FC2ブログ

らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0928

湯川城 (桝形城 茅野市北山湯川)  

◆圃場整備で滅失した土塁と丸馬出が悔やまれる武田初期の陣城◆

ようやくキリ番の800城目の掲載となった。

特に意識はしてなかったが、よく飽きもせずにこの数に辿り着いた事だけは、飽き性の自分を褒めてあげたい・・・(笑)

前々回の原の城で再訪をお約束していたので、その続きを掲載してみたいと思う。

朝倉山①
水没した左ひざのリハビリ兼ねて朝倉山城に8年ぶりに訪城。この時期は下草が伸び放題で桝形城や砦の沢は見えない。

【危惧していた原の城の遺構損壊に茫然自失】

諏訪方面への出撃は仕事も城の取材も大門峠を越える。(未だ新和田トンネルが有料のため)
湯川城はショートカットする道路沿い(旧大門街道)にあるので、現況を車の窓越しに確認するぐらいだった。
最近は通る機会も減り、今回久々の訪問は現状確認も兼ねていた。

IMG_4413.jpeg
原の城の東の竪堀出口付近の家が改装されて(?)いる・・・堀切が通路になって竪土塁は大丈夫なのか?!

原の城見取図②

確か8年前にも家はあったが堀切と竪土塁は完存していた。

どうやら改装した際に家の西側にあった竪土塁を削平し堀を通用路として普請して家の北側に駐車場を造ったようだ。

IMG_4404.jpeg
かつての堀切は道路となり、東側の竪土塁は一部を除いて消滅。段郭もなくなってしまった。(西側から撮影)

まあ、土地の所有者がご自分の土地をどうしようと勝手なのだが、城の遺構と伝わる場所だけに残念でならない。


◆桝形城◆

宮坂武男先生の「信濃の山城と館⑥ 諏訪・下伊那編」では「99、湯川城」として原の城と桝形城を一緒に掲載しているが、宮坂氏も両方の城のある台地を一つの城として見るのは無理があり、400m近い距離もあるのでそれぞれ独立した城とみるのが妥当であろうと見解を述べている。
小生はそれに従い別個の城として掲載するが、本来こちらは「桝形城」(ますがたじょう)と呼ばれ、現地説明板もそう表示している。世の中には「桝形城」の名を持つ中世の城郭はたくさんあるので、あえてこちらを湯川城としたが、ご了承願いたい。

IMG_4393.jpeg
農道に立つ説明板。このあたりに丸馬出があったという。

【立地】

茅野市から小県郡長和町に向かう大門峠の茅野市側の入口の北山集落にあり、滝の湯川と砦の沢に挟まれた段丘上に立地する。南東400mには原の城がある。

湯川城復元図①
復元推定図。現在土塁や丸馬出の遺構は無い。

【城主城歴】

宮坂武男氏の「信濃の山城と館⑥諏訪・下伊那編」の湯川が城の解説より抜粋すると、「湯川の地名は南北朝時代から見え、戦国期には郷名としても見える~中略~また「諏訪古城考」には、「湯川村城跡」として「世俗伝説に信玄の一夜城ろ云ふ こは武田信玄 小県佐久筑摩更級等の郡へ出陣の時大門峠より越して軍勢を押さるると記此処にて人馬を休めし所也 此所にて軍勢の手分けをなして出陣蟻 又開陣ニハ一夜を明かし給ふ本陣也 拠って一夜城と云 甲州の城より逸見通り原中ニ真直の道を造り通行せられしものにや 是を世俗信玄の棒道と云へり。」とあってその言っている事は「長野県町村誌」等も大同小異である。

IMG_4385.jpeg
桝形城の西端。この先はV字となり滝の湯川の断崖となる。

原の城でも述べたが、ここは大門峠を越えて東信濃や北信濃への遠征軍の兵站補給基地であり、初期の丸馬出を備えて厳重に防御している事から、信玄や大将クラスの宿営地と推定される。

IMG_4386.jpeg
南側から見た桝形城の先端部分。

IMG_4389.jpeg
滝の湯川に護られた北側の崖。

【城跡】

北・南・西の三方を深い河岸段丘の渓谷に護られた陣城である。ほ場(圃場)整備前の昭和三十年代の写真には、直線の土塁と、中央の虎口を堀付きの丸馬出が覆う写真が残っている。
桝形城の名前は、その虎口の形状から由来するのであろうが、はっきりした事は分からない。茅野市としては、ほ場整備の前に発掘調査を行い、遺構の調査を行うべきであったと思うが、当時の行政に中世城郭の価値や認識を求める事はほぼ不可能だったと思われる。
が、今回の原の城の遺構破壊の件もあるので、茅野市には早急に遺構の発掘調査をお願いしたいものである。

IMG_4388.jpeg
桝形城の西端から城内全を見る。

IMG_4397.jpeg
城内を貫通する農道の南側の土塁推定地。見事に底まで削られ原形を留めない。

IMG_4396.jpeg
農道から北側の土塁及び堀切跡(推定)。

IMG_4398.jpeg
復元すると、こんな感じだろうか・・・。

小笠原長時を塩尻峠の戦いで破り、その後長時が頼った北信濃の宿敵村上義清を追い詰めて越後に遁走させた武田信玄は、対上杉謙信の攻略に関しては府中の深志城(松本市)に郡代を置き、兵隊は犀川沿いの参道を新たな軍用道路として整備しこれを活用した。

IMG_20200928_0003.jpg
宮坂武男氏が聞き取り調査と破壊前の写真を元に作図した丸馬出と土塁。初期の武田の丸馬出を紐解く貴重な遺構だったようだ。(「信濃の山城と城館⑥諏訪・下伊那編 P206より引用転載)

従来の大門峠を越える軍用道路はその使命を終え、それと共に原の城、桝形城も使われなくなったのであろう。
貴重な武田初期型の丸馬出と三日月堀が、昭和三十年代まで奇跡的に残っていたのに、あっけなく破壊されたのは嘆かわしいことである。(同じ初期の丸馬出を備えた上田市の岡城も、同じく昭和三十年代の市営住宅の建設で遺構が壊滅したのも残念な限りです・・)


【砦の沢】

桝形城の南側の深い渓谷は「砦の沢」と呼ばれ、往時は現在の北山小学校の先まで水堀として台地を分け隔てていたという。現在は圃場整備により途中から埋め建てられてしまい、排水用の土管が地中を巡っているという。

IMG_4399.jpeg
この時期に見ても藪が多くて実感沸きません・・・(汗)

IMG_4400.jpeg
それでも沢を少し下りるとそれなりの全体像は見れますよ。

≪湯原城≫ (ゆがわじょう 野原城)

標高:969m 比高:20m
築城年代:不明
築城・居住者:武田氏(推定)
場所:茅野市北山湯川
攻城日:2020年9月22日(再訪)
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け)
城跡までの所要時間:
駐車場:無し(邪魔にならない場所に路駐)
見どころ:砦の沢、標柱
注意事項:耕作地のため私有地には入らない事
参考文献:「信濃の山城と館⑥ 諏訪・下伊那編 宮坂武男著」
付近の城址:朝倉山城、原の城など


Ⓖは砦の沢の標柱の位置。Ⓢは原の城の入口の標柱。㋹は桝形城の丸馬出の跡に立つ標柱の位置。

IMG_4412.jpeg
原の城から見た朝倉山城。

スポンサーサイト



Posted on 2020/09/28 Mon. 21:28 [edit]

CM: 2
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top