らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
0518
和田東山城 (長野市若穂保科) 
◆耕作地とも城跡とも断定できない微妙な遺構◆
前号では、碓氷峠の陣城についてざっくり掲載してしまったが、「旧道が城内に取り込まれている」という事実の見落としを指摘され、ハッと我に返った。そう、城の西側の堀切と図で示した場所は実は旧道の址だったのか・・・(汗)

現在の陣城の東側の中山道旧道。北条攻めに際しては突貫工事で軍道も整備されたであろうという想像力が欠けていた・・。
横川から刎石堀切まで歩いた経験がありながら、何故その事(道の幅)に気がつかなかったのだろうか。もっと子持山方面に下っていけば誤りに気付いたはずだった・・。
リベンジは晩秋に持ち越して、これから初夏になるのだが頭を冷やした方が良いのかもしれない(笑)
気を取り直して、今回ご案内するのは若穂保科地区最終回の「和田東山城」である。

城の入口に鎮座する東山神社。今も地元に大切にされている神社である。鳥居前に駐車場があるので停めさせていただこう。
【立地】
保科上和田地区の東山神社の脇から100mほど道を上った所に和田東山城跡がある。ここは奇妙山系の山尾根の鞍部にあたり、傾斜のゆるい尾根が張り出していて、東麓を赤野田川が自然の堀となって流れている。その上部には古墳群がある。
東方1.5kmの山上には保科氏の霜台城があり、その中段には前の山砦があって、保科の谷を挟んで相対している。

神社の脇の道を登る。

途中墓地となっている三段ほどの段郭が確認出来る。防御というよりは耕作の跡か?

三弾の段郭を最上部の郭から見下ろして見る。
【城主・城歴】
記録等がなく不明。地元では和田氏の築城との伝承があるという。

郭2の背後に堀切を穿つのがセオリーだと思うが、古墳群に向かう尾根には何の防御構造も確認出来なかった。

郭3の先端から東の沢に下る唯一の堀切。

おむすび型の郭3。郭2との段差が切岸で区画されている。

郭2から見下ろした郭3。(21×23)
【城跡】
墓地の段郭を除くと、和田集落に突き出した尾根先に平坦な三つの郭が並ぶ縄張である。最高部の郭1の背後を堀切で遮断していれば、戦国期の砦と認識できるのだが、郭1と郭2があまりにも丁寧に削平されているので、後世の耕作地化による影響と考えられどこまでが城跡なのか非常に分かりづらい。

郭2の先端には三角点(403.9m)

郭2と郭1。切岸がハッキリしすぎているが、それはそれで美しいと思うが・・。

郭1の周囲は美しい切岸が加工されている。後世のものかもしれないが、一見の価値はある。
城域の東側は斜面が比較的緩いのだが、赤野田川(あかんだかわ)が天然の堀切となっているのでそこそこの防御にはなっているように思われる。

郭1から見た郭2との東側の接続部分。傾斜が緩いのがお分かりいただけるでしょうか。

主郭の内部。

西側から見た主郭の虎口。
要害城というよりは、保科の入口を監視した物見砦としての要素が強いような気がする。この程度の脆弱な防御では敵の来襲に対して持ちこたえるのでかなり厳しい。宮坂武男氏は尾根伝いの古墳群との関連を指摘しているが、尾根沿いの道は失われてしまい、背丈以上の藪に覆われている状況での確認は困難と思われ今回の調査は断念した。

こんなちっぽけな砦でも、アングルによっては充分な見応えがある・・(笑)
≪和田東山城≫ (わだひがしやまじょう)
標高:410m 比高:30m
築城年代:不明
城主;不明
場所:長野市若穂保科
攻城日:2017年4月19日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:郭、切岸
注意事項:特になし
駐車場:東山神社の鳥居前に3台程度の駐車スペースあり
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:霜台城、加増城、前山の砦、春山城など

城址より霜台城を臨む。


前号では、碓氷峠の陣城についてざっくり掲載してしまったが、「旧道が城内に取り込まれている」という事実の見落としを指摘され、ハッと我に返った。そう、城の西側の堀切と図で示した場所は実は旧道の址だったのか・・・(汗)

現在の陣城の東側の中山道旧道。北条攻めに際しては突貫工事で軍道も整備されたであろうという想像力が欠けていた・・。
横川から刎石堀切まで歩いた経験がありながら、何故その事(道の幅)に気がつかなかったのだろうか。もっと子持山方面に下っていけば誤りに気付いたはずだった・・。
リベンジは晩秋に持ち越して、これから初夏になるのだが頭を冷やした方が良いのかもしれない(笑)
気を取り直して、今回ご案内するのは若穂保科地区最終回の「和田東山城」である。

城の入口に鎮座する東山神社。今も地元に大切にされている神社である。鳥居前に駐車場があるので停めさせていただこう。
【立地】
保科上和田地区の東山神社の脇から100mほど道を上った所に和田東山城跡がある。ここは奇妙山系の山尾根の鞍部にあたり、傾斜のゆるい尾根が張り出していて、東麓を赤野田川が自然の堀となって流れている。その上部には古墳群がある。
東方1.5kmの山上には保科氏の霜台城があり、その中段には前の山砦があって、保科の谷を挟んで相対している。

神社の脇の道を登る。

途中墓地となっている三段ほどの段郭が確認出来る。防御というよりは耕作の跡か?

三弾の段郭を最上部の郭から見下ろして見る。
【城主・城歴】
記録等がなく不明。地元では和田氏の築城との伝承があるという。

郭2の背後に堀切を穿つのがセオリーだと思うが、古墳群に向かう尾根には何の防御構造も確認出来なかった。

郭3の先端から東の沢に下る唯一の堀切。

おむすび型の郭3。郭2との段差が切岸で区画されている。

郭2から見下ろした郭3。(21×23)
【城跡】
墓地の段郭を除くと、和田集落に突き出した尾根先に平坦な三つの郭が並ぶ縄張である。最高部の郭1の背後を堀切で遮断していれば、戦国期の砦と認識できるのだが、郭1と郭2があまりにも丁寧に削平されているので、後世の耕作地化による影響と考えられどこまでが城跡なのか非常に分かりづらい。

郭2の先端には三角点(403.9m)

郭2と郭1。切岸がハッキリしすぎているが、それはそれで美しいと思うが・・。

郭1の周囲は美しい切岸が加工されている。後世のものかもしれないが、一見の価値はある。
城域の東側は斜面が比較的緩いのだが、赤野田川(あかんだかわ)が天然の堀切となっているのでそこそこの防御にはなっているように思われる。

郭1から見た郭2との東側の接続部分。傾斜が緩いのがお分かりいただけるでしょうか。

主郭の内部。

西側から見た主郭の虎口。
要害城というよりは、保科の入口を監視した物見砦としての要素が強いような気がする。この程度の脆弱な防御では敵の来襲に対して持ちこたえるのでかなり厳しい。宮坂武男氏は尾根伝いの古墳群との関連を指摘しているが、尾根沿いの道は失われてしまい、背丈以上の藪に覆われている状況での確認は困難と思われ今回の調査は断念した。

こんなちっぽけな砦でも、アングルによっては充分な見応えがある・・(笑)
≪和田東山城≫ (わだひがしやまじょう)
標高:410m 比高:30m
築城年代:不明
城主;不明
場所:長野市若穂保科
攻城日:2017年4月19日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:郭、切岸
注意事項:特になし
駐車場:東山神社の鳥居前に3台程度の駐車スペースあり
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:霜台城、加増城、前山の砦、春山城など

城址より霜台城を臨む。


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Posted on 2017/05/18 Thu. 23:04 [edit]
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