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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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細萱氏館 (安曇野市南穂高)  

◆在地土豪の中世の居館を今に伝える貴重な遺構と代々の当主に感謝◆

平地における中世の城館や屋敷は、耕作地あるいは市街地化により壊滅してしまったところが多いが、子孫の方々の尽力により往時の姿を留めているケースが稀にある。

今回ご案内するのは、安曇野市にある「細萱氏館」(ほそがやしやかた)で、今も末裔の方が居住する立派な中世城館跡である。

細萱氏館 (25)
西側に虎口が開く細萱居館。

【立地】 ※宮坂武男氏の説明書きを引用

南穂高の平坦地の真ん中にあり、北200mには万水川(よろずいがわ)が流れていて、この一帯は湧水地帯で、往時は堀中も水が湛えられていたらしいが、今ではワサビ畑によってか堀の水は失われて空堀となっている。
周辺は低湿地で水田の為、堀を設ける事により排水と防御を兼ねたものと思われる。細萱は除け沢(よけさわ)の下流の湿地帯で、細い萱の生えているところから由来した地名とされる。

細萱氏館 (1)
細萱邸正面の石碑。自分の家の正面に石碑など建てられたら嫌だと思うのに、細萱家はそれを受け入れて頂いたようです。

※現在、細萱氏居館には、末裔の方が居住し生活を営まれております。当たり前ですが、無断侵入は絶対にやめてください。細萱様にキチンと許可を得て見学をお願いします。一部の心無い方の行動で、出入り禁止になる事は避けなければなりません。


細萱氏館 (2)
虎口から見た南側の堀切。埋まってはいるが、薬研堀であることが分かる。

【城主・城歴】 ※宮坂武男氏の説明書きを引用

細萱氏の初見は、天明15年(1483)2月3日で「三宮穂高社オン造営日記」に「大旦那盛知、政所矢口通、執事長光寺覚朝」とあり、本姓は大伴氏であるとされる。
細萱の地域の開発者は恐らく犬甘明大伴氏で、当地に居館したのは鎌倉時代に入ってからであろうと考えられている。(「穂高町誌平成3年) 古代末期の千国道は熊倉で渡河し、寺所厩尻、踏入・重山気・矢原・穂高に通っていたものが、細萱が開拓され郷村が出来ると、道は西の方へ移っていったようである。

細萱氏館 (4)
館の南側の堀切。

やがて細萱氏は堀金郷への発展し、文明年代(1469-1486)には、安楽寺を開山し、永正年代に入っは大同寺の旦那になって、この地域を支配していたようである。そうした中で要害城岩原城も築城されたものであると思われる。
細萱氏は室町時代には、穂高神社の造営の大旦那や政所(宮奉行)の職にあって、祭祀権を握っていたようであるが、仁科堀金氏に領主権を奪われ、安曇郡が武田氏の支配下に入ると、穂高神社の大旦那職を仁科氏に譲っている。(天文24年)

細萱氏館 (6)
南側の堀切より虎口方面を振り返る。

武田氏の支配の時代には、仁科盛信の配下として、信越国境への出陣、在番に従事し、天正十年(1582)武田氏滅亡後は小笠原貞慶に属し、小倉城主小笠原貞正の下で筆頭格で働いている。
また、細萱長知は安曇郡の郡奉行の地位にあったりするが、石川氏の失脚により郷士格になり、やがて府中の代替わりが頻繁に行われる中で、細萱氏は没落して、彦右衛門家だけが残り、あとは一般百姓並みに下ったようである。

細萱氏館 (9)
西側の堀跡。

【城館跡】

屋形の周囲を取り巻く堀は、幅10m内外で、北西部が失われている。この部分は早くから埋め立てられたらしく、明治二十二年の地籍図には既に堀形はなくなっているという。

細萱氏館見取図

また、北西部を除いて土塁が巡っていたようであるが、現在は南西部に残っているだけで、土塁上には家敷神が祀られている。
入口は西側中央部で、ここから土橋で入っていたものと思われ、東側の土橋は後に埋め立てによって出来たもので、古くは堀が途切れず連続していたという。内部の広さは土塁敷を除くと30×25程度だったと思われる。

細萱氏館 (10)  南東の土塁の隅上には屋敷神の祠がありますw

細萱氏館 (13)
南東に残る土塁。往時は全周していたと考えるのが妥当であろうか。

主郭の東には薬師堂や墓地との間に副郭があったようで、幅3mの堀形が残っている。
西の門(虎口)の前は「構え」「西番場」などの地名が残る事から、屋敷を中心として集落が形成されていた事が伺える。

小笠原貞慶の重臣であった岩岡家に伝わる「岩岡家記」には、天正十年(1582)に、この館は合戦の場となり数十人が籠ったという記載があるという。天正壬午の乱で、上杉との戦いにも備えた平地の重要な城館であったようだ。

細萱氏館 (17)
城館北側の堀。

細萱氏館 (18)
北側の堀の終点。この先はL字で堀が虎口へ向けて続いていたようだが、宅地造成の為埋められて消滅した。

細萱氏館 (28)
殿村公民館の裏側に堀切の跡が確認出来る。

細萱氏館 (29)
公民館と隣接する墓地の西側は堀切を隔てて副郭があったと推定される。

細萱氏館 (30)
殿村公民館には薬師堂があったと伝わる。(東側頼撮影)


≪細萱氏館≫ (ほそがやしやかた 殿村館・城内・内ほり)

標高:533m 比高:-
築城時期:不明
築城・居住者:細萱氏
場所:安曇野市穂高細萱殿村
攻城日:2017年6月18日
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:殿村公民館借用
見どころ:堀切・土塁
付近の城跡:小岩嶽城、熊倉氏館、等々力城など
注意事項:見学の際は必ず細萱様の許可を得る事。プライベート空間の写真撮影は避けてください。
参考書籍:「信濃の山城と館⑦ 安曇・木曽編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
SpecialThanks:細萱様ご一家

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Posted on 2018/08/28 Tue. 22:21 [edit]

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