らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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贄川関所跡 (塩尻市贄川)  

◆関所における女改めの悲話◆

山城探訪に関連する「木曽編」は前号をもって一旦終了したが、もう少し木曽谷について述べてみようと思う。

今回紹介するのは、中山道六十九次の贄川宿(にえかわしゅく)の通行を見張った「贄川関所」。ここは尾張藩が口留番所として設置し、中山道の人と物の往来を監視した。前回掲載した福島関の補佐的な立場を担ったという。

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洗馬宿(せばしゅく)⇒本山宿(もとやましゅく)の次が「贄川宿」(「にえかわしゅく)である。

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ここは木曽考古館という名の資料館らしいが、当日は外観のみの観察で終了・・・(汗)。

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幔幕の家紋はどなたの家紋でしょうか・・・木曽編をご覧頂いた諸氏にはお分かりかと・・・(笑)

【贄川関所の歴史】

宿場の入り口に往時のままにある贄川関所は、江戸時代には南の妻籠宿の番屋とともに北の番所として木曽谷の重要な守りの拠点でもあった。原型は残っていなかったが、村誌の古関図や関所番所配置図などをもとに、現在地に復元されたと案内に書かれている。
江戸時代のお伊勢参りをはじめとする社寺参拝は、関東から往路東海道、復路は中仙道を使うのが一般的であったと言われている。江戸から下る街道が木曽路に入ると、第一宿が贄川宿になる。木曽路の北の押さえとして役目を担っていたのがこの関所なのである。

贄川宿 (3)
ある意味「福島関」より大きい建物である。

【女改め故の関所にまつわる悲劇】

母親が病気で、娘を母親に会わせるため男装させて国元へ連れ帰ろうとした男が、関所で見破られ断首された記録も掲示してあるという。業務に忠実であったが故の関守の悲劇で、娘の父親も浮かばれない惨劇となった・・・。

贄川関所の重要な役目は女改めの他に、貴重な木曽ひのきを使って作った曲げ物や漆器、それに木材の密移入など、当時の統制品目の監視・取り締まりもあった。聞きなれない言葉であるが、これを「白木改め」と云った。

贄川宿 (5)
木曽節をご存知の方も多かろうと・・・。

贄川宿 (6)
偶然通りがかり、贄川宿を通過した「特急しなの」を撮影。

現代では何気なく通過する道であっても、江戸時代には生死を賭けて関所破りを敢行し、命を危険にさらしても大事なまな娘を親に見せたかった親心が交差した場所である。
その娘であるが、無念の想いで獄死した親の分まで長生きして幸せになったと思いたい・・。

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美しいレリーフは中央西線の高架橋の名物である。

ちなみにここからは、日本最高峰の位置にある「楡沢山城」(にれさわやまじょう 別名:木曽殿隠れ城)(1754m)に通じる登山道があるという。
小生のお仲間で登山家の方は既に制覇したらしいが、信濃のラスボスの攻略は最後に残しておきたい。

ここに辿り着いてしまったら、小生の山城巡りの興味は尽きてしまう・・・。まだまだレベルアップしないとネ・・(笑)

≪贄川関所跡≫ (にえかわせきしょあと 贄川口留番所)

標高:874m
構築年代:江戸時代
構築者:尾張藩
場所:塩尻市贄川
訪問日:2015年5月24日 
お勧め度:★☆☆☆☆
見学所要時間:10分~ 駐車場:有り
見どころ:番所跡、木曽考古館。
注意事項:特になし。宿場町であったが、昭和5年の大火でほとんどの家が焼失してしまい僅かな面影だけが残る。
付近の名勝・史蹟:奈良井宿、鳥居峠など



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Posted on 2016/10/03 Mon. 22:29 [edit]

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