らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0917

苗木城 ①(岐阜県中津川市苗木)  

◆岩山の巨岩と石垣との組合せが見事な山城◆

最近は、岩村城よりも苗木城のが人気が高いらしい。どちらも堅牢な石垣が組まれた山城なのだが、限られた狭いスペースで天然の巨岩を利用し縣造(かけづくり)という独自の建物の構築法は、「狭いながらも楽しい我が家」という庶民感覚に迎合したらしい(笑)

我ら信濃先方衆、日頃は土木構築物ばかり見ているので、久々の近世城郭の石垣は感動を新たにしてくれるので有難い。

苗木城 (165)
隅から隅まで見て回って史料館まで見学して3時間も滞在した苗木城。楽しかった・・(笑)

【立地・城主・城歴】

中津川市内を東西に流れ貫く木曽川の右岸、一段と高くそびえる高森山(432m)にある。木曽川から天主跡までの比高は約170mあり、自然の地形を有効に利用した山城である。

苗木城の築城時期については、一説に大永六年(1526)頃とされている。その後戦国の動乱の中で遠山氏は苗木城を追われますが、関ヶ原の戦いの後再び城主となり、以後明治維新まで十二代にわたり苗木城を治めた。

苗木城見取図全体
苗木城の建物配置図。明治の廃藩置県の時まで全て現存していたが、建物が払い下げられ解体されたという。残念な事である。

【遠山氏と苗木領】

中世の苗木領は現在の中津川市苗木・坂下・福岡・蛭川地区が含まれていたと思われる。鎌倉時代より地頭としてこの地を治めていた遠山氏は、戦国時代になると高森山(城山)に城を築き、織田氏・武田氏と縁戚関係を結び勢力を広げた。

本能寺の変の後、豊臣氏に従わなかった遠山氏は一時城を追われ、徳川氏に身を寄せた。関ヶ原の戦いに先立ち、家康より旧領奪還を命じられ、苗木城を取り戻し、この功績により苗木領一万石余を賜る。
これにより遠山氏は苗木領主として、初代友政から十二代友禄にわたり一度も国替えが無く、江戸時代を通してこの地を治めた。

苗木城 (3)
駐車場から竹門に入ると「切込石整層積み」という石垣に囲まれた足軽長屋の郭が現れる。

苗木城 (4)
足軽長屋跡。足軽が城に出仕する時は必ずこの場所に立ち寄る決まりになっていたという。

苗木城 (6)
「おお、あそこが天主台か・・・」足軽さんたちが毎日眺めた風景でも我々には感動ものであった。

苗木城 (13)
小里城もそうだったが、やたらと「マムシ注意」の看板。岐阜県の城にはそんなに多く生息しているのか?

苗木城 (14)
風吹門への通路の北側には天然の巨岩と「谷積み技法の石垣」の組合せが続く。「おら、ワクワクすっぞ!」(笑)

苗木城 (15)
石垣フェチにも人気の苗木城。全部で6Typeの石積みが観察できるそうな。

苗木城 (19)
長大な堀?と思いきや、後世に作業道として盛土されたんだね。我々は天邪鬼(へそ曲がり)なので、作業道経由で二の丸突入。


【二の丸~的場~不明門~清水門】

ここからは解説が面倒だし、写真をツラツラとアップするのが得策(ものぐさともいう)なので、当日我らが辿ったルートに沿ってみてみましょうか・・(笑)

苗木城二の丸付近
そうは言っても見取図が無いとどこなのか分かりませんよネ。

苗木城 (21)
風吹門と二の丸の接続部分の石垣を西下方面から見上げる。複雑な折れを伴う「切込石整層積み」という技法。惚れ惚れ(笑)

苗木城 (23)
二の丸から見上げた大門の石垣。大門と附属する建物が並んでいた。この石垣は「切込石整層積み」と呼ばれる。

苗木城 (24)
現在は通路のようになっている二の丸だが、往時は目一杯建物が林立していたようだ。

苗木城 (31)
別の角度(二の丸の西端、的場手前の住居跡)から見た本丸口方面。

この城には、的場(まとば)が二ヶ所あり、一つは本丸下の東側に、そしてもう一つは二の丸の端に位置する。日頃から軍事訓練を怠らなかったようである。

苗木城 (34)
二の丸端にある的場。この辺の石垣は最近修復されているようである。

苗木城 (37)
的場の石垣も違うタイプの2面で構成されている。

苗木城 (45)
不明門に続く岩場にも徹底して石積みが敷かれている。


●不明門跡(ふめいもん あかずもん)

苗木城の縄張りの南西隅の一段低いところにある門で、往時は二階建てだったという。二階部分は物置で床下となる一階部分は門であった。幅約一間の通用口の両側は石垣で、高さは最大で3.2mほどあるという。
普段は締め切られ忍びの門であったというが、城外に通じるルートは定かでは無いという。

苗木城 (48)
両側を石垣で囲んでいる不明門。

苗木城 (50)
不明門とその周辺の石垣は「切込石整層積み」タイプだ。

●清水門(しみずもん)・八大龍王

不明門から東へ進むと、城の南口である清水門に接続する。ここは城内を仕切る門で、門の北側の岩場には清水が湧き出ていてどんな時も枯れる事が無く、水場として利用されていたという。
また門の北側には遠山家の守り神とされる八大龍王の祠が明治になってこの場所に移設されたという。

苗木城 (54)
城内を東に進むと清水門跡と八大龍王の祠。

苗木城 (56)
正面から見た八大龍王の祠。

そろそろ飽きてきたので、続きは「苗木城②」で・・・(笑)

また写真を並べるだけの記事なので、あまり期待しないでくださいネ(爆)










Posted on 2017/09/17 Sun. 14:26 [edit]

CM: 0
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top