天正八年(1580)閏三月、武田勝頼は千日大夫あての朱印状(同文書)をもって、里宮の造営と遷宮を行っている。このようにして飯縄大明神の里宮が荒安村にでき、千日大夫もまた居を据え、門前百姓も定まったという。

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上杉謙信所用の飯縄大権現前立兜(上杉神社蔵)。戦の神である飯縄大権現(白い狐に乗った烏天狗)がモチーフとされている。

天正十年(1582)、武田氏滅亡後この地を領有した上杉景勝は、同年十一月二〇日、飯縄大明神の旧領を改めて寄進した。この間飯縄神領を含めこの地方の支配者は転々と代わったが、慶長九年(1604)七月二一日、暮府は飯縄大明神に、荒安村の壱百石を社領として寄付した。慶安二年(1649)、松代城主真田信之から幕府へ朱印下付を申請し、同年八月一七日、徳川家光から改めて百石の社領が寄付された等のことを経て、飯縄大明神の支配関係は一応安定を見せていた。

飯縄山里宮 (7)
里宮の大鳥居。「皇足穂命神社」などと云われてもピンと来ない。

飯縄山里宮 (9)
里宮の社殿。「千日大夫」の冬期における宿坊が信玄により造られ贈呈されたという。健康第一ですね(笑)

●飯縄山の衰退

江戸時代は、飯縄山頂をめぐる戸隠神領との境界争いが繰り返され、千日太夫仁科氏もその争いに明け暮れの毎日であったためか、修験者としての活動は無く、「神道無念流」が此の地で起こったという以外には、余り話題になる事柄や記録を遺していない。
戸隠との境界争いが続く中で、寛文十一年(1671)裁判では、飯縄山頂は戸隠神領とされた。 (戸隠衆徒共有文書)。
しかし天保十三年(1842)の幕府の裁許状では、判決は逆転し、飯縄山は干日大夫仁科甚十郎の支配となった。(戸隠衆徒共有文書)。
が、この判決を不満とした戸隠神領側は寺社奉行に訴え出て、弘化三年(1864)、両者の間の示談を経て、昭和の時代までこの争いは続いたが、結局戸隠側の敗北に終わった。

飯縄山の霊場としての人気も下火となり、信仰心だけが残る形となっていたが、明治の神仏分離令により信者も途絶えてしまい、善財はその昔の霊場跡を僅かに残すのみとなっている。

飯縄山里宮 (13)
西側からみた里宮の社殿。

飯縄山里宮 (10)
天然記念物に指定されている里宮の大杉。


飯縄山里宮の場所。葛山城の北方約1.2km。


【飯縄山 奥社訪問への苦難の道中】

小菅山の奥社への参拝は、下調べ不足による往復2時間の自業自得の苦しみであったが、飯縄山の奥社参拝の道中は、事前に下調べを万全にしたにもかかわらず、夏山の体力消耗を甘く見た初歩的なミスであり、往復3時間は夢物語であった事を深く反省する結果となった。(実際には約5時間の苦行)

飯縄山奥社 (1)
奥社参道入口。

飯縄山奥社 (4)
AM6:20だというのに既に6台の駐車車両。日帰り登山の山として人気が高いのがわかる。

飯縄山奥社 (6)
五分ほど歩くと「奥宮一の鳥居」。ここから十三仏を数え拝んで登れば良いはずだった・・・。

●飯縄登山道の十三仏

下調べをしてきた割には、「十三仏」が何なのか理解できないまま登山道を登った。途中の説明板には達筆で由来がかいてあるのだが、凡庸な頭では理解不能で、道標ぐらいにしか思っていなかった・・・(汗)

飯縄山奥社 (13)
一の鳥居から400m登った先に第一の不動明王があり、その近くにある説明板。「十三仏縁起」とある。

以下はWikipediaの「十三仏」の解説である。室町期の修験霊場の遺構ではなかったようだ。

十三仏(じゅうさんぶつ)は、十王をもとにして、江戸時代になってから日本で考えられた、冥界の審理に関わる13の仏(正確には仏陀と菩薩)である。また十三回の追善供養(初七日~三十三回忌)をそれぞれ司る仏様としても知られ、主に掛軸にした絵を、法要をはじめあらゆる仏事に飾る風習が伝えられる。

13の仏とは、閻魔王を初めとする冥途の裁判官である十王と、その後の審理(七回忌・十三回忌・三十三回忌)を司る裁判官の本地とされる仏である。 (以上、ウィキペディアより引用)

せっかくなので、十三仏を現地の写真に解説をつけてみましょうか。

『第一 不動明王』

裁判官:秦広王( しんこうおう)  審理:初七日(7日目・6日後)

飯縄山奥社 (11)

『第二 釈迦如来』

裁判官:初江王( しょこうおう) 審理: 二七日(14日目・13日後)

飯縄山奥社 (14)

『第三 文殊菩薩』

裁判官:宋帝王 (そうていおう) 審理: 三七日(21日目・20日後)

飯縄山奥社 (17)

『第四 普賢菩薩』

裁判官:五官王( ごかんおう) 審理: 四七日(28日目・27日後)

飯縄山奥社 (19)

『第五 地蔵菩薩』

裁判官:閻魔王 (えんまおう) 審理: 五七日(35日目・34日後)

飯縄山奥社 (21)

『第六 弥勒菩薩』

裁判官:変成王( へんじょうおう) 審理: 六七日(42日目・41日後)

飯縄山奥社 (23)

『第七 薬師如来』

裁判官:泰山王 (たいざんおう) 審理: 七七日(49日目・48日後)

飯縄山奥社 (25)

『第八 観音菩薩』

裁判官:平等王( びょうどうおう) 審理: 百か日(100日目・99日後)

飯縄山奥社 (26)


『第九 勢至菩薩』 (せいしぼさつ)

裁判官:都市王( としおう) 審理: 一周忌(2年目・1年後)

飯縄山奥社 (29)

『第十 阿弥陀如来』

裁判官:五道転輪王( ごどうてんりんおう) 審理: 三回忌(3年目・2年後)

飯縄山奥社 (32)

『第十一 阿閦如来』 (あしゅくにょらい)

裁判官:蓮華王 (れんげおう) 審理: 七回忌(7年目・6年後)

飯縄山奥社 (38)

『第十二 大日如来』  ※標高1,619m

裁判官:祇園王( ぎおんおう) 審理: 十三回忌(13年目・12年後)

飯縄山奥社 (41)

『第十三 虚空菩薩』

裁判官: 法界王( ほうかいおう) 審理: 三十三回忌(33年目・32年後)

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※写真を撮り損ねたのでブログ「のんびり生きよう」様の写真をお借りしました。

まあね、知ったかぶって書いておりますが、小生が死んだら四十九日辺りで審理はストップして「忘却の彼方」だと思う・・(笑)

【飯縄神社奥宮について】 ※飯縄神社HP参照

飯縄神社(奧社)は飯縄山南山頂にあります。ここからは東南方遙かに富士山・浅聞山を、西北に戸隠連峰高妻・乙妻・西岳が、北に妙高・黒姫ほか信越の諸山、西南には日本アルプスの山々をと、文字どおり360度の展望を楽しむことができます。

社殿は木造ですが、伊勢湾台風で被害を受けた経験や、雪害対策と信者や登山者の安全を考慮して、鉄筋ブロック建ての建物の中におさめられてあります。山頂を取り囲む岩石上には、武田勝頼が再建したことがわかる武田菱の旧社殿(石祠)や、日本各地の霊山を祀った石祠が立ち並んでいます。

「延喜式」神名帳に所載されている皇足穂命神社は、水内郡で九座ありますが、当飯縄神社はもその中の一社です。御祭神は、大戸道命・大戸辺命と保食命の三神で、春の祭典は五月八日と六月五日です。奧社祭典は六月五日で頂上祭と開山祭があります。秋は十月八日・十二月八日です。

●武田勝頼の再建した旧社殿(石祠)

3時間の悪戦苦闘の果てに見た社が、てっきり奥宮と思ったのだが、どうも違った。
下山して家に戻ってから、ここが武田勝頼が再建した奥宮の旧社殿だったことを知ったのである。

飯縄山奥社 (49)
皆さん奥宮と勘違いするみたいです。(といっても武田統治時代はここが奥宮だったのは事実)

飯縄山奥社 (52)

なんで武田って判るの?というと、石祠の正面に「武田菱」が彫られているんですよネ。

飯縄山奥社 (50)
南側から見た石祠。

飯縄山奥社 (50)
武田菱がお分かりいただけるでしょうか?

むやみやたらに写真を撮る愚かさはあるにしても、「とりあえず撮影した一コマ」がこんなに凄いのである。
※下調べがいかにいい加減だったか思い知らされました・・・・(笑)

●現在の奥宮

武田の旧社殿から少し登ったところの南のピークに奥宮がある。

片道3時間かけた目的地にようやく到着。既に息も上がり滝のような汗が流れ落ちたが、涼風が心地よかった。

飯縄山奥社 (55)
南のピークには石祠が点在している。

飯縄山奥社 (66)
奥宮の外側は鉄筋の建物で守られている。

飯縄山奥社 (65)
飯縄山奥宮。今回の登山はここが目的だった。

飯縄山奥社 (62)
何百年もの間、吹き曝しの頂上に木造の本殿では、風雪に耐えるのは難しい。

飯縄山奥社 (57)
奥宮から見た長野市方面。

●飯縄山山頂(北ピーク)

もはや帰る体力も微妙になっていたが、せっかくなので北の山頂へ向かうことにした。(奥宮から約10分)

飯縄山奥社 (59)
奥宮から見た飯縄山の山頂。

飯縄山奥社 (67)
日帰り登山としては2,000mくらいが限界であろう。小生はとっくに限界・・・(汗)

飯縄山奥社 (68)
さっきまでいた南ピークの奥社がよく見える。

飯縄山奥社 (77)
南麓の戸隠方面。

飯縄山奥社 (71)
飯山方面。

飯縄山奥社 (75)
頂上付近にも石仏がある。どんな思いで運び上げたのであろうか。

今回の奥社を巡る登山で気が付いた事がある。

それは、小生の趣味に間違っても「登山」の二文字は入らないということであろう。

比高200mクラスの山城を藪漕ぎで3往復している方が遥かに楽しい、というのが本音である・・(笑)

恥ずかしながら、下山途中で両足が痙攣してしまい10分ほど登山道脇でひっくり返っていた。(セミの最後かい・・・汗)

が、飯縄大権現のご利益で何とか生還出来ました・・・・(笑)


≪飯縄山奥宮≫ (いいづなやまおくみや)

標高:1,909m 比高:779m (奥社参道入口より)
造営年代:不明
場所:長野市富田 (飯縄山山頂)
訪問日:2016年8月7日
お勧め度:★★★☆☆ 
所要時間:2時間30分~3時間(片道)
駐車場:有り
見どころ:十三仏、武田勝頼奉納旧社殿、奥宮
参考文献:飯縄神社公式HP他
注意事項:登山届の提出必要。体力と装備に自信の無い方は止めましょう。

富士の塔砦 (31)
飯縄山の南約10kmになる富士の塔山から撮影した飯縄山。(2015年6月撮影)生涯登る事などないと思っておりました。

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Posted on 2016/08/18 Thu. 21:17 [edit]

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