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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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宮田城 (上伊那郡宮田村北割)  

◆長大な連続竪堀を施した在地土豪の要害城◆

上伊那地方の山城というと、どうしても高遠城とその周辺砦、そして天龍川の河岸段丘を利用した無駄に(?)デカイ城を思い浮かべてしまうのだが、案外魅力的で個性的な山城も多く存在する。
なかなか認知いただけないのは我ら地元民の紹介活動が弱いのであろうとひたすら反省・・・(汗)

で、今回ご案内するのは、上伊那郡の山城でも特筆すべき美しく長大な連続竪堀を備える「宮田城」(城山)である。

宮田城① (2)
なんせ5年前の写真の記憶を辿る作業からはじまるので、ここが登り口で看板あったなあーぐらいしか・・・(笑)

【立地】

宮田村のJR飯田線宮田駅から西方2.5kmほどのところ、北割城山にあり、その標高は950mの尾根上の南端に位置している。登城路は、林道小三沢線が中央道の下をくぐるガードから65m登ったところから右手の斜面にm地がある(案内看板有り)。これが嘗ての大手道であったと推定されている。
※林道を車で陣場まで上がり、そこから尾根筋を400m戻って本郭を見るコースもあるが、遺構を隅々まで見学するなら麓から登る大手コースが無難であろう。

宮田城① (21)
主郭南側の斜面には「アラシ」と呼ばれる竪堀がある。元々の沢にある程度手を加えたものであろうか。

宮田城① (24)
東側の斜面は段々畑のように段郭が続く。

宮田城見取図①
在地土豪の要害にしては、背後の尾根の竪堀の処理は厳重で芸術的な美しさである。

【城主・城歴】

地元では城山と呼ばれるこの城は、宮田氏の居城ではないかと言い伝えられて来た城跡である。
宮田氏については元徳元年(1329)三月の諏訪上社五月会御射山統の頭役の結審を定めた、鎌倉幕府の下知状にみえる宮田郷地頭の宮田氏の初見である。

宮田城① (29)
登り口から比高100m程登ると主郭の虎口に辿り着く。桝形ではないが折れを伴う坂虎口で、簡易な門があっただけのようだ。

宮田城① (35)
主郭の内側より見た虎口。

武田氏の伊那侵入に際しての動向は、下伊那の小笠原信定に従って、福与城や塩尻峠の戦いに参加していることが「小平物語」に記されている。
しかし、「甲陽軍艦」に記されている伊那侍成敗の事は、「小平物語」には見えない。伊那侍成敗の事を信じると、宮田氏は信玄にあくまでも抗して斬られたわけである。

宮田城① (33)
主郭に建つ説明板と城址碑。宮田村教育員会としては「城山」(じょうやま)を名称として採用している。

宮田城① (6)
北辺の土塁の上から撮影した主郭(39×25)

宮田城① (34)
主郭背後の高土塁。かなり堅固な造りである。

地元における宮田氏に関わる遺跡や伝承は詳らかではないが、北割がその本拠地で、釈迦堂跡の台地付近に館を構え、その背後の城山を本城としたのではないかと推定されている。
主郭付近から配・炭。釘・天目茶碗の片、皇栄通宝等が発見されたという。
※「定本 伊那谷の城」より引用

宮田城① (52)
主郭背後の土塁を思いっきり高くするのは、敵に対する目隠し効果と、背後の堀切の落差を稼ぐ手法としてのセオリーであろう。

【城跡】

●主郭

周囲を土塁が全周し、北側の尾根の堀切に面する土塁は一段と高い。西側の土塁の上は叩き土塁で犬走的な用途も兼ねていたようである。首位には数段の段郭を配置し、大手道のある東斜面は細長い数段の郭を置き防衛を堅固としている。

宮田城① (45)
土塁の上部は「馬ふみ」と呼ばれる幅3m程度の通路として加工されている。


●尾根を遮断する長大で美しい竪堀群

宮田城の特徴は、なんといっても主郭背後の遮断された連続堀切と、長大な竪堀群である。

伊那谷の城の代名詞といえば、天龍川の河岸段丘を利用したどうしようもなく無駄に(?)デカイ城ばかりが紹介されがちであるが、山沿いに行けば、尾根を利用した技巧的な山城も人知れずたくさん眠っているので、是非それらを訪れて欲しい。

宮田城① (7)
主郭背後刻む堀切群。当初は堀切㋐と㋒のご単純な二重堀切だったものを手を入れて複雑な仕様に改変している。

宮田城① (8)
堀切㋐の断面。

宮田城① (63)
堀切㋐と㋑の間の東斜面にもう一条堀切を入れている。

宮田城① (10)
堀切㋑。

宮田城① (12)
主郭背後の堀切では最も上巾の広い堀切㋒。

宮田城① (17)
堀切㋒は東斜面を、♪線路は続くよ どこまでも♪ 状態で長大な竪堀となり下る。段ボールで滑ってみたい(笑)

いかん、またツラツラと説明が面倒になると写真を連続させる「ものぐさ太郎」でございます・・えっ、ものぐさ太郎知らないって?

単郭に複合五条の大堀切で普通土木工事は終わりそうなものだが、用心には用心を重ねて更に一段高くなる尾根とその背後の「陣場」と呼ばれる場所の手前に巨大な堀切を二条入れている。

宮田城① (18)
単品としては文句ない美しさと上巾を誇る堀切㋓。

宮田城① (137)
東斜面を長大な竪堀となり比高100mにわたり遮断する。宮田城独自のドクトリンである。

宮田城① (138)
「陣場」手前の最終堀切㋔。

宮田城① (114)
堀切㋔の凄まじい竪堀変化(笑)

長大な竪堀を持つ山城に出会うと、どこまでも竪堀を下ってしまいその都度後悔する・・・(笑)

そう、竪堀を下ったら、あとは登るしかない・・・確か、さだまさしの歌には「上り詰めたら、あとは下るしかないと」・・・(汗)

宮田城① (116)
ため息の連続とはこの光景であろう・・・。

長大な竪堀を持つ信濃の山城の代表格といえば、祢津下ノ城、八間長者城、塔ノ原城、青柳城、会田虚空蔵山城、桐原城、林小城、旭山城、竹把城、飯山の山口城(大城・小城)などが筆頭で、伊那谷はこの宮田城ぐらいであろうか。

陣場と呼ばれる場所の背後の尾根にも複雑な堀形の地形が確認出来るが、それが往時のものなのか「ショイビキ道」と呼ばれる林業の道なのか判別は厳しい。

宮田城① (121)
伊那谷方面はよく見える抜群のロケーション。

≪宮田城≫ (みやたじょう 城山)

標高:845m 比高:120m
築城年代:不明
築城・居住者:宮田氏
場所:上伊那郡宮田村北割城山
攻城日:2015年9月22日
お勧め度:★★★★☆
難易度:B(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分けではnormal)
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し (路駐)
見どころ:長大な竪堀こそ命!!
注意事項:特になし
参考文献:「信濃の山城と館⑤ 上伊那編 宮坂武男著」 「定本 伊那谷の城」
付近の城址:物見や城、小田切城、唐沢城など

宮田城① (135)
宮田城遠景(東側より)


路駐はⒼ付近。Ⓢは林道経由の場合の陣場の位置。
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Posted on 2020/03/14 Sat. 22:42 [edit]

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