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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0905

穂高氏館 (安曇野市穂高)  

◆地名と土塁の一部のみ残る居館◆

この度の台風21号の被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

「明日は我が身・・・」もはや数十年に一度の異常気象ではなく、これからは毎年「生命の危険」に備えるべきでしょうね。

「自分だけは大丈夫」とかは通用しない自然災害なんだと肝に銘じて、逃げる事も選択肢の一つになりました。

今回ご案内するのは、「穂高氏館」(堀屋敷)。写真3枚で完結する記事はもちろん、「テ・ヌ・キ」です、ハイ!(笑)

DSCF5082.jpg
通称「堀屋敷」と呼ばれる穂高氏館全景。(西側より撮影)

【立地】

穂高駅の南側で穂高神社の南西部に位置する。穂高神社との深い関係性が読み取れる。


【城主・城歴】

穂高氏には細萱系穂高氏と仁科系穂高氏の二系統があったようである。

この堀屋敷は仁科系穂高氏の居館と伝わる。天文二十二年に武田の支配下になると、武田氏は仁科盛国の二男を穂高に入れて統治を命じた。初代は武田軍に従い白馬小谷方面の制圧作戦に転戦するが平倉城の飯森盛春攻めにて戦死。
武田氏滅亡後、後継ぎの穂高内佐(盛員)は日岐丹波守(盛武)とともに、小笠原貞慶に抵抗するも、後に配下となり700石を拝領したという。

DSCF5081.jpg
居館の南側の堀跡(推定)


【館跡】

現在は個人の宅地となっており、鳴庵西部に土塁の址が一部残るのみで、その他は改変により明確な遺構は確認出来ない。
広さは70×80の方形居館で東と南には水路がある。大手は穂高神社側の西側かもしれない。
唯一残る土塁には稲荷社が祀られているという。

DSCF5080.jpg
居館の遺構の土塁の一部。イチイの巨木が生い茂る。


≪穂高氏館≫ (ほたかしやかた)

標高:548m 比高:-m
築城時期:不明
築城・居住者:仁科系穂高氏
場所:安曇野市穂高本郷
攻城日:2017年6月18日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し (穂高神社借用)
見どころ:土塁の一部 ※標柱などもありません
付近の城跡:等々力城、主水城、等々力氏館など
注意事項:無断侵入禁止。住民のプライバシーには充分注意
参考書籍:「信濃の山城と館⑦ 安曇・木曽編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)

※今回プライバシーに配慮して場所の地図は掲載しませんが悪しからず。

Posted on 2018/09/05 Wed. 21:34 [edit]

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