らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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大河原城 (下伊那郡大鹿村上蔵)  

◆南北朝の動乱の際、香坂高宗が南朝方の宗良親王を招いた館城◆

鎌倉幕府を倒し建武の新政(1333~)に着手した後醍醐天皇は、倒幕の中心を為した河内源氏である足利尊氏らの武士団の懐柔に失敗し、お膝元であった公家衆の反感まで買ってしまった。
更に中先代の乱(1335)が勃発し、鎮圧に功のあった足利尊氏が政権より離反すると、僅か二年半で政権が崩壊。

光明天皇を擁護する足利尊氏の北朝(京都)と、吉野に遷宮し皇位に執着する後醍醐天皇が南朝として抗争を繰り広げた56年間を南北朝時代と呼ぶ。

上蔵2
長野県に生まれながら、唯一未訪の地であった大鹿村にようやく辿り着くことが出来た・・。

今回よりご案内するのは、後醍醐天皇の第八皇子として南朝方の東国平定の任務を負った宗良親王(むねながしんのう・むねよししんのう)が、南信濃の国衆である大河原城の香坂高宗に招かれ、此処に征東府を置き、三十有余年を過ごしたという大鹿村の城址の数々。

まずは最も有名でありながら、その遺構がいつか消滅するであろうと云われている大河原城。

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【立地】

上蔵(わぞ)の集落の南端で、小渋川の断崖に面した場所に位置するが、僅かばかりの平地と巨大な堀の一部が残っているだけの現状である。
かつては周囲を堀に囲まれた50m四方の方形居館が存在したようだが、現状を見ても往時の館城は想像しにくい。

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城址に立つ説明板。

【香坂氏について】

その出自は北佐久郡の香坂とされ、前後ははっきりしないが、南北朝の頃に大河原に香坂高宗があり、宗良親王を迎え入れ、釜沢の奥の御所平に親王を置き、大河原城により親王の警護に当たり、伊那の各地にもその防衛網を敷いていたという。

※佐久の香坂氏については ⇒閼伽流山城を参照ねがいます。
※牧城の香坂氏については ⇒牧城を参照願います。

高宗の晩年は不明の点が多く、その死については多くの説があるが、墓は上蔵(わぞ)の弾正林にある。高宗の長子高重は松平城主、子孫はしばらく大河原城に拠ったと思われ、天文末に武田氏により攻められ家名が滅ぶ。松平城にいた高宗の子松平二郎は、後に上蔵に土着して郷士となり、江戸時代に松下に改姓して、今の松下氏がその末裔であるという。また、日曽利(ひっそり)の香坂家が高宗の正系との伝承があるが確証はないという。

大河原城見取図①

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東側の沢に落ちる堀跡。上巾22mにも及ぶ堀は圧巻だが、館全体のイメージの想像は現状からでは困難を極める。


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11×14×6の三角形の郭。近年崩落防止工事が施されたが、明治時代からの計測でもかなり崩落が進んでいるという。

今では伊那谷の交通における主要ルートは天竜川沿いであるが、往古は高遠町~分杭峠~大鹿村~南信濃和田~青崩峠の通称「秋葉街道」が主要道であった。

信玄が元亀三年(1553)10月、西上の軍を挙げた際に二万二千の本隊が秋葉街道を進み青崩峠を越えたのは周知の事実である。

【城跡】

小渋川に突き出した高台の断崖を利用した方形居館があったと思われる。規模は50m×80m程度で巨大な箱堀は北側を頂点とするL字で、南半分は崖なので不要であろう。

一時的に香坂氏が宗良親王を自分の居館である大河原城に招き、その後は親王専用の屋敷(御所平)を上蔵に建て、親王と共に各地を転戦したと思われる。

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小渋川の崖に突き出すように残っている郭の一部。辛うじて残っている。

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大河原城から見下ろす小渋川。比高60mの高さである。

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西側の崖に落ちる堀切。

大鹿村には、約七百年前に宗良親王を防衛するために築かれたという南北朝時代の山城が上蔵(」わぞ)を取り囲むように何ヵ所か点在している。そのうちの幾つかは戦国時代に改修を受けたような跡も見られるが、果たしてどうであろあうか。

≪大河原城≫ (おおがわらじょう 城の平)

標高:840m 比高:60m(小渋川より)
築城年代:不明
築城・居住者:香坂氏
場所:下伊那郡大鹿村上蔵
攻城日:2017年3月19日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:福徳寺より歩いて5分 駐車場:無し(福徳寺付近に駐車場あり)
見どころ:堀切、郭、石碑
注意事項:途中耕作地があるので注意。
参考文献:「信濃の山城と館⑥ 諏訪・下伊那編 宮坂武男著」 「定本 伊那谷の城」
付近の城址:香坂高宗の墓所、松平城、堀田城、大島城など
Special Thanks to ていぴす殿

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福徳寺付近から見た大河原城。城跡までの道は分かりづらいので注意。

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Posted on 2017/04/04 Tue. 22:00 [edit]

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