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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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上田館 (塩尻市北小野上田)  

◆上田城と関連する麓の居館跡か◆

ブログ開設11周年なのだが、このところさっぱり更新する気力に欠けてしまい、定期的にご訪問頂いている読者の皆様には申し訳なくお詫び申し上げます・・・(汗)

さて、今回ご案内するのは前回の上田城を築いた在地土豪の麓の居館と伝わる上田館(うえだやかた)。

上田館見取図①
竹入川の段丘を利用した居館で、㋒~㋔の堀形から一辺150mぐらいの方形居館が想像できそうだ。

【立地】

塩尻市にある北小野矢彦神社の東南300mの小野川(竹入川)に面した台地上が「畑中」といって上田館跡と伝わる。ここから北北東300mにある小山は上田城で、矢彦神社の後方の山には川鳥城(かっとりじょう)、その山の尾根先の頂上には狼煙台と伝わる霧訪山(きりとうやま)がある。

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南東の竹入川方面からみた堀形㋒。

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㋒の右側の崖渕にも堀形㋓が確認出来るが、往時のものかははっきりしないという。

【城主・城歴】

宮坂武男氏の調査を以下引用させていただく。

天文年間(1532~)に府中小笠原氏の配下の草間肥前(備前とも)がこの小野に居たようで、豪将として名高い。小笠原氏が追われると、草間肥前も武田氏に属したという(「伊那の古城」より)
草間肥前は辰野町の小西城の城主ともいわれ、武田氏の侵入の時には、荒神山や羽場城を守ったとされるが、その本拠地ははっきりしない。この居館も一つの拠点であったろうと言われている。

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堀形㋑

また、この館には、小野神社、矢彦神社にかかわる今井氏が居たと言われる。ここからは平安期の土器はたくさん出るが、それ以前の土器は出ないという。土師、須恵器が沢山出る事から、この一帯は小野の中心地であったと考えられている。
この地域には古くから神社と関係する勢力があり、その人々の屋敷が神社周辺にあったことが想像でき、その勢力を統括する者があり小笠原氏の支配下にあった時があると思われ、その一人が草間肥前と言えよう。この畑中の館(上田館)もそうした意味で、この地の神社勢力とも関係があり、上田城とも深く関りのあった者の館であったと推定されよう。また牧に関連するものとの考え方もあるようである。

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堀切㋐の北隅には城の守護神として稲荷社が祀られている。

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堀切㋐。約40mの長さでしっかり残る。

【城跡】

竹入川の崖渕を利用した居館城で、ほぼ感存する堀切㋐と一部残る堀切㋑から一辺約40mの方形居館の姿が想像できる。ここが屋敷の中心区間であろう。現在道路となっている㋒と㋔の堀形が外郭であるとすれば、一辺焼く120mの長方形の居館となり、一族郎党の屋敷もあったものと考えられる。

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堀切㋐方面から見た堀形㋔方面。

写真みたら堀形ばっかり。肝心の居館跡の全景とか全く撮影してない・・・(笑) まっ、そんな時もあるさ!


≪上田館≫ (うえだやかた 畑の中の館・雄館)

標高:821m 比高:5m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:塩尻市北小野上田
攻城日:2018年6月3日
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け)
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し
見どころ:堀切
注意事項:耕作地は無断侵入禁止、民家が多いので撮影時にはプライバシーに注意
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編
付近の城址:小西城、川鳥城、上田城など

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上田館から見た上田城。

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Posted on 2020/07/26 Sun. 11:32 [edit]

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