らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0514

碓氷峠で発見されたという陣城を訪ねて  

◆時間をかけて検証する必要があると思うが・・◆

5月13日、碓氷峠で陣城の遺構が発見されたというニュースが全国を駆け巡った。twitterのTLはその話題で持ちきりだった。
「真田昌幸らの北条攻略拠点か、「陣城」跡を発見

豊臣方の小田原攻め(1590)における兵站補給基地として築城されたのではないか?と推定されており、昨年の真田丸効果から続く山城ブームも拍車がかかりそうな発見である。

そんな話を耳にしちゃうと、居ても立ってもいられない性分なので、本日は碓氷峠へ出陣したのでありますw

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この日は横川から碓氷峠を走る「安政の遠足」なる行事があるとは知らず、しかもそのゴールが熊野皇大神社だとは・・(汗)

仮装行列遠足(?)で賑わう峠の頂上から5分ほど下ると中山道との分岐点になる。
新聞記事によると、陣城は熊野皇大神社から東へ250m付近なので、この付近になる。

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何の気なしにこの分岐点を中山道方面に向かうのだが・・・

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「長坂」という看板に沿って中山道を進むのだが、城域はこの分岐から南の三角地帯だと後で知ったのである・・・(笑)

中山道を用心深く下るとすぐに「あそこに見えるは、土塁でしょうか、それとも堀切跡でしょうか・・・」

深く霧が巻く悪天候の中であったが、嗅覚という恐ろしいビョーキがその存在に気が付く。

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「ここなのか?」

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新聞記事の写真の箇所はここらしい。

場所の特定が極めて疑問なので、霧雨の中を隅から隅まで歩き回ってみた。

陣城の定義がイマイチ曖昧なので、自分としての判断は「山城の遺構に違いない」との結論である。

碓氷峠陣城跡か①
現地を歩いた感覚で思い出しながら描いた見取図。こんな感じであろうか。

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城の北側の一段下を中山道(旧道)が通る。

【ここでいいのか?】

記事に書いてあるような楕円形とは言い難いし、竪堀8条も見つけることは出来なかった・・・・。多少墓地として改変されているが、叩き土で背後を固めた郭が2ヶ所あり、その西側は箱掘のような巨大な二重堀切が沢筋まで下りている。

おまけにお「城の虎口は桝形?」

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城域西側の巨大な箱掘。天正壬午の乱の時の北条氏の補給基地の可能性は否定できないのであろうか?

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郭4背後のL字土塁。

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郭1と郭4の間は堀切に近い形で遮断されているが、その先は曖昧な平郭となっている。

ここでいいのか?という疑問もさることながら、安易に「豊臣方の陣城」と決めつけてしまっても良いものであろうか。

あらゆる可能性を想定しながらの作業は慌てる必要などなかろうかと・・。

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宮坂武男氏も言うように、まだまだ未発見の山城は多いようですネ(笑)

いずれまた再調査に訪れてみたいと思いますw

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Posted on 2017/05/14 Sun. 23:29 [edit]

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