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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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龍岡城の東通用門 (移築 佐久市野沢)  

◆龍岡城の忘れ形見◆

佐久市臼田の龍岡城といえば、函館の五稜郭と並び日本に二つしかない西洋式の橋頭保を持つ城郭である。

小生も何度か訪れて調査しているので、てっきりブログに掲載しているかと思いきや、全くその欠片すら無かった・・・(笑)

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ここは龍岡城の北側の枡形。本体とは離れているので案外見落としがちな場所。

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皆さまがよくアップされる龍岡城の表門の標柱はこちらですw

龍岡城2016 (18)
龍岡城が函館の五稜郭とは違って実戦を想定した戦闘用の城ではない事は、この狭い堀幅を見れば一目瞭然であろう。

日本国内にある洋式の城郭は北海道の函館五稜郭と佐久の龍岡城五稜郭の二つだが、陣屋や台場を含めると合計六カ所あるそうです。

●弁天岬台場(北海道函館市)
●戸切地陣屋(へきりちじんや 北海道上磯町)
●函館四稜郭(北海道函館市)
●品川台場(東京都品川区) ※最近「続日本100名城に追加あれたとか・・

いずれ巡ってみたいものです。

今回ご案内するのは、未アップの龍岡城ではなくて、龍岡城の移設された東通用門を偶然に見つけた、というコアな記事・・(汗)

五稜郭俯瞰図
※龍岡城の資料展示室(お休み処 であいの館)の俯瞰図に加筆させていただきました。

龍岡城の縄張図は領民に完成間近の時に公開されたと伝わる。通常、軍事機密の縄張図を公表するなんてありえないので、龍岡城はお殿様の研究発表の試作だったんだろうね・・・。


【龍岡城の東通用門の移築先】

信州の佐久地方は、全国でも有数の長寿の里として知られている。そこで、当時の佐久市長の三浦氏がご当地名物として売り出したのが「ぴんころ地蔵」(正式名称は長寿地蔵尊)である。

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ぴんころ地蔵様。

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ぴんころ地蔵様の由来とお参り作法についての説明板。

先日、家人と佐久市のイオンモール佐久店に出掛けたついでに「ぴんころ地蔵」が見たいというので、お連れした次第。実は小生も場所は知っていたものの、実物をみたのは今回が初めてでした・・・(汗)

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野沢本町の商店街を過ぎると立派な門前町の佇まい。

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元々は成田山薬師寺で、ぴんころ地蔵様は最近の設置らしいが参道では定期的に市が開かれているようです。

まあね、老後は誰しも寝たきりや認知症などの介護状態で家人に迷惑を掛けずにコロッと死ねれば本望。
このお地蔵さんにすがりたい気持ちは痛いほどよくわかりますw

そんな事を思いながらお地蔵様にお祈りを捧げて、ふと脇の看板を見ると・・・

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「龍岡城の東通用門はここに移築されていたのか・・・・」

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薬師寺の山門として現在に至る龍岡城の東通用門。

徳川一族といえども、城持ち大名にはなれぬ家柄の大給松平氏。その定めに挑み、陣屋と称して西洋式の橋頭保を信濃の山奥に築城した松平乗謨(まつだいらのりかた)。
※彼の偉業はネットでご確認ください・・・(笑)

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龍岡城の東通用門のあった場所。


≪龍岡城東通用門≫ (たつおかじょう ひがしつうようもん)

標高:676m 比高:-
築城時期:慶応三年(1867)
築城・居住者:松平乗謨
場所:佐久市野沢 成田山薬師寺
攻城日:2018年12月9日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:ぴんころ地蔵様駐車場
見どころ:山門
付近の城跡:伴野城(薬師寺より歩いて数分)、前山城、龍岡城、田口城など
注意事項:特に無し

taguti (4)
対岸の田口城の物見郭から見下ろした龍岡城の全景。計算された五角形の西洋式橋頭保であることがよく分かる。


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Posted on 2018/12/14 Fri. 21:51 [edit]

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