らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0708

伊深城 (松本市岡田)  

◆長大な竪堀を駆使した小笠原氏城郭群の北の要塞◆

信濃先方衆の編成は、今から遡る事5年前である。

意外と思うかしれないが、我々の初めての顔合わせは生坂村の廃村となった丸山集落の探索であり、城址探訪ではない・・(笑) もっとも、戦国時代に生坂村を領有した丸山氏の出自はこの集落であろうと推定して踏み込んだのだが・・・この話はいずれ何処かでまた触れたいと思う。

今回ご案内するのは、2013年12月に「ていぴす」殿にアテンドしてもらいようやく訪問した伊深城である。果たして写真から4年前の記憶を辿れるのか?(笑) ようやく長期在庫の一つが日の目を見るのである・・・(汗)

伊深城(松本市) (1)
登り口の稲荷社に立つ説明板と宮坂武男氏の縄張図。結構名の知れた山城なのだが、「いつでも来れる病」でやっと初回訪問。

【立地】

女鳥羽川(めとばがわ)の右岸、伊深(いぶか)集落の裏山で山麓には三才山峠や武石峠、田沢・会田へ通じる街道が走り深志(信府)の北辺の交通の要衝である。

伊深城(松本市) (142)
登り口正面で稲荷社西側に鎮座する若宮八幡宮。伊深城主の後庁氏の勧進とされ落城後は集落の氏神とされ今に続くという。

【城主・城歴】

「長野県町村誌」では「後庁大内藏ノ城址」として、「村の亥の方にあり。東西廿間、南北廿五間、回字形をなせり。小笠原の幕下、後庁大蔵之に在城す。天文二十二年(十九年の誤り)武田晴信の臣、米倉丹後急に之を攻む。後庁氏、主公長時に援兵を乞ふと誰も至らず、ついに破れて脱去せり。武田の持城となり、部下臣小宮山織部といふものに之を守らしむ。武田没落後、真田昌幸に属し、上田へ入城せり。其後小笠原氏城を穿ち、磧礎尚存せり」とある。

「高白斉記」の「天文十九年(15550)7月15日に、武田軍が「イヌイの城(犬甘城であろう)を攻め落とし、勝鬨(かちどき)をあげ村井の城へ帰ったところ、その夜の内に林大城をはじめとして、深志、岡田、桐原、山家の五城が自落した」という岡田の城が、この伊深城だと考えられている。

伊深城見取図①
小笠原領の山城に特有の長大な竪堀を多用する縄張。石積みも所々に散見できる。

【城跡】

●東尾根遺構

三方の斜面の傾斜はキツイので、若宮八幡宮の東の稲荷社から東尾根に登る道が大手道だったと推測される。
ここは尾根全体に十段程度の段郭を刻むオーソドックスな防衛方法で初期の普請であろう。登り土塁のような遮断壁を持つ郭4が最初の迎撃基地として機能していたようだ。

伊深城(松本市) (2)
東尾根の郭4の西側は竪土塁が築かれ、最初の侵入者を阻止する仕組み。

伊深城(松本市) (7)
郭4を見下ろして撮影。東尾根に殺到する攻城兵はここから出撃する僅かな守備兵に斃されるのであろう。

伊深城(松本市) (9)
東尾根は十段近くの段郭が連続する。尾根の形状によっては堀切よりも段郭のほうが防御性は高い。

伊深城(松本市) (10)
東尾根の鞍部に出る最終手前の段郭。

伊深城(松本市) (15)
東尾根の鞍部。ここに辿り付ければ、城の中枢部を遮断する堀切㋐まではなんとかと行けそうである。

●中枢部

東尾根と中枢部の接続箇所は堀切㋐と㋑の変則的な二重堀切で落差を付けて遮断している。南斜面に対して約100mの長さの長大な竪堀として南西尾根から延びる二重竪堀の㋘と㋙の先端部分に合流させて集合堀としている。
この竪堀を収斂させる手法は小笠原城郭群では、塔ノ原城平瀬城光城などの境目の城に見られ、長大な竪堀と二重堀切の組合せは小笠原城郭群の共通した特徴と言える。

伊深城(松本市) (21)
郭3から見下ろした堀切㋐。往時は土橋などは無かったはず。

伊深城(松本市) (25)
堀切㋐と郭3の連結部分には遮蔽する壁を盛土して狙撃を可能としている。

伊深城(松本市) (20)
堀切㋐の堀底から見上げた郭3との接続部分。この壁から侵入するのはかなりの困難であろう。

伊深城(松本市) (24)
郭3の虎口は石積みで固めている。

伊深城(松本市) (17)
南斜面に降る竪堀㋐。

伊深城(松本市) (28)
堀切㋑は片堀の竪堀で郭3の南斜面を一気に貫通するように下っている。

主郭防衛の最後の砦となる郭3、郭2、郭2‘との連結は切岸加工のみである。郭2と郭2‘の周囲には畝状竪堀が刻まれたようだが、キチンと確認は出来ないレベル。主郭周辺も含めて阻玖畝掘が確認出来れば、林小城並みの要塞であったと思われる。小生の目は節穴なので、是非貴方の目で確かめて欲しいものである・・・(笑)

伊深城(松本市) (30)
郭3から見た郭2と郭2‘。主郭の切岸もハッキリ確認出来る。

伊深城(松本市) (31)
西側から見た郭3.

伊深城(松本市) (32)
郭2から見た主郭の切岸。ここから郭2‘との間の西側へ回り込んで主郭に入ったものと推定される。

伊深城(松本市) (33)
しっかり削平されている郭2。

伊深城(松本市) (39)
湯郭から見下ろした郭2全景。

伊深城(松本市) (34)
南西尾根からの侵入に対して意図的に傾斜を付けている郭2‘

伊深城(松本市) (40)
主郭から見下ろした郭2‘。こうして撮影すると設計者の意図が見えるような気がしますw

●主郭

伊深城の戦闘指揮所(本郭)は30×15の段差のある楕円形で、北側と東側の縁に土塁が残る。石積みも所々に残っているが、散見する程度である。
主郭の背後の北尾根に対する防御はかなり厳しく、合計8本の堀切で執拗なまでに遮断している。その先に続く馬飼峠、稲倉峠からの敵の来襲に備えたものであろうことが推察できる。

伊深城(松本市) (35)
郭2‘の北側には主郭の虎口に続く通路がある。

伊深城(松本市) (36)
主郭周辺に散在する石積み。

伊深城(松本市) (42)
主郭の西側に開く虎口。

伊深城(松本市) (41)
主郭(30×15)。小生は主郭にこだわりなんぞ欠片もありません・・・(笑)

伊深城(松本市) (46)
城址から松本市街地方面を臨む。

伊深城(松本市) (47)
主郭の周囲には石積みが散見出来るが、林大城や林小城とは比較にならないほど少ない。

伊深城(松本市) (54)
主郭の東側に残る畝状竪堀の痕跡。

●北尾根の堀群

伊深城(松本市) (55)
主郭背後の堀切㋓の斜面。この斜度は尋常ではない・・・(笑)

伊深城(松本市) (56)
スパンと切り落とす堀切二重堀切㋓。ここの西側に追加普請した堀切㋒の意味は恐怖に対する対抗装置か?

伊深城(松本市) (58)
追加普請の堀切㋒。

伊深城(松本市) (59)
美しい二重堀切㋓。

伊深城(松本市) (60)
西の沢に長大な竪堀として落ちる堀切㋓。

伊深城(松本市) (64)
この城のハイライトはここから始まる8連の堀切であろう。

伊深城(松本市) (75)
二重堀切㋓に追加普請された堀切㋒。

伊深城(松本市) (77)
土手付き二重堀切の㋕。

伊深城(松本市) (84)
堀切㋖


伊深城(松本市) (93)
北尾根の最終堀切㋗。

●南西尾根

伊深城のウィークポイントは南尾根と東尾根の間の比較的緩い斜面なので、南西尾根の鞍部に竪堀㋘と㋙を穿ち、東尾根から下る竪堀の㋐と㋑を集合させて万全の守りとしている。

伊深城見取図①
記事が長くなっているので、再度見取図を掲載。

伊深城(松本市) (106)
中枢部の郭2‘と南西尾根の堀切㋘との間の斜面に石積みが確認出来る。土留めではなく防御用であろう。

伊深城(松本市) (109)
堀切㋘(上巾5m)

伊深城(松本市) (121)
最終の堀切㋙(上巾8m)

伊深城(松本市) (113)
尾根の脇から見た堀切㋙のシルエット。

伊深城から下山するときは、こ長大な堀切㋙の堀底を歩いて下るのがお勧めだ。途中で合流する竪堀㋐と㋑の豪快な景色が見れる。ただし、夏場は保障の限りではない・・(笑)

伊深城(松本市) (123)
ジグザグな竪堀として沢を下る堀切㋙。

伊深城(松本市) (126)
堀切㋙の堀底から堀切㋘を見上げる。凄い急斜面なのがお分かりいただけるでしょうか。

伊深城(松本市) (130)
ストレートに下る竪堀㋑も合流します。

伊深城(松本市) (132)
凄い斜面を急降下してくる竪堀㋐。

伊深城(松本市) (133)
其の後も巨大な集合堀として沢をくだっていく。堀を辿って歩くのは楽しいのでお試しあれ!

さて、つらつらと写真ばかりを多用してしまいましたが、伊深城は如何でしたでしょうか。

深志城に復帰した小笠原貞慶が、北の防衛ラインとして手を加え改修し、ここから更に刈谷原城一帯を抑え、北の会田領、麻績領に進出する足掛かりとしたようにも思えます。

≪伊深城≫ (いぶかじょう)

標高:916m 比高:200m
築城年代:不明
城主;不明
場所:松本市岡田
攻城日:2013年12月15日
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:30分
見どころ:土塁、堀切、長大な竪堀、石積み、段郭など
注意事項:この辺りは秋は松茸山で止め山になるので9月~10月末までの訪問は避けよう。
駐車場:神社に駐車スペースあり
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:稲倉城、早落城、三才山砦、横谷入城、茶臼城など
SpecialThanks:ていぴす殿

伊深城(松本市) (140)
東側に早落城(洞城)。赤沢氏の持ち城だったが、後庁氏が長時に頼んで強引に自分の城にしたという。

伊深城(松本市) (141)
北方に稲倉城(しなぐらじょう)と三才山砦。赤沢氏が武田方に降れば伊深城の後詰めはかなり厳しくなる。

伊深城(松本市) (143)
伊深城全景。

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Posted on 2017/07/08 Sat. 09:16 [edit]

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