らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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多胡城 (長野市田子)  

◆若槻氏一族の多胡氏に関連する砦か◆

次男の慶事で多忙を極め、山城訪問のスパートもかけられずGWに望みを託しているが、連日の気温の高さに閉口するばかり。

過去の訪城写真を見ながら薄れゆく記憶を呼び覚まし、「ここは何処?私は誰?」と自問自答しつつ記事を更新したい・・(笑)

今回ご案内するのは、ショートカットが裏目となりタラノ木が密集する雑木林を徘徊して遭難するかと思った多胡城でございますw

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悪戦苦闘して辿り着いた多胡城の主郭。

【立地】

長野市から豊野を抜けて野尻湖へ向かう千曲川の左岸の三登山(923m)の東の裾野にあり、髻山城若槻山城の中間地点に築かれた砦である。

登路は多少遠回りになるが、麓の地蔵院から百体観音の石仏を数えて徒歩で登るのが良い。

小生は宮坂武男氏の語録に従い、西側の三千寺を目指しジムニーで林道経由のショートカットの道を辿ったが、観音堂への道はほぼ消失しジムニーを捨てて徒歩で向かうも、身の丈以上の棘科の植物が密集する地帯を藪漕ぎする羽目となった。

帰りの道をロスしないためにビニールテープを目印の木に巻き付けるのは久々であるが、ここで遭難する訳にもいかない・・・・。

多胡城(長野市) (3)
ようやく辿り着いた郭の北隅には新しい観音堂が建てられ、長野市指定文化財「木造聖観音菩薩立像」が安置されている。

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郭の中央部分。観音堂の勧進により改変されたのであろうか。


【城主・城歴】

城址の東隣に多胡氏の居館跡が伝わる事から、多胡氏関連の砦と思われるが、そのことについての資料は不明。
多胡氏は若槻氏の一族で村上義清方に属していたという。、この地域には多くの砦があり、甲越紛争の際にも大いに利用されたのであろう。

多胡城見取図①
縄張りは土塁が囲む単郭のみの単純な物見砦の構造。

多胡城(長野市) (4)
郭の中央には巨大な石塔があり、その周囲の土塁の上には夥しい石仏が列をなしている。

【城跡への行き方】

「信濃の山城と館②」において宮坂氏は「登るには、西側の三千寺への道から入ると楽である」と記載しているが、15年前の話なので、現在この道を実践すると痛い目に遭う。ってか、道形も消えかけているので行けば遭難する。

小生は城跡の西側の農道の脇にジムニーを捨てて歩いて城跡を目指したのだが、タラノ木の密集する雑木林に行き手を塞がれて体中刺されまくるし道は消えるし大変な目にあって何とか城跡に辿り着いた。ここは地蔵院から参道を登るべし・・・(汗)

多胡城(長野市) (6)
曲輪の東側には、麓の地蔵院からの参道がしっかり付いているので、多少時間がかかろうともここを登るのが良い。

多胡城(長野市) (8)
郭の南側から見た郭全体。

【城跡】

無数の石仏に囲まれた観音堂の立つ郭は48×10の「広さがあり、西半分は土塁で囲まれている。
堀切や石積などの防御も持たないことから物見砦程度の役割だったと思われる。
現在は雑木林等で眺めは悪いが、枝を取り払えばかなりの眺望があったものと推定される。

多胡城(長野市) (10)
土塁の上に並ぶ石仏群。

多胡城(長野市) (21)
郭の西斜面の切岸。藪漕ぎの先にこの建物が見えた時は何故かとても嬉しかった・・・(笑)

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当日のGPSのログ(軌跡)。このルートは危険なのでお勧めしません・・・(汗)

≪多胡城≫ (たごじょう 観音山) 

標高:523m 比高:105m (地蔵院より)
築城年代:不明
築城・居住:不明
場所:長野市田子
攻城日:2016年5月5日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:林道より20分
駐車場:無し(地蔵院様にお借りしましょう)
見どころ:土塁、石仏など
参考文献・書籍:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
注意事項:西側のショートカットルートは推奨しません。地蔵院より登りましょう。
付近の城跡:多胡氏館、土京城、鐘撞堂山、若槻山城など

多胡氏館(長野市) (35)
東麓の多胡氏館跡から見た多胡城。比高105mと言っても結構な高さであることが分かる。

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Posted on 2018/04/26 Thu. 21:44 [edit]

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