らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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香坂高宗の墓所  

◆宗良親王を護り続けた南朝の忠臣◆

今年の3月は全国的に天候不順が続き、信濃では下旬に降雪があり山城の残雪が消えずに難儀している。

我ら信濃先方衆の北上作戦にも影響が出てしまい、予定していた須坂周辺の山城踏査は深い残雪と想定外の険しい岩壁に阻まれて断念する有様・・・(汗)

「そうだ、大鹿村へ行こう!!」

この日の午前中、あても無く下伊那の豊丘村の城址を調査していた我らは午後の予定を大鹿村の城址のスタンプラリーに切替えた。豊丘村から狭くて険しい県道22号線で約18km、時間にして30分。

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大鹿村の上蔵(わぞ)集落に入ると、長野県最古の木造建築と伝わる福徳寺。(鎌倉時代の作という)

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前回紹介した大河原城。宗良親王の息遣いが聞こえそうな居館跡である。

今回ご紹介するのは、宗良親王を信濃大河原に迎え入れた香坂高宗の墓所。

地元のゆるい(大雑把とも)案内板では分かりづらくて、あっちゃこっちゃと迷いながら何とか「到達」・・・(笑)

上蔵説明板
福徳寺にある説明板。50mも歩けば墓所がありそうな描き方だが、実際は500mぐらい歩かないと辿り着けない・・(汗)

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ようやく見つけた香坂高宗の墓所。民家の脇を通り抜けてチョットした耕作地の奥に位置する。

香坂氏は佐久の香坂(閼伽流山城)の出自で滋野氏の傍流と伝わる。承久の乱(1221)で功績があり、幕府より犀川流域の牧野島を拝領し地頭として移ったと伝わる。
※詳細は⇒牧城(信州新町)を参照願います。

南信濃の香坂氏は牧野島の香坂氏の分流という説があるが、唯一文献に登場する牧城の香坂心覚との関連については裏付けが無い。ともに北条残党で南朝方として戦っているので繋がりはあったものと推定される。

南北朝時代については門外漢なので、香坂高宗の生涯については、以下Wikipediaから引用してみた。

高宗は、興国4年/康永2年(1343年)の冬(1344年とする資料もある)に居城の大河原城に後醍醐帝の皇子宗良親王を迎え、更に奥地の内ノ倉(現在の御所平)に仮御所を設け、諏訪神党に連なる知久氏や桃井氏など周辺の南朝方諸族らと共に宗良親王を庇護し続けた。

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正面から。刻んである文字はほとんど判読出来ない。

高宗自身の戦功は伝わっていないが、宗良親王に従って各地を転戦したと思われる。また親王を奉じた大河原の地は、信濃のみならず東国・北陸道の各地で戦う南朝方の策源地となったとされる。宗良親王は正平10年/文和4年(1355年)に、越後・信濃などの南朝勢力を結集して北朝方の信濃守護家小笠原氏との決戦(桔梗ヶ原の戦い)に及ぶが、敗北を喫する。そして正平24年/応安2年(1369年)には関東管領で信濃守護職の上杉朝房が大河原に攻め寄せるが、高宗は大河原の地を守り抜いている。

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側面から撮影。石碑の背後にも何やら文字が彫られているようだがよくわからない。

文中3年/応安7年(1374年)、失意のうちに宗良親王は吉野に去るが、その後も度々大河原の地を訪れていたとされ、親王終焉の地の有力候補となっている。高宗は応永14年(1407年)に大河原城にて死去したとされ、大正4年(1915年)大正天皇即位大典の日、宗良親王への忠節に対して特旨をもって従四位が贈られた。

※以上、Wikipedia「香坂高宗」のページの引用終了。

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墓所の横には社殿が置かれているので、地元の住民がこの地を信仰の地として守り続けたのであろう。

あとで知ったのだが、ここから林道を奥に約5kmほど進むと古くて立派な宝篋印塔があり、その場所が宗良親王の墓所と伝わっているようだ。宗良親王の墓所は大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台である井伊谷城(いいのやじょう)にもあるが、大河原で没した可能性が高いという。

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最近は訪れる人も少ないのであろうか・・・。福徳寺から矢印看板でも立てればかなり違うと思うが。

牧野島の牧城の香坂心覚は南朝として守護の小笠原氏と激戦を繰り広げたが、敵対していた信濃守護の小笠原長朝が同族の争いに巻き込まれた際には庇護しその危機を救ったという。

大河原城の香坂高宗は、南朝が没落し失意のうちに吉野に去った宗良親王に対して終始変わらぬ忠誠を誓い、南朝の再興への希望を捨てる事は無かったという。

高宗亡き後、しばらくして香坂氏は本拠地を天龍川の東の河岸段丘にある大草城に移したという。戦国時代になり、信玄が伊那に侵入するとしばらくは武田軍に抵抗していたが、馬場信房に攻められ落城。南信濃の香坂氏の足取りはその後ハッキリしない。

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墓所のある高台から見た大河原城方面。遠く南アルプスが望める桃源郷である。

≪香坂高宗の墓所≫ (こうさかたかむねのぼしょ)

標高:870m 比高:30m(大河原城より)
築城年代:不明
被埋葬者:香坂高宗
場所:下伊那郡大鹿村上蔵
攻城日:2017年3月19日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:福徳寺より歩いて10分、軽自動車なら5分 駐車場:無し(墓所手前の空き地を借用)
見どころ:墓所のある高台からの景色
注意事項:民家の軒先で耕作地(私有地)なので注意
参考文献:「信濃の山城と館⑥ 諏訪・下伊那編 宮坂武男著」 「定本 伊那谷の城」
付近の城址:大河原城、松平城、堀田城、大島城など
Special Thanks to ていぴす殿

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Posted on 2017/04/06 Thu. 21:34 [edit]

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