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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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平井城 (群馬県藤岡市東平井)  

◆関東管領山内上杉氏の居城◆

最近は碓氷バイパス経由で群馬の山城を適当に巡って、内山トンネル経由で佐久を通って帰還するルートを多用している。

今回掲載した平井城は、関東管領の居城として有名なので小生が記事にするまでもないのだが、たまたま通ったら看板があってそこが平井城だったというだけの事です・・・(笑)

平井城 (33)
これだけ旗指物が林立していれば、チョッと寄ってみようかって気になりますよネ。

平井城 (9)
史跡公園として整備されていて、解説版も読み易いので有難い。

【城主・城歴】

平井城は永享十年(1438)に永享の乱に際し、時の関東管領上杉憲実が、総社の長尾忠房に命じて築城したとされる説と、応永元年(1467)に上杉顕定が築城したとされる説がある。いずれにしても、天文二十一年(1552)の後北条氏の平井城攻めで落城するまでの約百年間、関東管領山内上杉氏の居城としての役割を果たしていたという。

【城の縄張り】

城の構造は、「庚申堀」と称される堀をめぐらし西平井の村落を取り込んだ「総構え(そうがまえ)」と呼ばれる構造で、城域の南端部の鮎川左岸の切り立った崖の上に、土塁及び堀により区画された通称「本丸」(主郭)があり、その西側に通称「二の丸」「笹曲輪」(副郭)などが配されている。
なお、平井城の背後には有事の際の要害城である金山城を「詰めの城」として配置し、周辺は帰属する国人や配下の部将が築いた、御嶽城、東日野金井城、一郷山城、東平井の砦、飛石(とんびいし)の砦など多くの城や砦により守られていた。

平井城 (7)
現地解説図より引用転載。

平井城 (2)主郭から見た残存する土塁。後方には詰め城の金山城が見える。

平井城 (3)
駐車場の生垣に土塁跡の標柱があってもピンとこないのは何故?

平井城 (8)
んーん、この地図を見ても往時の遺構が蘇らない不自然さは何故なんでしょうか・・・(汗)

平井城の第一期の整備事業は平成9年にほぼ完成し、発掘調査で判明した土塁や堀などが一部復元されたようです。それが現在の史跡公園の姿ですが、第二期計画は方形居館(正確には変則五角形の居館)と周囲の堀を復元する予定となっているようです。
現実としては、城跡の中心部を所有している地権者がこの土地で生計を立てているので、残念ながら実現はまだまだ先の話になるでしょうね。それでも、第一期整備事業に際して地権者がかなり協力したものと思われるので、とてもありがたい事です。

平井城 見取図①
白い部分は個人の所有地なので立入禁止。無理に復元し公園化する必要があったのかは疑問が残る。

グンマー帝国の城を語るには、どうも関東管領さんを避けては通れないらしい・・・(汗) 坂東武者もしかりかと・・・(笑)

平井城 (1)
まあ、確かに関東管領の居城としては、せめて本郭とその周辺が復元できれば実感出来そうですが・・・。

平井城 (16)
本丸南側には色々と並ぶ。関東管領の名と権力に執着した謙信公。この城址に執着したというのは本当だろうか・・・。

平井城 (21)
復原された堀と橋は少し離れた場所にある。

平井城 (32)
往時の遺構だと思い込んでいたが、復元された土塁だったんですねえ。

平井城 (30)
土塁の上部。今回の最初の目的地だった高山城が遠く見える。

グンマーは広いのだが、関東管領さんの居城は何故ここだったのか・・・謎は尽き無い・・・・(笑)


≪平井城≫ (ひらいじょう)

標高:144m 比高:-
築城時期:永享十年(1438)または応永元年(1552)
築城・居住者:関東管領山内上杉氏
場所:群馬県藤岡市東平井
攻城日:2018年12月1日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:有り
見どころ:土塁、堀切
付近の城跡:藤岡城、平井金山城、高山城など
注意事項:隣接する養豚場には入らない事。
参考文献:現地説明板

平井城 (28)
土塁の上から見た本郭内部。

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Posted on 2018/12/23 Sun. 22:22 [edit]

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