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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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板鼻城 (鷹巣城 群馬県安中市板鼻)  

◆武田によって築かれた箕輪城攻略後の兵站補給基地か?◆

グンマー帝国の城砦群はとても魅力的なのだが、如何せん藪や竹林に覆われて踏み入る事すら敵わない場所が多く難儀する。

信濃の山城のように晩秋~冬~春先にかけてスッキリ遺構が見えるなら良いのだが、年中あまり変わり映えしない・・(汗)

今回ご案内するのは、主郭の周辺以外が全山藪に埋もれてしまって、まともに観察できない板鼻城。

板鼻城 (1)
以前は耕作地だったようだが、城址は一部住宅地となるも荒れ放題の藪ボーボー状態。

【立地】 ※「信濃をめぐる境目の山城と館 上野編」(宮坂武男著 戎光祥出版) P228より引用

碓氷川の左岸、天神山から南東へ延びる丘陵の先端部の台地上に位置する。板鼻城の南西には蟹沢川を挟んで、碓氷川との間に鷹ノ山があり、ここに鷹の巣出丸があり、北西には板鼻古城が隣接し、東には小丸田曲輪が続き要害地域を形成している。

板鼻城 (2)
ここは幅約10mの堀跡なのだが、とてもここに飛び込む勇気などある訳ない・・・(汗)

【城主・城歴】

宮坂武男氏の調査記述によれば、長野業政が女婿の後閑城主依田光慶に懇望して築城させ天文七年に光慶自身が板鼻に移ったという伝承は疑問視されているという。「上州古城累記」には長野業政と武田信玄が板鼻で三度合戦を行うがこの時には塁(城)は無かったとして、箕輪城落城後に西上州が手に入った時に武田軍が築城し、信玄の家臣の依田六郎が入城したのではないかとして、この説が有力だという。

板鼻城 (5)
郭2は現在も耕作地となっているので往時の面影が残る。

天正十八年(1590)の小田原の役の時には、北条支配の板鼻城は上杉景勝軍に攻められて落城、その後廃城となった。
慶長年間になると、安房国の戦国大名里見忠義の子の里見讃岐守忠重が上野板鼻藩1万石を与えられて小丸田曲輪に陣屋を建てたというが、慶長十八年に改易されたという。

板鼻城 (6)
堀を介して隣接する郭3は調査不可能なほど大藪に覆われている。

【城跡】

丘陵の最上部(三角点及び鉄塔付近)の住宅及び周辺が主郭で周囲が堀により区画されているのが観察できる。主郭の西隣は堀切を介して果樹園と畑になっているのが郭2で、それ以外の郭は藪に覆われてしまい調査不能である。宮坂武男氏の縄張図によれば丘陵全体を堀切で区画し大きく六つの郭があるらしいが、徹底的に藪を駆り払わない限り全容を見るのは無理であろう。

板鼻城 (7)
堀形、主郭の切岸が唯一観察できる場所。

板鼻城 (10)
現在民家となっている主郭には土塁が残っているようだ。

【小丸田曲輪】

城域の東端には独立したような形で小丸田曲輪があり現在跡地は老人福祉センターと児童公園として利用されている。
陣屋だけなら、見晴らしも良いし比高も高くないので絶好の立地でsる。

板鼻城 (18)
現在は老人福祉センターの建つ小丸田曲輪。

板鼻城 (16)
小丸田曲輪からの風景。端に鷹の巣出丸がかすかに見える。

要害の地ではあるが、戦闘用の城というよりは地域経営の拠点としての城及び上野攻略の兵站補給地として機能したと思われる。

≪板鼻城≫ (いたはなじょう 鷹ノ巣城)

標高:169m 比高:50m 
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:群馬県安中市板鼻
攻城日:2018年11月3日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し(邪魔にならないように路駐、或いは老人福祉センター借用)
見どころ:土塁、堀切など
付近の城跡:鷹の巣出丸、安中城、板鼻古城など
注意事項:特に無いが、ガレ山なので足元や頭上に注意
参考書籍:「信濃をめぐる境目の山城と館・上野編」(宮坂武男著 2015年 戎光祥出版)

板鼻城 (1)
国土地理院にもデカく載っていたので少し期待したが、見事に裏切られました・・・(笑)

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Posted on 2019/01/05 Sat. 11:33 [edit]

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