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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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船山城 (上伊那郡中川村片桐)  

◆時代の変遷により大きく2区画に分かれ拡張された河岸段丘の城◆

未だ掲載出来ずにいる過去の大量の取材写真をどうするのか?というのは結構悩ましい問題である。(⇐もちろん、管理人の怠慢によるものであるのは言うまでもないが・・・汗)

さすがに10年以上前の現地調査における写真は、現在の遺構の状態とかけ離れているケースが想定されるのでブログ記事として掲載するのは難しいが、5年前ぐらいなら一言注釈を入れればお赦し戴けると思うし、山城にも詫びが入れられるかと・・(笑)

そんな言い訳を語りつつ、今回ご案内するのは、上伊那地方の河岸段丘の城を代表する「船山城」(ふなやまじょう)。

船山城① (1)
長野県史跡に指定されている船山城跡。指定史跡なのに駐車場が無いのは長野県独自の文化かもしれない・・(汗)

【立地】

天竜川の右岸、上伊那郡と下伊那郡の境界上に位置している。(具体的には中川村と松川町の境界線)この場所は天龍川の氾濫原に面した段丘の先端部にあたり、南側には南沢の浸食谷があり天然の要害である。その形があたかも船を山の上に置いたような地形から、古くから船山城と呼ばれている。

船山城見取図①
中央の堀切㋒を境として城の成立時期が2区分に分かれる。

船山城① (58)
御射山神社の鳥居脇の貯水池は堀切㋐の一部で三日月堀の名称が伝わる。この辺りに城の大手門があったという。

【城主・城歴】

船山城についての詳細は不明だが、片切郷の中心部にあり、城の造りや付近の地名などから、平安時代の末期よりこの地方に勢力を持ち、多くの支族を分派させた片切氏の居城と考えられている。
片桐氏からは、名子氏、大島氏、飯島氏、赤須氏、上穂氏、岩間氏、葛島氏、前沢氏、座光寺氏などの諸氏が近郷に分知してそれぞれに居城を構えている。

船山城① (31)
二の丸は現在果樹園や畑などの耕作地となっている。本丸と二の丸は「城畑」と呼ばれている。

伊那谷に勢力を伸ばした片切氏であったが、戦国時代に入り武田氏が伊那に侵攻してくると、伊那衆は鈴岡城の小笠原信定の元に抵抗するものの、各個撃破されやがて武田氏の支配下に組み込まれていった。片切氏とその一族も伊那春近衆として秋山信友の配下となり、三河、遠江、美濃方面へ遠征したり大島城の修築工事にも従事した物と思われる。
天正十年(1582)に武田氏が滅亡するとともに船山城も廃城になったものと考えられている。

船山城① (25)
本丸との間の堀切㋑は南側のみが残るが、堀切に墓所が置かれ残念な事になっている。

船山城① (29)
北側の堀切㋑は埋められてしまい痕跡も残らず。

【城跡】

城跡は大きく二つの部分に分けられる。その一は㋒の堀よりも東の1・2・3の郭の位置するいわゆる「出丸」とと呼ばれる砦部bンと、その二は西側の「城畑」と呼ばれる本丸・二の丸の広大な居館部分である。
堀で台地上を分割して、五つの郭が並んでいるが、先端の三つの砦部分の郭は船山の名が生まれた所で、両側が急崖に護られていて堅固な要害である。

船山城① (22)
本丸(西側より)

船山城① (23)
本丸の先の堀切㋒から先のエリアは「出丸」と呼ばれる砦群で、船山城の初期と考えられている。

船山城は、最初は東半分の部分が造られ、居館は山下の田島平になり、㋒の堀中を登ったものと考えられている。その後、上段の台地の開発が行われ、本丸、二の丸の部分が造成され居館もそちらに移動して、城下も西側の台地上に移り、城の大手も西側に変遷したものと思われる。

船山城① (35)
堀切㋒。通路以外は藪が酷く堀の形状の把握は難しい。朽ちそうな「出丸」の標柱がお出迎え。

船山城① (8)
堀切㋒の本丸側には土留めの石積が確認出来る。

●郭3
全長100m、最大幅28mの細長い三角形の郭で、堀切㋒側は盛土して土塁が築かれて防御を厳重にしている。

船山城① (3)
背後の土塁上には稲荷社が祀られている。

船山城① (5)
郭3の内部。藪が酷くて・・・これでも県指定史跡なのでしょうか・・・(汗)

●郭2
最大幅12mの細長い郭で、北側は土塁を削り残して一騎駆けの痩せ尾根として堀切㋓で断ち切る。

船山城① (42)
堀切㋒。(上巾15m)

船山城① (48)
堀切㋓は城域最大の上巾21mを誇る。

船山城① (10)
郭2の中心部。

●郭1
船山城の初期の主郭。最も早く造られたもので、次第に郭2、郭3と拡張され、根小屋式の山城が形成されたものと考えられている。背後を上巾11mの堀切㋔で遮断している。両辺に土塁痕が残り、そこに船山稲荷神社が勧進されている。47×16mの楕円形で、北側の尾根筋に麓へ通じる道がありここに虎口が開いている。麓の先端は二条の堀切で絶ち切っている。

船山城① (15)
堀切㋔(上巾11m)

船山城① (17)
郭1。(47×16)

船山城① (20)
背後の土塁には船山稲荷が勧進され、県指定史跡の標柱、説明板が建てられている。

船山城① (50)
郭1の北側に開く虎口。当初の麓の居館との通路だったのであろうか。

船山城① (21)
東斜面を守る堀切㋕。


≪船山城≫ (ふなやまじょう 県史跡)

標高:357m 比高:80m (国道より)
築城年代:不明
築城・居住者:片切氏
場所:上伊那郡中川村片桐南田島
最新攻城日:2015年9月22日
お勧め度:★★★☆☆
本城までの所要時間:-
見どころ:堀切、土塁など
駐車場:無し。御射山神社脇に路駐。
付近の城館:前沢城,葛島城、大草城など
参考資料:「信濃の山城と館⑤上伊那編」(宮坂武男著 戎光祥出版)


Ⓢは御射山神社。この脇に路駐。

しかし、5年も前の写真を見ても「ここは何処?あたしは誰?」状態・・・(笑) 記憶を辿るだけで1時間もかかる有り様。
「おお、Googleストリートビューがあるじゃん!」と思いついたが、農道までは入ってくれない・・・(汗)

「鉄は熱いうちに討て打て!」 その通りです(笑)

船山城① (2)
入口の説明板に見取図を書いておかないと、誰も先端の城跡まで辿りつけないと思うのだが・・・(長野県教育委員会殿へ)

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Posted on 2020/02/23 Sun. 13:13 [edit]

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