らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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井川城 (松本市井川城 市史跡)  

◆女鳥羽川を越える事が出来なかった信濃国守護小笠原氏の北限の居館跡◆

信濃国の戦国時代を語るには、室町時代に守護を任命された小笠原一族の履歴・経歴を学ぶのは必須科目であろう。だが、この一族の信濃時代の動向についての研究は史料が乏しくなかなか解明しきれていないのが現実である。

先日も「信濃小笠原氏」(戎光祥出版 花岡康隆編者)を一読したが、あたしの単細胞のお頭の配線がタコ足状態となりイマイチ理解出来ない・・・・(汗)
ここはひとつ、小学生でも理解できる易しい解説に定評のある平山優氏の登場を密かに期待している次第である・・(笑)

今回ご案内するのは、守護の小笠原氏が風雲急を告げる戦国時代に備え、林大城に居館を移すまで本拠地としていた井川城。

井川城跡 (36)
松本市街地の中心地に遺構が残るとは信じ難いが、誘導看板がある。

なにせ、現在でもここの地名が「井川城」である。「深志」という地名も残るが「深志城」ではない。それだけでも充分凄いと思うが。

井川城跡 (35)
井川城の北側を流れる田川。天然の堀の役割であろう。この写真の左側が井川城の城域となる。

井川城跡 (33)
城域北側にある広正寺のあたりは「中小屋」と呼ばれていたので、館の一部だった可能性がある。

【立地】

松本駅の南側で、薄川と田川の河川が合流する所に位置する。城の名が示すように、このあたりは穴田川、頭無川などの小河川もあり、湧水、沼地等多く、平坦地ではあるがこれらの河川を自然の堀としているので、なかなかの要害の地である。

井川城跡 (26)
県指定史跡の指定に伴う発掘調査が終わった城域北側は、保育園が建設中でした。(もう完成していると思うが・・)

井川城跡 (28)
造成に伴い水路も変更を余儀なくされているが、嘗ての城の堀として利用されたと思われる。

【城主・城歴】 ※「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)P57説明文引用

「長野県町村誌」に「井川城墟」として「村之南方にあり。東西五十間、南北七十二間。櫓台高さ六尺、南北に六間東西七間三尺。本城址回字形をなし、東面なり。当城は正和年中(1312-16)正三位小笠原信濃守貞宗、当国の守護となり伊那郡松尾城より之に移り領す。同氏信濃守清宗まで七世居城す。清宗、金華山に城を建築し移る。以後衰廃せしを、寛正年間(1460-65) 小笠原氏再修築を加え林之城より兼持てり。永正元年(1504)小笠原氏族、島立貞永、松本之地へ移すの城墟なり。近き頃迄家臣黒田某之邸地辰巳の方に址あり、池ありて黒田釜と云う。今は田地なり。」として「井川古城墟有形之図」が載っている。
その図で見ると、頭無川と、それに続く北東の水路に囲まれた所を言っていて、民家が入り込んできているが、現状とあまり変わっていないことに気づく。

井川城跡 (22)
城域の西側は頭無川が自然の堀を成し防御構造となっている。

井川城跡 (21)
井川城の中心部(南側より撮影)

現地に建つ、松本市教育委員会の「松本市特別史跡」指定内容を見ると、「小笠原貞宗は建武の新政の際、信濃守に任ぜられ、足利尊氏に従って活躍し、その勲功の賞として、建武二年(1335)に安曇郡住吉荘を与えられた。其の後信濃へ国司下向に伴い、守護として国衛の権益を掌握し、信濃守護の権益を守る必要から、伊那郡松尾館から信濃府中の井川の地に館を構えたとみられる。

井川城跡 (16)
松本市の中心部にこれだけの広い土地が手つかずで残っているのは奇跡に近い。

井川館を築いた時期は明確ではないが、「小笠原系図」では、貞宗の子政長が元応元年(1319)に井川館に生まれたと記されているので、鎌倉時代末にはこの地に移っていたものと考えられるがはっきりしない。
井川の地は薄川と田川の合流点にあたり、頭無川や穴田川などの小河川も流れ、一帯は湧水が豊富な地帯である。現在の指定地は、地字を井川といい、頭無川が濠状に取り囲んで流れており、主郭の一部と推定される一隅に、櫓跡の伝承のある小高い塚がある。
地域に残る地名には、古城、中小屋のように館や下の丁、中の丁のように役所を示すものもある。またこれらの他に、中道の地名もあり、侍屋敷の町割り址、寺などの存在から、広大な居館跡が想像される」(平成11年3月)とある。

井川城跡 (18)
遺構として伝わる櫓台跡。(北側より撮影)

【館跡】

案内板の説明文にもあるように、頭無川が内堀の役目を果たし、穴田川や田川、薄川も外堀の役目をしていて、所々を水路を入れて防衛したことが分かる。その範囲は当初は、頭無川の囲むところあったと思われるが、何回かの改修を経てその範囲は広がり、広正寺のあたりまで拡張されたようだが、その縄張についてははっきりしない。

井川城とその周辺地図
井川城と深志城、その周辺の地図。館の立地と縄張の決定にあたりいくつかの河川が影響を与えているのが分かる。

宮坂武男氏は、小笠原氏の居館の位置が、井川城にしても林大城にしても、女鳥羽川を越えられなかった事に着目している。
深志城(現在の松本城)は、小笠原時代には家臣の守る支城が置かれた程度で、本格的な運用は武田時代である。
小笠原氏の政権基盤は南信濃であり、守護といえども豪族連合の盟主の立場は脆弱で、北信濃は村上氏、高梨氏が勢力を保持し、権力を盾に彼らの領域をを支配しようとするが、結果として大塔の乱(地方豪族が中央集権に対して反乱を起こした事件)に繋がっていった。

小屋城(村井城)を攻略し、その後深志城を拡張整備し郡代を置いた武田信玄はやはり格上であったのだ。

井川城跡 (12)
城域の南側の外堀としての頭無川。

井川城跡 (11)
櫓台跡。

IMG_0283.jpg
世間では、ここばかり強調されるが、周囲をキチンと見て歩く事も必要だと思うが・・・(汗)

≪井川城≫ (いがわじょう)

標高:585m 比高:-
築城年代:不明
城主;不明
場所:松本市井川城1-4452-ロ
攻城日:2017年2月5日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:-
見どころ:櫓台跡、周辺の河川
注意事項:耕作地、民家が混在するのでプライバシーには注意
駐車場:無し
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:松本城、林大城、林小城など

井川城跡 (4)
600年前の遺構が残るのも奇跡であろう。

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Posted on 2017/07/19 Wed. 23:26 [edit]

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