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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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田村の城山城 (下伊那郡豊丘村神稲)  

◆河岸段丘を利用した城館一体型の城址◆

今月の不幸続きの総仕上げは、青色切符の点数▲1点、反則金6,000円也・・・(涙)

善良かつ優良なドライバーの9年ぶりの違反にも過酷な納税義務を課す長野県警察の勤務態度は評価に値するのであろう・・(笑)

日本海溝の深き深海魚のように、海底を彷徨う小生に光が届くのはいつになるのであろうか・・・・・

そんな哀れな長野県民のはしくれが今回ご紹介するのは下伊那郡豊丘村の「田村の城山城」である。

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背後の木々の生い茂る段丘の頂上が城山城の中心部分。何故このような位置に標柱が立つのか理由が知りたい。


【立地】

天龍川の左岸で、豊丘村役場から南東の河岸段集の先端に位置する。洞岩寺の背後の頂部の背後を堀切で断ち割り独立した城域として構成したと思われる。天竜川を挟んだ対岸には松岡城とその支城群が一望に臨める位置にある。

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東側から見た城の中心部。

【城主・城歴】

史料・伝承等無く不明。立地からは在地土豪の城館一体型の居館であろうと推定される。おそらく居館の場所は西側の洞岩寺付近であろうか。
河岸段丘の東奥の山中には茶臼山城、巻ヶ城、巻ヶ城支城が築かれているが、それらの城との関連性もはっきりしない。

田村の城山城見取図①


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城域の東側の巨大な堀切跡。

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堀底から振り返って撮影すると、巨大な箱掘りである。この地域の河岸段丘の城の堀はだいたい似たような感じだ。

【城跡】

今回時間の関係で居館とされる洞岩寺は調査していない。背後の詰め城部分は、縄張図の1と2が中心部で周囲を堀で囲まれていたものと考えられるが、耕作地化による改変、道路の開通などにより現存するのは北側の堀のみであり、往時の姿がどのようなものであったかは想像の域に留まる。
有事の際の詰め城と言うよりは高台の物見、狼煙台の分類で、高台の方形居館を意図したものかもしれない。

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北側と西側の堀の連結部分。墓地の裏側に人工的な高土塁がある。

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主郭(郭1)には三角点があり、標柱が立つ。

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主郭東側の削平地。

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郭1と郭2の接続部分。切岸というよりは傾斜であまり加工の跡は見られない。

主郭(郭1)と副郭(郭2)を観察する限りでは、古い年代の館城であり、改修された感じは受けない。
在地領主が地域支配の拠点として築城したもので、あまり実戦を意識したとは思えない縄張である。

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郭2。加工の跡はみられるが、曖昧な感じで終わっている。

南信濃の城館というと、飯田城、松岡城、吉岡城、鈴岡城、松尾城あたりがどうしても定番扱いだが、その他にも素晴らしい山城がある事を知ってもらいたいので、しばらくこのシリーズで行こうと思ってます・・・が、なんせ気まぐれな正確なもので、いつまで続くやら・・・(笑)


≪田村の城山城≫ (たむらのじょうやまじょう)

標高:522.7m 比高40m (洞岩寺より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:下伊那郡豊丘村神稲(くましろ)
攻城日:2017年3月19日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:5分
駐車場:無し、路駐
参考文献:「信濃の山城と館⑥ 諏訪・下伊那編」(宮坂武男著 戎光祥出版)
見どころ:堀跡など
その他:耕作地には入らない事。
Special hanks ていぴす殿



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Posted on 2019/06/28 Fri. 21:36 [edit]

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