らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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小里城山城 (小里城 岐阜県瑞浪市稲津町)  

◆未完に終わった不等辺六角形の天主台に聳える望楼◆

瑞浪市に所在する小里城(おりじょう)は、正確には「小里古城」・「小里新城」・「小里城山城(または本城)」の三ヶ所が別々に存在している。

今回我々信濃先方衆が「美濃弾丸ツアー」で訪問したのは山上に天主台を持つ「小里城山城」。美濃でどうしても見たかった城の一つであり、ようやく辿り着けた。

小里城 (1)
この日のラストに比高177mにチャレンジとは我々らしいチョイスで「足が高鳴る瞬間」である・・(笑)

【立地】

小里川が木曽川と合流する瑞浪市の中心部から約3km南にあり、山岡の渓谷を流れてきた小里川が小里盆地に出る手前の独立峰に位置する。小里川の谷に沿った道を東に向かえば明智や岩村方面に通じ、瑞浪と東美濃の各地に繋がる交通・軍事上の要衝でもある。

小里城 (3)
上り坂を進むと見事な石組みがお出迎えしてくれる。

小里城 (100)
西側の奥にも石組みが見られる。

小里城 (6)
後で見ようと思って忘れてしまった西側の段郭方面。

【城主・城歴】

築城時期については、天文三年(1534)に小里忠光によって築城され、以後小里氏の居城となったと伝えられるが、「小里家晋」には、天文八年(1511)生まれの光忠が22歳の時に居住を小里に定めた旨の記載があることから、天文元年(1532)の事とも考えられる。

戦国時代末期の天正二年(1574)には織田信長が改修を命じ、池田恒興を置いて対武田戦の最前線として重要な役割を担ったが、その改修工事の内容は明らかではない。その後、小里氏は一時期小里城を退去するものの、慶長五年(1600)の関ヶ原合戦後、再び小里城を居城とし、山麓部の御殿場跡を陣屋・居館とするために改修を施したものとみられる。

現在も本丸曲輪(山頂部)ならびに御殿場跡(山麓部)には曲輪(平坦面)や石垣などの遺構を確認出来る市内唯一の近世城郭である。御殿場跡が陣屋・居館として使用されたのは20年程度という短い期間であったが、それ故に江戸時代初頭の陣屋・居館の姿をよくとどめている。
なお、山頂部の石組みや石垣が築かれた時期は明らかでなく、今後の調査・解明が期待される。

※以上、小里城顕彰会・瑞浪市観光協会のパンフレットより引用

小里城 (99)
縄張図を描くのも面倒なので、この現地案内図を引用させていただきますネ。

【城跡】

城の主要部分は登山口に近い御殿場跡の部分と城山の山頂部分、御殿場跡の東側の尾根の東砦跡の三ヶ所から構成されている。また、御殿場跡と小里川の間の山之田地籍には城下町の存在が考えられる。

●御殿場の遺構

伝大手門跡

小里城 (8)

御殿場跡の中でも最も規模の大きい中段の曲輪の北側に設けられた虎口(入口)で、下段の曲輪とを併せて桝形形状を呈している。両側には高さ2m程度の石垣を築いており、石垣には主に自然石を用いていが、、隅石には矢穴を穿った割石を用いている。向かって右側(西側)の石垣は修復がなされているようであるが、左側(東側)の石垣はほぼ原形をとどめている。

小里城 (20)
修復された西側の石垣。

小里城 (19)
往時の原型を留めているという東側の石垣。

●居館跡

御殿場跡は大きく三段の曲輪(郭)からなり、最も上段の曲輪と中段の曲輪では発掘調査が行われ建物の礎石や石組みの溝が確認されている(発掘調査は平成13年~17年に実施)
また、発掘調査では江戸時代初期(17世紀初頭)の陶磁器片や金属製品等が多数出土しており、これらは光親が旧領を回復した慶長五年(1600)から光重が没する元和九年(1623)にかけて使用されたものと考えられる。

小里城 (21)
最上段の御殿場跡。

小里城 (23)
御殿跡の石組みの井戸跡。井戸跡は中段の曲輪にもあります。

小里城 (28)
そういえば、このような石碑がお好きなブロガーさんもいましたよね。

小里城 (7)
登り口からみた曲輪3の切岸。

●東砦跡の遺構

御殿場跡の東側の尾根部においても、近年、小規模ながら曲輪や堀切などが確認されている。発掘調査が行われていない為、いつ頃築かれたものかは明らかではないが、築城時から戦国時代にかけてのものと推測されている。

小里城 (12)
東尾根に築かれた砦跡。看板は中心の広めの郭跡に立つ。

小里城 (18)
御殿場跡と東砦の間には馬出のような広い空間がある。

●本丸曲輪(山頂部)の遺構

「なんかオレ、ワクワクすっゾー」(野沢雅子のドラゴンボール風に・・・笑)

我々は険しい山城がお似合いである・・・・その使命感がある・・・・比高177mは序の口であろうか・・・・(笑)

小里城 (31)
途中の巨岩を乗り越えて進む。左後方に山頂部が見えるが、結構遠いなあー・・(汗)

小里城 (33)
尾根の長さに閉口しつつもなんとか大手曲輪に到着。

天主台

山頂部の平坦面は本丸曲輪などと呼ばれ、その最高部には天主台・桝形などと呼ばれる不等辺多角形の石組みが残され、周辺には石材を割るための矢穴が彫られた石材が散乱している。
この石組みは、これまで安土城との類似性が指摘され、安土城天主の試作であるともいわれているが、後世の修復を受けているため、築かれた時期や目的については明らかではなく、今後の解明が期待される。

小里城 (49)
北西部分から見た天主台。R部分で角度を変えている。

小里城 (50)
穴蔵式天主台の北側。

小里城 (53)
天主台の北側正面。

後日、家に帰ってよくよくパンフレットの文言を読むと(上記説明分の河川部分)「後世の修復を受けている」とあり、当日は感動のあまりろくに読まなかった天主台の前の説明板には、天主台入口に建つ石板の文字が転記されていたのだ。
そこには、
小里城 (58)

「・・・草にうずもれて影もなかったものを村民有志は本城の清掃枡型の復元を思い立った。」と書いてあるのだ。この石碑は昭和二十九年に建てられているので、おそらくその時の復元らしい。

てっきり往時の石垣が風雪に耐えて今日まで残っていたのだと思っていたので、少し落胆した・・・・(汗)

復元前の状態がどの程度だったかは知る由もない。何の資料や図面をもとに復元したのだろうか?

不等辺多角形(外側は六角形、内側は五角形という変則型)の石組みは安土城を意識して計算されて再現したのだろうか?

小里城 (63)
天主台の東側に鎮座する城山神社。

小里城 (71)
西側の天主台。内側、外側とも曲げている。

小里城 (73)
天主台の南側の処理。外の石垣はRを付けて面を分けているが内側は直線だ。

小里城 (88)
上の写真を南側の正面から見るとかなりの角度で多面形を形成しているのが分かる。これも後世の造作だろうか?

村人の熱き心で復元された石組みを猜疑の目で見るのは申し訳ない。天主台の石垣は間違いなく存在していて、四百年の風雪により崩れたのは事実だとして、せめて復元前の状況図は無いものだろうか・・・(汗)

これは憶測だが、破城で石垣が取り崩された、というのは考えられないのだろうか?

小里城 (55)
北東隅の石組みは天然の巨岩を利用したものである。

本丸周辺の曲輪と石垣、散乱する石材

山頂部には本丸曲輪以外にも複数の曲輪(平坦面)が確認されており、各所に石垣がのこされている。いじれも自然石に近い石材を積み上げているが、中には矢穴が穿たれた石材が確認でき、山頂部で割り出されたものとみられる。

小里城 (57)
東へ続く平坦地。

小里城 (66)
本丸曲輪から見下ろした二の曲輪

小里城 (75)
二の曲輪には、石材が掘り出され加工を待っていたようだが、途中で放棄されたのだろう。

小里城 (81)
麓から石を運び上げるよりは山上で原材料を調達するのが楽だが、その労力は凄まじいものがある。

小里城 (46)
大手曲輪を上ると二の曲輪(現地説明板)を経て虎口となる。

小里城 (47)
虎口より見下ろした二の曲輪。

小里城 (94)
大手曲輪を守る石垣。往時のものであろうか。

織田信長は、長篠の戦いで武田勝頼を破ると直ちに岩村城奪還作戦に移り、攻撃群の総大将としての信忠の本陣として、また信長の宿所となるように、信長が自らが指図して工事をしたという。(「濃州小里記」「小里家譜」)
しかし、岩村城が天正三年(1575)12月21日に落城すると、小里城の改修工事はその必要が無くなり打ち切られたという。

小里城 (96)
山頂から見た小里盆地・瑞浪市方面。

打倒武田と、そしてその先にある天下一統の志を持った信長が、この小里城にどのような望楼を建ててその意思を示そうとしたのか、考えるだけでワクワクすっゾ!(笑)

まあ、現地の現場監督を命じられた池田恒興氏の焦りと恐怖心もハンパなかったでしょうネ。

皆さんも是非ワクワクしながら、その目で見て確かめて観てくださいネ。

≪小里城山城≫ (おりじょうやまじょう 小里城)

標高:404m 比高:177m
築城年代:不明
築城・居住者:小里氏
場所:岐阜県瑞浪市稲津町小里城山
攻城日:2017年7月30日 
お勧め度:★★★★★ (満点)
本丸までの所要時間:御殿場跡より20分 駐車場:あり
見どころ:不等辺多角形の天主台、麓の居館跡など
注意事項:特になし
参考書籍:瑞浪市観光協会パンフレット
付近の城址:小里古城、小里新城、鶴ヶ城など
SpecialThanks:ていぴす様

小里城 (83)


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Posted on 2017/09/02 Sat. 16:01 [edit]

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