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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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第26回 全国山城サミット 可児大会終了!  

◆持つべきは得難い「山城の仲間」だと再認識した二日間の山城サミット◆

前週の山城サミットの上田・坂城プレ大会から間髪開けず、続けて「第26回全国山城サミット可児大会」へ一泊二日で参加する。

来年の本チャンへ向けての視察と、初日の終わりに壇上に上がり次回開催地としての「えいえいおー!!」が有る訳だ・・(笑)

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【初日】

数年前から、学術的研究とか史跡保存と地元民による整備の課題と称して活動してきた山城サミットが、最近は客寄せパンダ的な一大イベントで終わる傾向に対して最近は苦言が多いという。

今回も御多分に漏れず多額な予算計画に対してかなりの補助金を活用して実施され、圧倒的な集客と盛り上がり、お祭り騒ぎという目的は十二分に達成されたと思う。学術的分野と史跡整備、地元との共生に関しては深堀できたのかは疑問符が残る。

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会場の外には特設のフードコートが並ぶ。いずれも昼時は長蛇の列であった・・・(汗)

会場内には、日本全国の山城のブースが設置され、現地のPRや物販、その城に因んだ発掘調査報告書や御城印などが販売されていた・・・凄い人数と活気には圧倒され、来年の上田大会は果たしてどうなるのか心配になるほどである。

なかでも小生が立ち止まって観察してのは、美濃金山城の再現ジオラマ模型であった。

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twitterでもつぶやいたが、給湯器とかガス炊飯器で有名な(株)パロマに「ジオラマ倶楽部」なんてあるのは知らなかったし、こんな精巧なジオラマ模型を贈呈するとは太っ腹である。聞けば金山城だけでなく、久々利城もパロマ所有の山城で、整備に関しては強力な後援者であると聞く。いやいや、それだけでも充分な企業宣伝広告効果かと・・・・(笑)

山城サミットの可児大会初日は、会場の様子や講演会の内容について見聞するというのが使命でしたが、我ら信濃先方衆としては、空いた時間を活用してブロ友の皆さんと交流を深めるという第二の目的があった。

お昼休みに「久太郎の戦国城めぐり」の管理人の久太郎さん、そして彼の城友の日向さんと初顔合わせとなりました。

お互い初対面なのに旧知の中だったように全く違和感のない会話・・・凄い・・・・これが城好きという共通趣味の為せるマジック!

そして、まさかと思う九州は長崎からの「しんこうの趣味のブログ」の管理人しんこうさんのまさかの会場入りとご対面・・・。

「何もかも捨てて来ちゃいました!!」 そのセリフには、信濃先方衆も久太郎さんも日向さんも救われ、一筋の光が見えた思いでした・・・(爆笑)

【二日目】

美濃衆の久太郎さんと日向さんに現地の山城アテンドをお願いして山城ツアーの始まりはじまり。ここからはダイジェストで。

●美濃金山城 (可児市金山)

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サミットの会場から9:00よりマイクロバスの送迎もあり、混雑が予想されたので8:20には先回りして到着したのだが、山城の入口の駐車場には止めさせてもらえず。
ここでは本丸の発掘調査の現地説明が10:00よりあるのでどうしても外せず説明会の始まる前の1時間ほどを久太郎さんと日向さんにアテンドしていただき、マニア向けの見学場所をご案内いただいた。

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破城により崩された本丸手前の石垣。

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本丸を周回する石積みも上部が人為的に崩されている。(この場所は普段見学者は入らないらしい)

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標柱の左奥のブルーシートは発掘調査箇所。

金山城は信長の家臣森可成(よしなり)の居城で、可成亡き後は蘭丸(可成の三男)が城主となり、本能寺の変で蘭丸が討死すると海津城より美濃に逃げ戻った長可(ながよし 可成の次男)が金山城主となり、周辺の敵対勢力を次々に掃討し版図を拡大していく。

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鬼武蔵と恐れられた森長可もこの景色をみていたのであろう。感慨深い。

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物好き(?)しか訪れないという「左近屋敷跡」。読めなくなっている看板に「バイバイ哀愁デート」を感じる(田原俊彦?・・笑)

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左近屋敷の石垣と久太郎さん。こんな山猿軍団にお付き合いいただきありがとうございますw

金山城の発掘調査現地説明会も無事参加出来ましたが、その参加人数に驚きを禁じ得ない・・・(汗)

美濃衆に聞けば、普段は貸し切り状態の金山城にこれほどの見学者が来訪するのはかつてない山田ウインクかつて無かったそうです。城の遺構が変形しそうな来場者数も考え物かと・・・(汗)

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出丸(駐車場)の石垣も必見ですw

●妻木城 (土岐市妻木町)

次に美濃衆お薦めの山城として、妻木城をアテンドして頂いた。この山城は、土岐氏の流れをくむ明智一族の築城と伝わるものの、実際には、明智一族の妻木氏が戦国時代に築城した事が明らかになり、織田方の城として武田に備えるために改修が続けられたようだ。

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登り口から少し歩くといきなり現れる堀切。

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「伝大手口」とあるが、ここは違うだろうという久太郎さんとの認識は一致。

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堀の工事の際に撤去しようとした矢穴の跡が残る花崗岩。

花崗岩の天然巨石が累々と積まれた山での築城と改修工事はかなり難航したようで、特に堀の造成に関しては巨石の撤去作業では断念した矢穴跡や、転がる巨石にも矢穴痕が確認出来る。

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天然の防御には違いないが、ドーザーもクレーンも無い時代にこの巨石を動かすのは相当な技術と人員を要したであろう。

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本丸の石垣。発掘調査では建物の礎石が確認出来たという。

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郭3からは妻木領が一望出来ます。「天下でも取りますか・・・」そんな気にさせる美濃晴れの空・・(笑)

●御殿跡・士屋敷址

妻木城の北麓には「御殿跡・士屋敷址(さむらいやしきあと)」があり、ここもアテンドいただく。最近見学者用の駐車場が整備されたようで、久太郎さんや日向さんもビックリしてました。「麒麟が来る」の効果は絶大なようで何より。

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石積で区画された屋敷跡。

この場所は籏本妻木氏の陣屋や家臣の屋敷があった場所で整然と区画された石積、井戸跡が残る。

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御殿跡の石段。

御殿跡①
御殿を囲む石積み。

妻木氏は関ヶ原の戦い(1600)に徳川家康に味方し、その戦功により土岐郡内7500石の交代寄合(参勤交代をする籏本)として、妻木陣屋を拡張整備した。しかし、万治元年(1658)領主の急死により後継ぎが無く、妻木氏を断絶となり妻木城は廃城となり、麓の妻木陣屋は取り壊されたという。

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御殿跡に残る石組みの井戸跡。

●久々利城

守護大名土岐氏の一族で奉公衆(室町幕府の直轄軍)久々利氏が築城し居城としたと伝わる。
美濃国の国人や山城については全く不勉強なのだが、この城だけは見学しないと後悔すると言われていたので、美濃衆に無理を言ってご案内いただいた。

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標柱マニアの久太郎さんに言われて撮影した城址碑。あたしゃそれほどこだわりはなのですが・・・(笑)

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本丸の切岸と二の丸の切岸。非常に見易いのだが、ここまで伐木して整備してしまうと、果たしてその後をどうするのか心配。

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本丸からの景観。確かに素晴らしい眺めで、ここを訪れた人々は満足するだろう。

初日の山城サミットの講演では「山城からの眺望がその城がそこに築城された理由を物語る・・」というような説明があった。

確かにその通りなのだが、だからと言って、現在の山城整備にそれを求めるのは違うと思う。

郭も、堀切も、切岸も、その役目を終えた山城を五百年の長きに渡り保護してきたのは針葉樹や広葉樹そして、名もなき雑木林である。それらのおかげで我々は遺構をこの目で確認する事が出来ているという事を忘れているように思うがどうであろうか?

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久々利城の最高地点にある物見郭背後の二重堀切。根を残した伐木であるが、風雨に晒されてそのうち形が変わるであろう。

山城を整備している地元の皆さんからしたら、「素人が事情も知らずに何を偉そうに言うか・・・」とお叱りを受けると思う。

山城は近世城郭とは違い、非常にデリケートで簡素な造りである。その他大勢の物見遊山の一般観光客に見せる為の整備なら、止めて欲しいと切実に思う。地山のまま藪に埋もれて誰にも知られずにそのままが一番の保護と保存方法である。

今回はこの辺で止めておくが、その課題は来年の山城サミットで真剣に討議すべき課題だと切に思う。

「整備という名の史跡破壊」 どれだけの方がこの現実に気が付いているのか。

久々利城①
山城との共存は景観賞を貰う事ではなく、未来永劫に整備と保護を継続できるかという問題で本質を取り違えている。

今回、純粋に山城が大好きだという少年の心を持ち続けている久太郎さん、日向さん、しんこうさんに出会えて本当に良かった。

地元の山城に対する誇りと愛は、我ら信濃先方衆に勝るとも劣らない熱き心を持つ人たちである。

実は、妻木城散策の際に、「妻木城址の会」の方にお話を伺った。

最近、城址整備の名目で城跡の樹木が伐木され続ける嘆かわしい現状に心を痛めている。苗木城では地元からも反発の声が大きくなっていると聞き及ぶ。
ここの妻木城は、あえて伐採も伐木もせず最低限の整備でありのままを見て頂く姿勢をモットーとしていると。

「ありがたい・・・」小生は心からそう思った。 本来の山城整備とは、そうあるべきであろう。

まあ、難しい話はさておいて、今夜は素敵な城仲間との出会いに乾杯!!(⇐なんだかんだ毎日乾杯しているだろ!!笑)

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御殿跡・士屋敷跡の遠景。
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Posted on 2019/11/14 Thu. 21:11 [edit]

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