FC2ブログ

らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0220

祢津下ノ城2 (リテイク 東御市祢津)  

◆圧巻の長大な土塁付き二重竪堀で武装された東信濃を代表する堅固な山城◆

このところリテイク記事が続き、過去の自分の呪縛から逃れようとする日々が続く・・・(笑)

そんな事をやり始めたら、過去記事を全てリニューアルする羽目になり無限ループの連鎖が始まる・・・(汗)

それでも、「山城は幾度となく再訪することで新たな発見もあり、往時の本当の姿に近づく事が出来るかもしれない・・・」

今回ご案内するのは、幾度となくアテンドした山城マニア垂涎の隠れた名城「祢津下ノ城」(ねつしものじょう)である。

IMG_5015.jpg
西側より見た祢津下ノ城の遠景(東御市海善寺より撮影)

今回も縄張図を新たに描く気力などないので、宮坂武男氏の図面を引用させていただき現地で撮影した写真をもとに解説したいと思う。

祢津下ノ城縄張図①
著作権は作図者の宮坂武男氏に帰属します。無断転載はご遠慮ください。

【大手門】

登城口から整備された遊歩道をしばらく登ると、左右に土塁を伴う横堀が現れる。
東側の横堀の端は登り土塁も確認出来、その防御の厳重さからこの場所が恐らく往時の大手門であったと思われる。

IMG_4872.jpg
大手口から東側の横堀。(真横から撮影)

IMG_4874.jpg
全体を把握するために斜め上から見下ろして撮影。

IMG_4877.jpg
大手口と左右の横堀防御を斜め上から撮影。東側の横堀の土塁は一部を残すのみ。

IMG_4875.jpg
東側の横堀の先は横移動を制御する登り土塁が確認できる。(同色で見づらいため補助線使用)

【桝形門】

大手門からさらに登り数段の段郭を経ると、急坂を屈折させた左右に土手を伴う狭い場所となる。この場所が恐らく桝形門で、主郭に至る攻城兵を阻止する最終防御ラインであろう。

ここは元々あった帯郭を改修し桝形虎口を開けて土塁を築いて門が置かれたと考えられる。現在遊歩道はこの桝形門の接続する帯郭から直接本郭に通じているが、これは公園化に伴う後世の改修で本来は別の通路があったと考えられる。

IMG_4879.jpg
下から見た桝形門。石積みが散見される。

IMG_4880.jpg
桝形門の左右の土塁は石積みで補強されていたと推定されるが、後世の改修による破損が酷く往時の状態は不明だ。

IMG_4881.jpg
全体像を分かり易くするため桝形を少し登った場所から見下ろして撮影。公園化整備と桜の植樹のため遺構が改変された可能性がある。

【主郭】

南に石積みで補強された虎口を開ける場所以外は土塁が全周していて、主郭背後はかなりの高さがある。一般的には背後の堀切の高低差を稼ぐためと思われがちであるが、それだけではなく、中枢部である主郭を敵に見通せないようにした工夫だともいわれている。

IMG_4883.jpg
正面虎口から見た主郭。オレンジシートは烽火リレーイベント用のドラム缶の保護用。正面奥の土塁が一段高くなっている。

IMG_4884.jpg
主郭背後の高土塁から撮影した主郭全景。

IMG_4885.jpg
主郭虎口の石積み。南側に虎口を開けているが、守備側の実際の出入りは背後の堀切を経由させたものであろうか。

【主郭背後の処理】

信濃の山城の主郭背後はそのままストレートに大堀切で断ち切るケースが多くみられるが、祢津下ノ城は主郭背後に武者溜りのような平場を設置した後に大堀切で断ち切っている。これは、背後の尾根に連続する郭と堀切の高低差を意識したもので、ここに伏兵を置き攻城兵を狙撃させるような意図を感じる。或いは桝形門から北へ回り込み、ここから主郭へ出入りをさせたのかもしれない。

IMG_4891.jpg
郭2から見た主郭背後の防御処理。

IMG_4887.jpg
堀切㋐。

IMG_5036.jpg
堀切㋐を東斜面から撮影。竪堀としてそれほどの長さは無いが、他の堀切との兼ね合いならばこの程度で充分であろう。

堀切㋐の先には長方形の郭2と扇形の郭3を落差のある切岸で接続させている。郭3の西側の斜面は堀切㋔が竪堀となって接続し攻城兵の移動を制限している。

IMG_4894.jpg
郭2。

IMG_4895.jpg
郭2から見下ろした郭3。

IMG_4897.jpg
郭2と郭3の接続部分の切岸。かなりの落差があり階段が無ければ登れない・・。

IMG_4898.jpg
郭3の西側に接続する竪堀㋔。

【長大な二重竪堀を基調とした搦め手の堀切群】

この城の最大の見どころは、搦め手から東斜面を麓まで這う石積み堀底土塁付きの長大な二重竪堀と搦め手を守る竪堀群とのコラボであろう。

滋野一族とはいえ、祢津氏がこの山城にこれだけの土木工事の人的・物量的投下が可能だったのかは疑問が残る。

仮説を立てるとすれば、天正壬午の乱で北条方への従属を決めた祢津氏に対して、信濃へ侵攻した北条軍が北信濃への前線基地として祢津上ノ城を駐屯地として整備し、その守りとして祢津下ノ城を改修したという事はかんがえられないだろうか?
そんな想像も楽しいものである。

祢津下ノ城縄張図①
またスクロールして戻るのも大変だと思うので縄張図に再登場願った・・・(笑)

IMG_4896.jpg
郭3から見下した郭4との間の堀切㋑。上から見るとW型の折れを伴う変則的な堀で東斜面で二重竪堀と連結し収斂する。

IMG_5019.jpg
郭4に接続する「池」。ここは後世の改変による造作で「水の手郭」ではないらしい。この日は池の水も無く歩いて横断できた。

IMG_5018.jpg
搦手の最終で西斜面を豪快に下るW堀切の㋕と㋖。ため息ものですw

IMG_5017.jpg
東斜面に対して竪堀となる堀切㋓。本来は㋖と繋がっていたものであろう。

IMG_5023.jpg
堀切㋑と㋒。尾根を分断する竪堀は全て東斜面の巨大な二重竪堀に収斂(しゅうれん)する。芸術的な美しさだ。

IMG_5027.jpg
二重竪堀との合流地点から見た堀切㋑と㋒。

IMG_5026.jpg
堀切㋒。残雪に埋もれた石積みが見えるでしょうか?竪堀の両サイドの土塁は石塁で補強された堅固なものです。


【東信濃では珍しい集合竪掘と石塁で補強された二重竪堀】

中信濃では小笠原系の山城に多く見られる集合竪堀だが、東信濃では上田市の室賀にある竹把城ぐらいで非常に珍しい。更に二重堀切の堀底土塁だけでなく外側の土塁にも石塁を伴うのはかなり特殊である。
周辺の他の山城には見られない特異な防御システムとその設計はこの城の重要性を物語っている。

IMG_5028.jpg
東斜面を長大な竪堀となり麓まで下る二重堀切。そのシルエットの美しさには言葉が浮かばない・・・。

IMG_5032.jpg
石塁で補強されている堀の外側の土塁。

IMG_5052.jpg
途中林道により二重竪堀は2ヶ所寸断されているが、この写真は上側の寸断ヵ所からの撮影。

IMG_5053.jpg
林道の上側の寸断された二重竪堀の下方向写真。これだけ残っているのはある意味素晴らしい。

IMG_5055.jpg
林道の下側の寸断された場所から見上げた二重竪堀。この土木工事量は凄い。

IMG_5056.jpg
上記場所から見た斜面下の写真。

今回のリテイク解説はここまでとしたいが、紛れもなく東信濃を代表する中世の山城である。この地域では珍しい輪郭方式の縄張りと、斜面を這うように作られた長大かつ巨大な二重竪堀は戦国末期の改修のテイストを充分に堪能出来る秀逸さである。

一度と言わず二度、三度と訪れて欲しい山城である事は間違いない・・・・。

IMG_5043.jpg
抜群のロケーション。

≪祢津下ノ城≫ (ねつしものじょう )

標高:826m 比高:130m
築城年代:不明
築城・居住者:祢津氏
場所:東御市祢津
再踏査日:2018年2月4日・11日
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの所要時間:10分
駐車場:登山口脇に数台のスペースがあるが、途中の道路が狭く急坂ですれ違いも難しいので城前集会所を借りよう。
見どころ:東斜面を下る長大な二重竪堀、主郭背後の堀切群、大手門、枡形門、主郭周囲の土塁・石積など
注意事項:林道経由で搦め手まで登るなら軽のオフロード4WD以外は無理なので注意。
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」(縄張図)


登り口はここ。

IMG_5041.jpg

Posted on 2018/02/20 Tue. 22:27 [edit]

CM: 10
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top