らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0704

三才山砦 (松本市浅間温泉三才山)  

◆稲倉城の東の防衛拠点◆

次回と書いてしまったので、楡沢山城のレポートを期待した諸氏には申し訳ありません。物事には順序がありまして・・(汗)

それに、最近の我ら信濃先方衆は、「あぶない刑事」の再来ではないか・・・はたまた「川口探検隊」張りの特攻野郎Aチームか?(笑)つまらない世間の評判を気にしつつ、「良い子はマネをしてはいけません」。遭難者が出たら洒落になりませんもの。

今回ご案内するのは、その道無き直登の険しさ故に敬遠されている「三才山砦」(みさやまとりで)。残念ながら単独訪問です(笑)

三才山砦 (101)
松本市と上田市を結ぶ国道254号線の松本市浅間温泉地籍の小日向集落の脇に聳える目立つ山の山頂に砦がある。

【立地】

筑摩郡と小県郡を結ぶ街道沿いにあり、群の境は武石峠または三才山峠で結ばれる。また、ここから西へ進めば府中(深志)または安曇野郡に容易に出れる位置であり、三才山の谷筋を見張る要衝の地である。

三才山砦 (2)
登り口が分からず集落に入ってみる。メインストリートは狭い!

三才山砦 (3)
結構昔からある由緒正しき集落のようで、あちらこちらに史跡と説明板がある。

三才山砦 (7)
三才山砦の説明板を見つけて喜ぶのもつかの間、途中で道は消える。地元の方に聞いたらすでに道は消滅していると聞き落胆。

三才山砦 (96)
休耕地の間の農道を登りながら、比高310mはチョッチねえ~ヤバくね?なんて思いながら今さら引き返せない・・・(汗)

三才山砦 (106)
農道の終点からテキトーに西尾根先へ向けて比高150mほど傾斜40度の斜面を息絶え絶えになりながら直登する。

三才山砦 (1)
写真の場所は地形図で見るとこの辺り。尾根はもうすぐですね。

三才山砦 (8)
尾根に出て楽できるかと思いきや、登り坂は続きますw

三才山砦 (2)
上記の場所はこの辺り。残りの比高役00mで城域。最後の踏ん張りが結構キツイんです。

時々、「こんな淋しい山奥で何をしているのだろう?」 と自問自答しますが、すぐに忘れます・・・(笑)

【城主・城歴】

「信府統記」には「三才山古城地として「三才山村より丑寅(北東ノ方)、本城ノ平、戌ヨリ辰(西北西から東南東)ノ二十四間、未ヨリ丑(南南西より東北東)ノ七間、此所一説御射山ト云フ、是、諏方御射山ヲ勧進セリ、当地モ赤沢氏の領ナレハ彼要害ニヤ」とあり、赤沢氏の砦であろうと言っている。
「長野県町村誌」には記載がないが、位置から推察すると赤沢氏の本城である稲倉城(しなくらじょう)の東口を守る支城で、南口の早落城と共に守りを固めていたと思われる。また、「松本市史」の2巻では赤沢氏の詰め城と書かれているようで、結構な高所にありながら加工度は高いのでその可能性は充分考えられる。

三才山砦見取図①
南に張り出した尾根上にも遺構が残るらしいが、今回はパスした。

三才山砦 (13)
尾根の急坂を登ると堀切㋐が現れ、城域に辿り着いたんだなあーと実感する。

三才山砦 (15)
南側から撮影した堀切㋐の断面。前後の縁を掻き上げた堀の土を盛り上げて土塁で深さを稼いでいる。

三才山砦 (20)
堀切㋐からストレートに主郭の平小口が開いているが、これは秋葉社を勧進した時のものであり、往時は北を迂回させ東から入ったのであろう。

【城跡】

南側の一部を除き、ほぼ全周する土塁に囲まれた主郭を犬走のような細い段郭が巡り、その前後を堀切で穿っている。西側の堀切㋐は前後を土手で盛り上げた長大な堀切でかなり埋まっているが南側の沢に落ちて斜面の横移動を制限している。主郭背後は段差を付けた堀切㋑とその手前の小さな堀の組合せで二重堀切として堡塁を接続しその背後を堀切㋒で断ち切る。さらにその先の鉄塔の立つ鞍部の手前を長めの堀切㋓で区切り、搦め手を確保しているようだ。

三才山砦 (22)
主郭と堀切㋐との間の帯郭。主郭を囲むように全周している。

三才山砦 (37)
西側からみた主郭の東半分。堀切㋐から南側の帯郭を通して入ったであろう虎口が確認出来る。

三才山砦 (43)
東側より見た主郭の西半分。秋葉社が勧進されたいたようだが、現在はその欠片も無い。

三才山砦 (49)
主郭背後の堀切。宮坂氏は二連としているが、手前の堀切は微妙である。

三才山砦 (53)
堀切㋑の尾根の断面。

三才山砦 (56)
南斜面に落ちる堀切㋑。約30mほどの長さがあるようだ。

高所にある支城ながら、結構手が入れてあり驚く。稲倉城の赤沢氏は武田氏の信濃侵略において武田方につくものと、長時に従って越後の上杉氏を頼って落ち延びたものと分かれたという。武田氏に降った赤沢氏は、後丁氏に奪われた支城の早落城の攻略で武田氏を手引きし落城させ忠誠心を示したという。
深志から上田小県への要衝にあたるこの地は、武田軍も重視したと思われ引き続き改修されたのではないかと推察する。

三才山砦 (62)
堀切㋒と接続する平場。

三才山砦 (80)
堀切㋒に接続する平場から主郭方面を振り返る。結構な落差(比高差)があることが感じて頂けるでしょうか。

三才山砦 (71)
城域最終の堀切㋓。西側の縁は土塁でかさ上げしている。

三才山砦 (70)
堀切㋓で城域は終わる。鉄塔の先は西の沢から登る品庄沢(ひんしょうさわ)からの山道が入っている。

三才山砦の秋葉様には、その昔、祭りの為に子供たちも登ったのだという。もはやその声を聴くことは出来ないと思うと、寂しい限りである。

≪三才山砦≫ (みさやまとりで 秋葉様)

標高:1,111m 比高:310m
築城年代:不明
城主;不明
場所:松本市浅間温泉三才山
攻城日:2016年4月10日
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:60分
見どころ:土塁、堀切、段郭など
注意事項:途中から道無き直登となるのでそれなりの装備と体力が必要。
駐車場:集落手前の空き地に路駐。(集落内は駐車厳禁)
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:稲倉城、早落城、伊深城、横谷入城、茶臼城など

三才山砦 (100)
本城の稲倉城は指呼の間である。(大日方集落の入口から撮影)

三才山砦 (102)
麓には御屋敷館跡(小日方公民館の周辺だという)がある。

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Posted on 2017/07/04 Tue. 22:09 [edit]

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