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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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駆逐艦 島風  

◆唯一無二そして孤高の最速駆逐艦◆

主に空母か潜水艦のプラモしか作らない小生が、「駆逐艦が面白いことになってきた」などという某プラモ雑誌の特集記事に触発されて購入したのが、この「島風」である。

島風 (10)
ブラウザゲーム「艦これ」の人気艦ということもあり、45年ぶりにリニューアルされたTAMIYA製の島風。

1/700の艦船プラモの製作に関しては、根が真面目なので(←嘘つけ!)、チマチマと塗装と組立を繰り返しながらやるのがいつもなのだが、今回のような駆逐艦に関しては、ある程度先にパーツの組立と取付を完了して下地塗装を行いその上から重ね塗りして部分的に塗装していくというプロの技術を真似てみた。これが意外とすんなり身についたのにはビックリ・・・(笑)

島風 (1)
最初に砲塔や魚雷発射管を除いた大きなパーツを素組みしておく。

【艦歴】 ※TAMIYA製島風の組立説明書に書いてある艦歴について引用しています

太平洋戦争の真っただ中と言える1943年5月10日に舞鶴海軍工廠で竣工した日本海軍の駆逐艦が島風です。2000トンを越える艦船としては画期的と言える40.9ノットという強力な記録を達成しただけでなく、五連装酸素魚雷発射管を三基装備した強力な武装をもった、最新鋭の艦隊型駆逐艦として誕生したのです。

日本の駆逐艦の速力は大正初期に設計された峯風型で39ノットに達し、その4番艦として完成した初代の島風は40.7ノットという高速を記録していました。
さらに、駆逐艦の革命と言われた特型駆逐艦吹雪も、攻撃力や凌波性を飛躍的に向上させるとともに、38ノットという高速を発揮したのです。
ところが、軍縮条約の制約や、友鶴事件と第四艦隊事件の影響などにより、その後の初春型や白露型は性能向上にブレーキがかけられます。二つの事件の経験を取り入れて設計された朝潮型は船体の強度と復原性は向上したものの、速力と航続力は十分とは言えなかったのです。

島風 (2)
ブラックサーフェイサーで全体を下地塗装。

続く陽炎型と夕雲型では航続力を伸ばし、両型は速力が35ノットという点を除けば理想的な駆逐艦となりました。しかし、第一次世界大戦後のアメリカ戦艦の速力向上は目覚ましく、アイオワ級では30ノットを越えることが予想されたのです。駆逐艦は大型艦に肉薄し、搭載した魚雷でこれを沈めることが主任務だったため、魚雷を当てやすい位置に辿り着くために目標となる艦船より速いスピードが求められました。日本海軍ではおよそ10ノット以上のスピード差が必要と考えられていたため、35ノットではこれらの高速戦艦を襲うには速力が不足しているのは明らかでした。

1939年、軍令部は40ノットの高速駆逐艦の建造を要求し、第四次軍備補充計画(通称④計画)に基本計画番号F52と呼ばれる高速駆逐艦の試作艦の建造が盛り込まれました。この試作艦が、1920年に40.7ノットという高速を記録した初代の島風の名を引き継ぐことになったのです。なお、当時、初代の島風は健在で活躍を続けていましたが、二代目の建造に先立って、1940年4月に哨戒艇となり、第一号哨戒艇と改称されています。

島風 (3)
最近発売になった「舞鶴海軍工廠グレー」(TAMIYAカラー製)で塗装。リノリウムは専用ステッカーなので有難い。

高速駆逐艦として誕生した二代目島風。その速力を生み出す最大の鍵は軽くて強力な機関です。このためには、高温高圧缶(ボイラー)を使用することが理想的ですが、このような機関を実用化するためには構造、材料、信頼性などの難問をクリアーし、さらに政策には極めて高い精度が必要です。日本海軍は陽炎型で30kg/㎠、350度の高温高圧缶を採用し、9番艦の天津風には試験的に40kg/㎠、400度という缶を搭載。成功を収めていたので、島風にもこの40kg/㎠、400度の缶が採用される事になったのです。

島風 (4)
駆逐艦や軽巡のリノリウム甲板と抑えの金具の塗装はかなり厄介なので、ステッカー仕様は助かるが、慎重に作業したい。

さらに、出力は天津風の52,000馬力に対して島風は75,000馬力を発揮。戦艦大和の1/25の排水量の船体に、大和の半分にも及ぶ大出力の機関を搭載していたと言えばその高速性も頷けるでしょう。
また、魚雷発射管3基と大型機関を搭載したため夕雲型に比べて全長が約10m伸び、艦首の形状は甲型駆逐艦までのダブル・カーブ型から艦首先端を前に突き出した凌波性に優れるクリッパー型に変更されています。

島風 (5)
未塗装の兵装を仮組みしてみるました。

主砲は陽炎型と同様の高角砲兼用の12.7cm連装砲3基(計6門)うを搭載。そして、魚雷兵装は軍令部の要求では、次発分をなくす代わりに7連装という空前の大型発射装置を2基搭載し、14門14発とすることになっていましたが、連7連装発射管は動力が故障した時、人力で旋回させることが不可能なため、5連装発射管3基(計15門、15発)を搭載。陽炎型などの4連装2基(次発装填装置付き、計16発)に比べると1発少ないものの実質的には攻撃力は同等、しかも発射される61cm酸素魚雷は外国艦に搭載された魚雷に比べて圧倒的に強力でした。

島風 (6)
島風のみ採用された5連装酸素魚雷×3門。従来型の艦隊決戦ならば高速艇から繰り出される酸素魚雷は間違いなく必殺技である。

島風はまず、全力テストで軸馬力75,850馬力、排水量2921トンで40.37ノットを記録した後、105パーセントの過負荷全力テストで79,240馬力、2894トンで40.9ノット(時速換算で約75km/h)を記録しました。
初陣は1943年7月のキスカ島撤退作戦で、その後、南方へ転戦。そして、1944年10月のレイテ沖海戦ではその高速性を生かして奮戦し、最後の戦闘行動は「多」号作戦と呼ばれたレイテ島のオルモックへの兵員物資輸送作戦でした。
同年11月8日、第二水雷」戦隊旗艦として、浜波、長波、若月および5隻の輸送船と共にマニラ湾を出撃。11日午前10時、オルモック湾に到着したとき、350機というアメリカ軍艦載機の猛攻を受け、3時間にわたって激闘を繰り広げたものの船団は全滅、長波、若月も沈没し、満身に痛手を負った島風も、この日の午後5時10分、大爆発を起こし波間に消えていったのです。

島風 (7)
毎度の事ながら、空中線(アンテナ線)は納得できない仕上がり・・・(汗)。ミシン糸が使えそうなので今後は試してみたい。

海戦の主力が空母と航空機に取って変わった時代の流れと、戦況の悪化により高温高圧缶を量産することができず同型艦が建造されることは無かった島風型駆逐艦。
それでも、島風は短い生涯の間にその性能を遺憾なく発揮し、最速・最強を誇った艦隊型駆逐艦の傑作といえるでしょう。

島風 (8)
完成した島風。地上を駆ける最速のF-1マシンは美しいのと同様に海を最速で駆ける駆逐艦もそのフォルムは美しいのである。といっても最近のF-1マシンはどう見ても酷いフォルムなのだが・・(汗)


【駆逐艦島風の主要データ】

基準排水量:2,567トン
全長:129.5m 全幅:11.2m
馬力:75,000馬力
速力:計画39.0ノット 公式:40.9ノット
魚雷発射管:61cm五連装魚雷発射管3基
主砲:12.7cm連装砲3基
爆雷投下軌道2組
レーダー:22号電探1基、13号電探1基
竣工年月日:昭和18年5月10日 舞鶴海軍工廠。

島風 (9)
12.7cm連装砲と5連装魚雷発射管が下地塗装なしで本体に組み込んだのでチョッと違和感のある仕上がり・・・(汗)

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Posted on 2018/11/06 Tue. 21:35 [edit]

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