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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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戸石城 リテイク⑤(砥石城とその周辺)  

◆山城攻めの武田軍の精鋭部隊を苦しめた「砥石-米山防衛ライン」◆

こんばんは。

年末年始にamazonプライムビデオの「スラムダンク」にハマってしまい、先日101回目の最終回を迎えて放心状態となりました(笑)

日本の男子バレーがミュンヘンオリンピックで金メダルとなった事に痛く感動して、中学時代はバレーボール部に入り朝から晩まで練習漬けの日々。三年生になるとキャプテンを志願して地区優勝。何と県大会まで進んだのですが初戦であえなく敗退・・。青春の涙は塩辛よりもしょっぱいものだと知りました。

部活の日々といえば、部室が隣だったバスケ部と野球部に対して壁越しの仁義なき戦いを繰り広げる日々・・・・(笑)
「てめーら、汗くさいから、何とかしろ!」 8×4などというデオドラントなど高くて買えないドアホな少年時代・・・(汗)

今思えば、桜木花道以下の幼稚なヤツラのおバカな抗争でした・・・(爆笑) バスケ部は特に毛嫌いしていた記憶が・・(笑)

戸石城2013 (95)
本城の馬出(郭8)から南に進むと砥石城へ。※全体城域を示す戸石城と区別するために「砥石城」として使い分けしています

【山城攻めの巧者武田も攻めあぐねた地の利に護られた堅城】

残念ながら全国区ではないので、小生の探訪した山城は信濃とその周辺の一部であるが、抵抗する峻険な信濃の山城を各個撃破していった武田軍は、群雄割拠の戦国時代においてトップクラスの戦果を挙げていると推定される。

武田軍には間違いなく山岳ゲリラ戦の専門部隊(エキスパート)があり、城攻めでは先鋒隊として敵陣深く潜入し味方の手引きを行ったのであろう。

砥石城見取図①
この砦への通路は南西の尾根筋と陽泰寺からの東尾根のみ。

戸石城2013 (97)
本城の馬出からの尾根との接続部分の堀切。本来はW底の二重堀切で遮断されていたが、後世の耕地化による改変とみる。

山城攻めでは百戦錬磨の武田軍が、何故戸石城の攻略に失敗したのか?

答えはその恵まれた立地条件と、「籠城戦に後詰めは必須」という当たり前の鉄則に敗れ去ったとみるが果たしてどうであろう。

screenshot_20200118_210457.png
国土地理院の地図に加筆修正しています。


●城の東西が天然の河川による堀で守られ敵を寄せつけない

戸石城の東側は神川の深い渓谷に護られ、西側は矢出沢川と城代屋敷の置かれた金剛寺集落があり、集落の西の尾根に柏城(上の城・下の城)を築いている。松代街道に通じる北側は、根古屋城が背後を守り、地蔵峠を監視下に置いている。

なので、城攻めは南正面を突破する正攻法しか無くて、水の手を断ち切る武田軍の得意の手法にしても、水の手に辿り着く事すら困難という局面に打開する方法が無かったというのが真実のようである。

金剛寺集落 (11)
城域西側の矢出沢川。村上家臣団の屋敷のある金剛寺集落側から武田軍が攻め入る事は考えづらい・・。

戸石城2013 (98)
砥石城の素敵な空間。

戸石城2013 (102)
ほぼ垂直に近い切岸。この砦への出入りは縄梯子だったということが伺える。

その名の如く、復元された櫓門からの南登城ルートは滑りやすい上に脆い小石の尾根、そして心臓破りの急崖が続く。
籠城兵側は蟻のように這い上がる攻城兵の頭上に石を落とせば面白いように潰れる。

戸石城には、佐久の志賀城で敗れた兵士も籠城軍として入り「武田憎し」の怨嗟は留まる事を知らなかったという。
小競り合いを仕掛けてもいたずらに兵を失うだけで、七千の武田軍は僅か五百の籠る城を遠巻きに囲むしかなかったのであろう。
(まあ、実際の兵士数は双方ともその1/10ぐらいだったと推定されるが・・・)

戸石城2013 (113)
砥石城の主郭(25×20)

戸石城2013 (107)
主郭からは連携する出城の米山城、そして遠方に上田市街地が一望できる。

戸石城2013 (117)
武田軍は現在の富士見台団地あたりに布陣したのだろうか。


戸石城2013 (114)
真田方面のロケーション。真田の里はこの時は未だ村上の勢力下であり、幸隆の一族の矢沢氏も村上氏の配下であったという。

戸石城2013 (119)
砥石城の東尾根を遮断する堀切(上巾10m)

現在主流となっている整備された南側の登山道(櫓門コース)は、砥石と米山を繋ぐ尾根筋からの登りが大変である。
今は階段があるが、その昔はロープ伝いで急峻な尾根を息絶え絶えに登るしかなかった・・・。
攻城兵の苦労が分かったような気がしたものである・・・(汗)

戸石城2013 (122)
砥石城の南登り口。階段が付いていなかった昔は「転落注意!」のスリル。

戸石城2013 (120)
堀切不要の岩尾根。南口から砥石城を攻めるのは困難であることを体験する瞬間である。

【米山城】

複合城郭である戸石城における米山城の役割はかなり重要だったと思われる。小さな郭3つの出城だが、砥石城と連携することで最大の防御ラインとなっている。
公園化され村上義清公の大きな石碑があり、かなり変形しているが、この場所に砦があると無いでは防御に差が出る。

戸石城2013 (126)
本城ではなく、何故米山城に村上義清の碑がたっているのであろうか?

戸石城2013 (129)
村上時代の城代家老屋敷があったとされる金剛寺集落。城下町がその時から形成されていたのであろうか。

戸石城2013 (134)
米山城の副郭。堀形も郭の東西に認められるが、ハッキリしたものではない。

戸石城2013 (136)
主郭と副郭の切岸。結構あいまいである。

さて、5回シリーズの「戸石城」如何でしたでしょうか。

地元の城を真面目に観察して真面目に記事にしてみる・・・・案外難しいものだと知りました・・・(笑)


≪戸石城 砥石城と米山城≫ 

標高:800m 比高:160m(陽泰寺より)
築城年代:不明
築城・居住者:村上氏、真田氏
場所:上田市上野
最新攻城日:2019年12月22日 (雪の残る写真は2013年2月の撮影)
お勧め度:★★★★★(満点) ここを知らずして信濃の山城は語れない
本城までの所要時間:20分
見どころ:堀切、切岸、石積みなど
駐車場:有り(陽泰寺の駐車場借用)
参考資料:「甲信越の名城を歩く」(吉川弘文館)など


㋹点は砥石城 Ⓢは米山城 Ⓖは復元櫓門。

戸石城2013 (112)
真田昌幸が上田城に居城を写した後は、後詰めの城して信幸や幸村が入城した戸石城。彼らも見たであろう城跡からの風景。
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Posted on 2020/01/22 Wed. 11:09 [edit]

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