らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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表木城 (伊那市西春近)  

◆西春近の南部を統治した表木氏の館城◆

「おんな城主 直虎」は最初の2~3回見ればいいかなあーなんて思っていたら、子役の演技に引き込まれてしまい毎回見る羽目になっている・・・(笑)

亀之丞(のちの井伊直親)が井伊谷を追われ、青年になるまでの12年間を過ごした地が南信濃の松岡城(松源寺)というのも何かの因縁であろうか。もうしばらくはお付き合いしてみますか。

で、今回ご案内するのは、上伊那(かみいな)の表木城。この辺りは段丘を利用した館城が多いのが特徴で、似たような縄張の城がしばらく続くのだが、ご了承願いたい。

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平成26年3月に設置された地元の自治会協議会の標柱と説明板。後世に伝えたいという気構えが感じられて嬉しかった。

【立地】

表木城は、伊那市西春近表木下村の西側段丘崖面上を利用して構築された平山式館城で、郭が南北に長い方形連郭式に含まれる。城郭の東側はJR飯田線開削時に破壊されたらしく、残念ながら往時がどのような形態を留めていたのかは不明となってしまった。

表木城①
飯田線が城内を貫通してしまったが、これだけ遺構が残っているので良しとすべきであろう。

表木城(伊那市) (1)
城域南側から見た表木城。堀切㋑の道路は地元では「ほりみち」という呼び名らしい。

表木城(伊那市) (3)
堀切㋑。道路を設置するには都合の良い幅であったらしい・・(笑)

表木城(伊那市) (10)
郭3(南郭)は東西に二段の段差を持つ変則的な郭だったようだが、飯田線に分断されていまい細部は不明のままだ。

表木城(伊那市) (12)
線路に分断されたが僅かに残る郭3の東側。

【城主・城歴】

※以下は「定本 伊那谷の城」(1996年 郷土出版社)のP64の飯塚政美氏の記述を引用し掲載。

表木一帯は典型的な中世郷村制を形成していたとみえて「鰍在家(かじかざいけ)」なる小字名がかなりの広範囲にわたって残存している。「表木」の名が文献上に初見されるのは文明十九年(1487)である。
この年の七月、高遠の諏訪継宗は伊那の軍を統率して諏訪に攻め込んだ。この経過を「諏訪御符礼之古書」では次のように記している。
「此年七月二十七日、信州有賀へ箭(や)あそはし候、同年被食福島孫七、真木殿、面木氏、中沢高見打死候、御射山無御延引故候、八月七日迄、鞍懸御陣被御座候有賀へ矢射、其間之りうか埼之城取立候、御知行候」。この合戦で福島孫七、真木氏、面木氏、中沢高見氏は討死している。福島孫七は伊那福島郷の、真木氏は福島郷に隣接している牧郷、面木氏は表木郷、高見は駒ケ根中沢郷の地頭であったろう。

表木城(伊那市) (15)
堀切㋑は線路によって一部を埋めたてられたが、南の防御ラインとして厳重に仕切っていたのであろう。

「下高井郡山ノ内町温泉寺所蔵武田信玄書状」によれば、永禄三年(1560)十月、武田信玄は京都清水寺成就院に伊那郡面木郷を寄進している。このことからして戦国期には表木氏は信玄配下となっていたことがわかる。

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主郭の四方を囲む堀切㋐。巾・高低差ともに文句なしの防御である。この地域のトレンドとして根付いたようである。

表木城(伊那市) (26)
主郭西側の虎口。全方位を2m~3mの土塁が囲む主郭の唯一の入口である。

表木郷一帯は諏訪神社関係御造営に積極的に取り組んだとみえて次のような記録がある。まず大永四年(1524)二月び「造営日記帳」に面木、天正六年(1578)二月の「造営手形之事」に表木郷、さらに同年「諏訪社上社郷柱諸役造営帳」には「面木之郷弐百、三百文 代官 百姓輪番」。

表木城(伊那市) (29)
主郭内部。飯田線の破壊が無ければ50×50の方形だったと推測される。

表木城(伊那市) (32)
主郭の周囲は葯4mの高い土塁が周回している。


伊那武鑑根元記」によると、「表木主膳十八貫ヲ領シテ仝村表木ニ住ス共ニ小出犬坊丸ノ末孫ニテ世々高遠城ニ属シ、天正年中仝氏ノトキ家名ヲ失ヒ其跡年貢地トナル」と記してあるが、その事実は詳らかではない。この文献の信憑性は問われるが、全般的に考えると、この十八貫文領から推察して、表木城は一時期に築城したのではなく、徐々に規模を拡張したのではないか。
総合的にみて、表木城は室町時代前期頃にその母胎が築かれ、戦国期に滅亡したと想定され、この「流れとともに表木一族の変遷を物語ってくれているのであろう。周辺には「タイホウ」という小字名がある。 

(以上、引用終わり)

表木城(伊那市) (40)
郭2(北郭)。

【城跡】

主郭は高さ4mもある立派な土塁が三面を取り巻いていて、西側中央に虎口が開いている。東側は飯田線の線路の為に削られているが、本来の姿は方形の形で周囲を土塁で囲まれていたと推定される。
主郭を取り囲む堀切は上巾20mほどの巨大な薬研堀で、堀底から土塁の上部までは10m以上の高さがある。
北側と南側には大堀切を隔てて郭が連なり、更にその外側も堀切で防御されているので、連郭式の館城であったようだ。

表木城(伊那市) (41)
郭2の北側の堀底は水路が走っている。

表木城(伊那市) (49)
主郭と郭2(北郭)の間の堀切㋐。上巾20mを越える。

表木城(伊那市) (48)
堀切㋐は箱堀ではなく薬研堀で、往時はもっと深く傾斜もキツかったと推定される。

表木城(伊那市) (52)
堀切㋒の線路より東側。

郭3の南側には横堀㋓が構築されているが、主郭を周回する堀切㋐とは接続されていないので、あとから普請されたのであろう。
宮坂武男氏はこの堀切㋓を大手方面と推定しているが、堀切㋑の堀底を経由して西へ回り込むのが大手という事も考えられる。

表木城(伊那市) (57)
堀切㋓の脇を郭3に向けて登る「ていぴす殿」。

南信濃の戦国時代は、武田信玄が諏訪氏を滅ぼすと同時にいち早くその占領下におかれた為に、戦国大名の国境紛争とは無縁に思われがちであるが、弱小の国衆故に家名存続に対する執念は北信濃の国衆よりも強かったかもしれない。

残念ながら表木氏は刻一刻と変節を遂げていく戦国時代を乗り越えられなかったが、彼らの居館城はこうして残ったのである。
彼らの魂は、不明な点の多い表木氏の経歴を調べる研究者の出現を待ち望んでいるのかもしれない・・・・。

表木城(伊那市) (23)
地元の自治会の皆さんが現地に立てた説明板。内容もしっかり精査されていたので驚いた。

≪表木城≫ (おもてぎじょう )

標高:647m 比高:30m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:伊那市西春近
攻城日:2015年2月22日 
お勧め度:★★★★☆ 
館跡までの所要時間:5分 駐車場:無し(路駐)
見どころ:大堀切、土塁、方形居館跡
注意事項:線路への立ち入りは厳禁。
参考文献:「信濃の山城と館⑤上伊那編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版 P279参照)、「定本 伊那谷の城」(1996年 郷土出版社)
付近の城址:物見や城、小出城、義信の城など
Special thanks:ていぴす殿

表木城(伊那市) (18)
伊那谷の城は、飯田線に破壊された場所が結構多いのが特徴かもしれない・・・(汗)






Posted on 2017/02/10 Fri. 22:13 [edit]

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