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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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神明城 (伊那市長谷黒河内)  

◆文武両道に長じる歴代黒河内家の根拠地◆

昨日、スマホの機種変更をした。4年3ヵ月の間、苦楽を共にした「7」であった。

想い起せば、画面のガラスは2週連続して落として割るし、バッテリーは2回ほど交換したが、山城の写真撮影や山ログで正確な位置情報の表示、城址からのtwitter発信など小生の厳しい環境下での山城ライフをしっかりサポートしてくれました!心より「ありがとう!」を伝えたい・・・・。

引退後は、娘の長女の室内専用デバイスとして第二の人生が待っています。今までの過酷な主とは違い大事にしてもらえると思いますw

マスクしていると顔認証してくれない新しい相棒の「12」の操作に悪戦苦闘しつつ、今回ご案内するのは「神明城」(しんめいじょう)

神明城 (1)
古屋敷とよばれる城の東側。

【立地】

人造ダム湖の美和湖東岸の黒河内の段丘上に位置する。ダムの湖面よりは約70mの高さがあり、段丘の中段には寺や数軒の民家がある。ダム湖が出来て水没する前には水田もあったようである。北東300mには沢を隔てて艮城があり、八人塚も傍らにある。

神明城 (2)
城跡の真ん中付近は「中道」との呼名。耕地化による改変で遺構らしきものは何もない。

【城主・城歴】 ※以下「定本 伊那の城」(1996年 郷土出版社)P89より引用、一部追記

城は寿永二年(1183)頃、源為朝の直系黒河内二郎義純が築いたと伝えられ、往古は「黒河内藤沢之庄」の庄であった。諏訪社領に属し、鎌倉幕府の旗下、承久の乱には将として軍功をたて、文安二年(1445)小笠原家家督争いに加勢、蔵人正国討死、室町、戦国を高遠氏に属し、天文十八年(1549)武田氏高遠侵攻に鵯越(ひよどりごえ)で城主の黒河内八郎左衛門朝光戦死。弟の隼人政信が当主となるも、武田に叛いたため伊那の狐島で処刑される。その後黒河内家は存続を赦されたようで江戸時代は保科氏に属する。世々黒河内家の根拠としてこの地で活動してきた。寛文年間(1661~73)在に下り郷の始動の地位にあった。

神明城 (4)
天王という地名の残る場所。城(屋敷)の中枢部分であろうか。

【城跡】

「定本伊那の城」の解説によれば、城址は、南北約200m、東西約150m。北は稲村沢の急傾斜深く登坂困難な地形。西側は三峰川へ崖となり、東と南に空堀を備える単郭式平山城である。水の手は郭内に湧水がある。城跡はほとんど消滅しているが、泉水、庭石、神明社が祀られている。

と書かれているが、現地を歩いても堀など見当たらず、往時の姿をイメージするのはかなり困難であった・・・・(汗)
(というか、地図片手に歩いていても不審者そのものなので、通報される前に早々に退散したというのが事実である・・・笑)

神明城 (6)
南側の高台から撮影した城の西半分。恐らく住宅の立つ場所とその北側が中枢部だったと思われる。

神明城 (7)
同じく城の東半分。要害の地に築かれた巨大な館城というのが、往時の姿であろう。(奥に見えるのが美和湖)

そういえば、先日地元ローカルのニュース番組見てたら、伊那市高遠町にある長野県を代表する日本酒「黒松仙醸」の蔵元「株式会社仙醸」(せんじょう)の社長さんの苗字が黒河内なので、びっくり。神明城のゆかりの方なのかしら・・・いつかお尋ねしてみたい。(←いやいや、アルコール系の宣伝のチェックのし過ぎだと思うが・・・笑)

≪神明城≫ (しんめいじょう 神明の古城) 

標高:890m 比高:70m (美和湖より)
築城年代:不明
築城・居住者:黒河内氏
場所:伊那市長谷黒河内
攻城日:2021年2月6日 
お勧め度:★☆☆☆☆ (南の高台の道路から見る程度かと)
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け) 
城跡までの所要時間:-
駐車場:無し
見どころ:-
注意事項:住宅地なので撮影注意。不審者と間違われない様、住民の方がいたら挨拶を忘れずに。
参考資料:「信濃の山城と館⑤上伊那編」(宮坂武男著 戎光祥出版) 「定本 伊那の城」(1996年 郷土出版)
付近の城址:艮城、桑田砦、溝口上の城、溝口下ノ城など

八人塚地図①
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Posted on 2021/02/24 Wed. 22:40 [edit]

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