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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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上の平城 (上伊那郡箕輪町東箕輪 県指定史跡)  

◆伊那源氏ゆかりの地の河岸段丘に築かれた広大な館城◆

伊那谷のおける中世城郭を掲載したHPやブログは今でも極端に少ない。

戦国時代の早い時期から武田の被征服地となってしまった事や、天正壬午の乱においても吉岡城の下条氏が伊那谷の土豪をとりまとめて徳川軍に協力させたことで、戦禍を逃れたというのも遠因であろうか。

天龍川の浸食によって形成された河岸段丘を利用したどうしようもなく平和ボケしたデカイ居館城ばかりが取り上げられてしまい、緊張感や緊迫感の無い城ばかり・・・という誤解や先入観もあるようだ・・・(汗)

まあ、そんな解説はともかく、今回ご案内するのは、鎌倉時代の館城の遺構がそのまま残るという「上の平城」である。

上の平城 (15)
主郭の南側に立つ標柱と説明板。ここが長野県指定史跡なら、なぜ伊那大島城は指定史跡にならないのか不思議である。

【立地】

上の平城は、上伊那郡箕輪町北部天龍川東の、南小河内に位置している。東の山麓が舌状に張り出して丘陵となり、その突端に築城した平山城である。周辺の地形を見ると、南は一の沢川、北は知久沢川、東は寺沢川による断崖となり、西は平地に続き天龍川となっている。

上の平城見取図①
これだけの広大な城跡が耕作地化されたとはいえ、よく残ったものである。

城跡は西南に面した傾斜地で日当たりよく、先始・原始時代の遺跡地でもある一帯は、古来より居住性に富んだ地形であった。また、この地からは、伊那谷南北への眺望きわめてよく、築城の地形としては適地であった。

上の平城 (5)

上の平城 (8)
見取図「3‘郭」の南の帯郭に建てられた東屋から見た伊那谷の眺望。(上2枚)

【城主・城歴】

これまで城跡の歴史については、平安時代末に源為公(みなもとのためとも)によって築城されたと伝えられ、鎌倉時代中期には諏訪氏と同族の知久氏の拠るところとなり、知久氏が下伊那に移ってからは使われる事がなかったとされてきた。
しかし、平成十年~平成十二年に実施した主郭等の発掘調査では、戦国時代(十五世紀中頃~十六世紀中頃)の遺構や遺物が確認され、城は戦国時代にも機能していた事が明らかになった。

上の平城 (50)
恐らく戦国時代の普請と思われる堀切㋐(一の堀)。まさかこんなに鋭く深い堀切を拝めるとは思わなかった(笑)

上の平城 (53)
舌状台地の西端に穿った堀切㋐。おお、戦国時代の緊迫感を充分に感じる・・。

上の平城 (61)
堀切㋐の西側の尾根には竪堀状の遺構が確認出来る。

上の平城 (47)
堀切㋐と接続する郭2の先端部。この森の中に堀切㋐が隠れているのだ。

発掘調査では、主郭の現地表面下から土塁・礎石建物址・出入口遺構等を伴う生活面が確認され、そこから大量の炭化物や焼土が出土したことから、何らかの理由により焼失したものと考えられている。
また、同時期の遺構として、主郭と二の郭の間からは埋没した空堀も確認された。

上の平城 (45)
郭2。

上の平城 (44)
ここから堀が検出されたという。

上の平城 (36)
北側には堀切㋑(二の堀)の先端のみが残る。調査報告書は見ていないが薬研堀の可能性はある。

【城跡】

城の構造は舌状に張り出した丘陵を五条の堀によって切った形であり、四つの郭が造られている。この形から郭が連なる「連郭式築城」という呼び方もある。
城の規模は東方の広いところで144mを示し、細長い三角形状を呈している。城域の中心は中の郭と呼ばれ、四郭に分かれた西から二つ目の郭であり、約40aの広さがある。このうちには井戸が二ヶ所あったと言われ、土中に礎石と思われる石が等間隔に位置するようBに存在していると伝えられる。
土地の人は、ここを本丸と呼び、追手口は北に面してあったと推定される。

上の平城 (110)
60×60の方形の主郭。ただただ広い・・・。

上の平城 (115)
伊那谷の河岸段丘城の特徴である無駄に広い主郭。防衛上の不利なんか考えていないのがいい(笑)

上の平城 (118)
現存する堀切㋒。(北側から撮影)防御と北側からの物資の搬送を兼用した通路と思われるがどうであろうか。

上の平城 (107)
堀切㋒には昭和48年当時の説明板が朽ち果てずに残っている事を知る人は少ない・・・。

上の平城 (11)
南側の道路から見た郭3‘と郭4‘

上の平城 (20)
主郭の東側は長大な堀切㋒が郭を分割している。

この城の周囲には砦や狼煙台の遺構が多く確認される。書物によっては、これらの砦群が上の平城の防衛網だと唱えるものもあるが、近くには武田軍の攻撃に屈する事の無かった福与城もあるので、何とも言えない。

上の平城 (77)
上の平城の東側の城域は堀切㋔(現在は埋めた建てられた農道)

上の平城 (79)
道路のRの場所から南に堀切㋔の堀形が確認出来る。「5の堀」ってあるだけで不親切だよね(笑)

上の平城 (87)
長大な横堀㋒は本郭と郭3の間を遮断し東の端まで約300mの長さを誇る。


≪上の平城≫ (うえのたいらじょう 神之平城・丸山城)

標高:746m 比高:35m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上伊那郡箕輪町小河内
攻城日:2016年4月24日
お勧め度:★★☆☆☆
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分けl)
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し (東屋付近に軽自動車なら1台分)、道路脇の耕作地には止めないでください。
見どころ:広大な郭、西端の堀切など
注意事項:耕作地への無断侵入はご遠慮ください。農道は狭いので走行注意。
参考文献:「信濃の山城と館⑤ 上伊那編 宮坂武男著」 「定本 伊那谷の城」、現地解説板
付近の城址:日輪寺畑居館、城ヶ峰城、小式部城など


Ⓢは東屋の位置。

上の平城 (35)
説明板も何ヵ所かあり、微妙に説明が違うのが時代の推移を感じられますw
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Posted on 2020/03/25 Wed. 07:28 [edit]

CM: 2
TB: 0

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コメント

なかなかいい事例の河岸段丘城ですね

らんまるさん、こんばんわ!
お元気ですか?いやいやこの更新意欲があるということは元気が有り余っている、という事で、と勝手に解釈しておる次第であります。

さて、上の平城、伊那リゾートですね?(それは白樺リゾート池の平ホテルだろうがぁ!!!)
・・・すみません、ついつい一人で突っ走ってしまいました(;^_^A)
しかしまたまた出ましたね、河岸段丘舌状台地の無駄に広い城!
なんでこう伊那の城ってこんなん?って思ってしましますが、恐らく城主たちに入れ知恵した請け合い業者でもいて癒着していたのでは?などと意味のないことも考えてしまいました。
しかしそんな城ばかりでもないぞ!とばかりに宮田城のような竪堀主流の山城もありって感じでで面白いですね。

前にもコメントしたことがあると記憶しますがお写真で拝見しますとやはり
美濃恵那上矢作の前田砦(上村城)の堀切と伊那の段丘城はそっくりです!台地の適当な所を堀切でぶった切る普請といい、少し弧を描いた堀切ライン、薬研っぽい堀底、そしてそれに付随させる小さな曲輪‥等々。
この城も注目に値する貴重な城だと思いました。

っていうか・・、え?伊那大島城って指定史跡受けていないんですか??
・・確かに不思議です・・。

ありがとうございました!

久太郎 #- | URL | 2020/03/26 21:13 * edit *

Re: 久太郎様へ

久太郎さん、こんばんわ!!

我ながら久々に記事の更新が続いておりますが、インドア派のやんごとなき事情とプラモ作りにそろそろ飽きが来ていて、ベクトルが伊那谷の城の消火作業消化作業に向き合っているだけで、どのくらい続くのかは例の如く未知数かと・・・(笑)
その割には例年になく信濃先方衆としてあちらこちら城巡りしながらのアップ作業なので、なんとか気力だけは持続しているようにも思えますw

河岸段丘の城巡りは隅々まで見て歩くと大変だということは、松岡城や吉岡城、船山城、春日城、飯田城で知っているとはいえ、隅々まで観察しないと気が済まない性格の小生には辛いものがあります・・(笑)
この度の上の平城も結構疲れました。

「伊那谷の城は、こんなんばっかかい!」

基本的には否定できず、肯定に拍車をかける物件ばかり・・・。

県歌「信濃の国」では、「北に犀川、千曲川・・・南に木曽川、天龍川」と歌われます。
長野県人は直立不動で歌いますw

それにしても、河岸段丘の物件は天龍川に圧倒的に多く、犀川・千曲川や木曽川は稀に見かける程度かと。

久太郎様の推察の通り、伊那谷にこの築城方法を広めた輩がいたのでしょう。そして、実戦や戦火にまみえる事のなかったこの地方は、巨大な館城こそが権力の象徴だったのでしょう。にしても、天下取りの中京地区の影響を受けずに独自の築城方式が定着したのには驚きます。

長野県の教育員会が指定してきた中世城郭の史跡は、どこもかしこも確固たる理由が不明です。

マレットゴルフ場化した伊那大島城ですが、早いとこ指定しないと、二重の三日月堀が最近の新府城の三日月掘のように訳の分からぬ整備で往時の遺構の破壊につながるやもしれません。

長野の山城の伝道師を自負しておりますが、伊那谷の舌状台地の館城群は避けて通れない「宿命」を感じておりますw

らんまる #- | URL | 2020/03/27 23:43 * edit *
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