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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0429

北の城 (上伊那郡宮田村中越)  

◆天竜川の崖渕に築かれた要害城◆

4月の上旬に突然母親が他界してしまい、悲しみに暮れる暇もなく慌ただしい日々を送っている。

人の命なんていつ尽きるかわからない。もっとも「あなたの人生は○○歳です終わりです」と知っていたらもっと頑張れるのだろうか。

「親孝行、したいときには親は無し」 このことであった・・・。

明日の命の保証などないなら毎日こうして生きている事に感謝して、一日一日を精一杯生きなければと思う今日この頃である。

何とか頑張って更新したい思いから、今回ご案内するのは上伊那シリーズで宮田村にある「北の城・下の城」。先に北の城から。

北の城・下の城(宮田村) (1)
駐車場脇の巨大な土塁にびっくり!宮田村は伊那市と駒ヶ根市の間に挟まれた村で、人口約9,000人の村。北の城は桜の名所。

【立地】

天竜川の右岸、宮田村の中越集落の天竜川に面した段丘上に北の城・下の城と呼ばれる城跡が並んでいる。天竜川に面しては絶壁で、対岸は猿岩の岩壁が川に迫っていて、天竜川は峡谷となって流れている。いわゆる「後ろ堅固」の立地である。

北の城見取図①
大沢川と宮沢川に挟まれ、後ろは天竜川。舟形の主郭と外郭として西曲輪と南曲輪があったが耕作地化により原形は不明。

北の城・下の城(宮田村) (23)
主郭の西側の土塁に二ヶ所開口部があり、どちらかが虎口だったという。

【城主・城歴】

北の城と下の城の経歴ははっきりしたことはわからないが、位置からみて中越に本拠をおいた中越氏に関わるしろではないかと推測されている。
中越氏の文献上の初見は、元徳元年(1329)三月諏訪上社五月会御射山等の頭役を定めた鎌倉幕府の下知状、中越地頭と出ているがその地頭の名前はわからない。鎌倉時代に中越郷と宮田郷の地頭が諏訪上社に勤仕していたことを伺うことができる。
また、時代は降りるが応永七年(1400)の大塔合戦に、春近人びと一員として中越備中守が出陣していることが、「大塔軍記」等の戦記物にみられるところである。

北の城・下の城(宮田村) (17)
本郭の北隅でV字に折れる土塁。ここの土塁が最も高い。

以来、諸文献に名の見えなかった中越氏が再び出現するのは、永禄四年(1561)に書かれたとされる武田信玄関連の文書の中である。文中には中伊那の地侍たちの名が十三名挙げられており、ながらくなりをひそめていた中越氏は近郷の小身衆とともに信玄に服従したらしいことが読み取れる。

北の城・下の城(宮田村) (7)
主郭西側の堀跡。

北の城・下の城(宮田村) (15)
主郭内部。

【城跡】

北の城の主郭(122×60)は現在リバーランド天竜公園となっている。主郭の西側は堀に囲まれていて、その中ほどに土塁の切れ目がある。これが城の大手門(虎口)の位置と考えられるところである。ここを境として堀が北と南に分かれて設けられている。またた城上げ井(井戸)がこの辺りにあったが土地改良工事の為に失われたようである。

この北の城の堀の元凶を見ると、西側と南側の土塁の外側に現存するのみで、外堀は認められない。これらの堀と土塁の形は中世の中葉によくみられる形式である。また、この北の城では、北側が一段と高い土塁が設けられているのが特に注目されるところである。

北の城・下の城(宮田村) (24)
本郭の東側の土塁。天竜川に面しているので、途中から土塁が切れている。

北の城・下の城(宮田村) (27)
現在対岸とは北の城橋で連結されている。車は1台しか通れないので譲り合いの精神が大切ですw

北の城・下の城(宮田村) (10)
南曲輪。大沢川を挟んだ更に南側に下の城(しものじょう)がある。

北の城・下の城(宮田村) (12)
土地改良工事によって範囲が不明となった西曲輪。

西曲輪と東曲輪が外郭として存在したらしいが現在明確な遺構は見当たらない。堀で区画されていた可能性もありそうだが・・。

この後記事にする「下の城」とセットで使われたようであるが、両方合わせるとかなり巨大な城である。下の城は居住区としての居館城とすれば、北の城は堅固な要害城としての目的で築城されたのかもしれない。

北の城・下の城(宮田村) (34)
城の東側は鉄壁の水堀「天竜川」(橋から北方面を撮影)

≪北の城≫ (きたのじょう)

標高:610mm 比高:20m(天竜川より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上伊那郡宮田村中越
攻城日:2015年9月22日
お勧め度:★★☆☆☆
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け)
城跡までの所要時間:- 駐車場:有り
見どころ:主郭の土塁、堀切など
注意事項:特に無し
参考文献:「信濃の山城と館⑤ 上伊那編 宮坂武男著」 「定本 伊那谷の城」
付近の城址:下の城、中越館、塩田城など

北の城・下の城(宮田村) (29)
対岸から見た北の城。桜の季節に再訪したいものである。


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Posted on 2020/04/29 Wed. 16:46 [edit]

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コメント

御母堂さまに感謝ですね。

こんばんわ、らんまるさん。
記事の更新拝見いたしました。
御母堂様の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
その際にはお忙しいなかご連絡をいただき誠にありがとうございました。

さて・・、少し落ち着かれましたか?
私のことをお話しするのはなんですが、私も母が2年前に他界しました。
しばらくは実感がなくいつも通りの生活を送ることで気がまぎれていたように記憶しております。ある日の夜、寝る前に急にいろいろと思い起こされて涙ボロボロとしたものです。お酒が飲めれば少しはまぎれたのでしょうか(笑)。

私たちも遅かれ早かれいつかは天に召されます。
いつ他界することになるかわかりませんが悔いがのこらないように毎日を生き切りたい、私の親孝行はそう誓ってこれからの人生を愉しみ、実感することとしました。

長い人生を生き切った御母堂様、本当にお疲れ様でした。
お会いしたことはございませんが、らんまるさんを慈しみ育て上げられたその人生に一言労いのお言葉をと思います。(無礼を失礼いたしました)

久太郎 #- | URL | 2020/04/30 21:27 * edit *

Re: 久太郎様へ

昨晩は深い心の闇を返信してしまい、削除しました(汗)

三年前に父親が他界し、夫婦仲が良かったのであの世で暇を持て余している父親が母親を迎えに来たのでしょうね。

妹夫婦の所で約1年世話になり、初夏にはこちらに戻る予定での突然の訃報で死に目にも会えず、今もその辺から帰ってきそうな気がしています。

何気ない当たり前の日常を生きているのは「当り前じゃない」んですね。最近の騒ぎで痛感します。

日々後悔ばかりの人生ですが、笑顔の絶えない一生を全うしたいなあーと思います。

お心遣いありがとうございました。

らんまる #- | URL | 2020/05/02 07:15 * edit *
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