らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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真田氏の山城ネットワークの近況 (上田市真田町)  

◆中世の山城入門者にお勧め「真田氏の山城・居館巡り」◆

父親の一年忌が1月5日なので、新年のご挨拶は遠慮させていただきますが、本年も宜しくお願い申し上げますw

さて、年末年始になると「城納め」だとか「城初め」がtwitterで賑わうので、小生も大晦日・元旦と真田氏の山城を巡ってみました。

「懐かしいなあー」と思う方や「これから行ってみたいなあー」と思う方も、しばしのほどお付き合いくだされ・・・(笑)

また、各お城の詳細や場所を知りたい方は、小生のブログ内の「検索欄」に城名を入れて検索していただくとヒットするかもしれません・・(汗)

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天白城の名物「岩盤大堀切」

【尾引城】

登り口から5分もあれば主郭に辿り着きます。城正面を数段の段郭で防御し、城の背後は三重の堀切で遮断。尻尾のような尾根先にも小さな段付き郭を置いて搦め手に備えています。(この先を登ると詰めの城の横尾城へ)

この城は、対岸北側の根小屋城と共に松代街道を監視し、同時に東側の打越城(おっこしじょう)との間にある内小屋(現在の信綱寺のあるかつての居館区)を防御する役割を担っていたと考えられます。

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真田丸のおかげで山城の入口には説明板が最近設置されました。
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主郭には秋葉神社が祀られている

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主郭背後の三重の堀切

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堀切から主郭を見上げるとこんな感じ

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東に真田氏本城がよく見えます


【根小屋城】

こちらも登り口から15分もあれば主郭に着きます。尾引城と同様に正面に数段の腰郭を置いて備え、背後は深い二重堀切で遮断しています。残念ながら堀切を含めた搦め手方面は深い笹薮で覆われ詳細の確認は難しくなっています。
村上氏砦でしたが、村上氏退去後は武田氏の山県隊寄騎の大熊備前守朝秀(嘗ては謙信の家臣)がこの城を守ったと伝わります。

主郭(高い城)のある場所から南の沢を挟んだ対岸に副郭(低い城)を置くこの地域の山城では珍しい縄張が特徴です。
低い城の探訪者は少ないので、この城へ来た際には是非寄ってみてください。

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登り口にある説明板。背後の川は「神川」(かんがわ)

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虎口の石積み

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主郭。おっと、城代家老がいらっしゃるようですよ・・・。

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「こんにちわ!またお邪魔しますんで、宜しくお願いしますネ」

城址は大熊氏の筆頭家老のカモシカさんの生活空間なので、冬場は大抵お目にかかる事が出来ます。
しばらくすると退去してくれますが、機嫌の悪い時はどいてくれないので、そんな時は無理せず退却しましょう。

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対岸の尾引城、横尾城。遠く真田氏本城も見える。

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対岸の低い城。石碑と東屋が見える。ここには明確な遺構がある訳ではなく、その後信仰の場所として使われたらしい。

【洗馬城】

根小屋城から松代街道を西へ進んだ大庭地区にある山城。小学校のある場所は「萩の館跡」と伝わり真田氏の出自に関係した居館らしい。洗馬城(せばじょう)は海野氏方の千葉氏(せばし)が守った城とされ、村上軍との戦いにその名が出てくるという。

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登り口の説明板。

城の正面に複数の腰郭を造作して防御とし、主郭の背後に堀切を穿つ手法は近隣の他の山城と同じ手法である。

但し注意して欲しいのは、この主郭の西尾根を遮断するのは古道の「乗越」(のりこし)であり、大堀切ではない。登り口の上田市教育員会の説明板も大堀切としているが、間違いであろう。もう一つ北側に続く尾根には小さな堀切が二ヶ所ほど確認出来る。

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主郭。かつては土塁が周回していたと推定される。

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この城の記事でほとんどの方が「巨大な堀切」と紹介している西尾根との乗越。麓の神社と実相院を結ぶ山道のピークで自然地形であろう。

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もう一方の主郭の背後の北尾根には二条の堀切が確認出来る

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西に奥まった位置なので、尾引城を介さないと真田氏本城との直接の連絡は難しい。


【真田氏本城】

大晦日だというのに数台の県外車と見物人が訪れていたのには驚いた。この場所に立つと、ここが有事の際における真田氏の山城ネットワークの戦闘指揮所なのだという事がハッキリ分かる。
果樹園として大きく改変されてしまった城の半分は最終形だったはずなので、今日見ることが出来ず残念である。
それにしてもここからのロケーションは素晴らしい。

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遠い昔のように思える「真田丸」(笑)

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主郭背後の高土塁は防御と共に敵から本郭を隠す役目を担っている。

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東には天白城の雄姿。斜面が伐木されたので、主郭背後の大堀切が竪堀となって斜面を下る様子が観察できる。

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松代街道もキッチリと動向が確認出来る。(洗馬城は見えない)

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もちろん、戸石城やその支城の伊勢崎城(虚空蔵山)も。

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上州方面の有事の対応も怠りなく。

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主郭と背後の高土塁。

【打越城】(おっこしじょう)

信綱寺の前身は打越寺(おっこしじ)といい、元々横尾氏の菩提寺であり、その周辺は内小屋と呼ばれ居館元々があったと推定される。信綱寺の黒門がある尾根は打越城と呼ばれ、内小屋の東側を防衛する砦として南の尾引城と共に重要な役割を担っていたという。

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黒門の東側の駐車場に説明板があります。

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信綱寺の表参道となっているこの尾根は嘗ての砦跡と知る人は少ない・・・(汗)

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黒門の先を尾根伝いに進むと墓地を抜けて尾根の最高地点の主郭へ。この先は堀切が一条あるのみだ。

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打越城の西側の駐車場より見た真田氏本城。


【真田氏居館】

地元では御屋敷と呼ばれ、真田幸隆・信綱が居住したと伝わる。信綱が長篠の戦で戦死した後は正室の北の方が住まわれ、勝頼の命により真田家当主の座を継いだ昌幸は戸石城のある伊勢崎で政務を執ったという。
台形の巨大な居館は土塁が全周し東には堀、北側は大沢川が天然の堀を形成している。
上田城築城後、この居館の荒廃を恐れた昌幸は神明宮を勧進し現在に至っている。

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西側の巨大な土塁。堀は耕作地化により埋められたか?

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搦手となる北側は大沢川を天然の水堀として防御している。

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居館の東側に鎮座する皇大神宮。

【天白城】

真田氏本城のすぐ南の山の尾根先に築かれた砦で、里伝では信綱が居館造成に際して新たに築城したという。
城の正面に段郭を重ね、主郭の背後は岩盤を叩き割った上巾8m程の大堀切が北の斜面に向けて巨大な竪堀となっている。
主郭の周囲を石積みで囲み小さいながらも加工度の高い砦である。

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麓の北赤井神社。ここから城跡へ登る。

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主郭を囲む石積み

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石積みその2

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主郭(16×13)

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北側から見た岩盤大堀切。見事だ。

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巨大な竪堀となって北側の斜面を下っていく

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真田氏本城も指呼の間である。

天白城が何故ここに築かれたのかは、ここから一望できる景色が答えを出している。
本城からは見えなかった洗馬城も含めた真田山城ネットワークがここからは全て把握できるのだ。

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松尾城と遠見番所。

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寒さも忘れてしばしその圧巻の風景に感動だ!(笑)

さて、如何でしたでしょうか?

年末年始を山城とともにお送りしてみました・・・えっ?松尾城と遠見番所も行けって?・・(汗)

この時期にどうしても訪問したい方はそれなりの装備とスパイクピン付き長靴は必需品です。
比高は天白城の140mがマックスですが、雪と氷、それに落ち葉の積もった道は低い場所でも危険が伴いますので、春先が良いといます。

では、リクエストにお応えして松尾城の写真を2枚。(2016年1月2日の撮影・・・・笑)

松尾城201612 (26)

松尾城201612 (32)


















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Posted on 2018/01/03 Wed. 14:22 [edit]

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