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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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関屋城 (長野市松代町豊栄)  

◆地蔵峠越えの松代街道を監視した砦か◆

先月から休日は自宅軟禁中(?)なので、プラモ製作数とかブログ記事の更新回数が伸びても良さそうなものだが、天邪鬼っぽい思想なので「それは違うだろう・・・」という訳の分からぬ回答となる・・(笑)

10年前の長女の結婚式と披露宴のDVDを見ながら、夫婦で涙腺崩壊しているのが正しい「Stay Home」なのだと思う・・(笑)

今回ご案内するのは、北信濃の川中島城砦群の一つであろうと伝わる関屋城(せきやじょう)である。

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主郭背後の見事な大堀切(南側)

【立地】

長野市松代町豊栄(まつしろまちとよさか)の関屋集落にあり、城址の東側は上田市の真田町へ通じる松代街道の地蔵峠の入口を抑える場所にある。明徳寺の南、小沢2つを隔てた300mの位置で、集落のある関屋川(蛭川)に面して急崖になっている。

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大堀切の北側は長大な竪堀となって沢を刻んでいるが、産業廃棄物の不法投棄で困った事になっているようである。

関屋城見取図①
主郭背後の土塁は崩されたが、主郭と一段下の段郭で構成された古いタイプの縄張りであろう。

【城主・城歴】

神氏(みわし)の関屋氏が代々拠った所とされる。関屋氏は諏訪大祝の後裔で、平安時代より松代地方を領した豪族であったが、明徳(1492~1500)以後、村上氏のために滅ぼされたと言われている。
その後の城主は不明だが、地蔵峠を越える街道の海津城の裏口を守るには良好な位置にあるので、見張り兵が置かれた可能性はあると思う。

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この農道は主郭背後の土塁を破壊した時に周回用として新たに造られたようである。

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東側から見た土塁跡。一見すると櫓台の郭のように見えるが、元々は主郭を目隠しするように高い土塁があったと推定される。

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尾根先を切断し北側に落ちる竪堀が斜面を遮断している。(上巾18m)

【城跡】

城址一帯は耕作地化され、現在は植林で大きく変貌してしまい往時の遺構を観察するには難しい状況となっている。
尾根先の舌状台地が主郭で、一段下に囲むような段郭が置かれ、尾根の根元は一条の大堀切で切断されている。
主郭とその下の郭の南側は石積みの切岸になっているが、これは近年の耕作地化による土留めであろう。また、北側斜面に数段の帯郭のような平場が数段あるが、遺構とは関係ないようだ。

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主郭内部(35×20)

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主郭南側の石積み。崩落留めで積まれたようで、三段で構成されている。城の遺構ではない。

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松代周辺は石積みの城が多いが、これは時代が新しいと誰もが気が付く。

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この帯郭は城の遺構のような気がするが・・・。

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主郭の先端から見下ろした段郭。

元々は在地土豪の要害として造られたようであるが、麓の屋敷等の場所は布目だという。宮坂武男氏によれば、この辺りには未だ見発見の砦が2~3あると伝わるが、場所の特定には至っていないという。

関屋城の正面には武田統治時代のノロシ山が良く見える。が、その高さゆえに、普段は麓の関屋城が活用されたようにも思うのだが、どうであろうか・・・。

ノロシ山①
関屋城から見たノロシ山。天候に左右される狼煙台は、麓の砦から次の砦へ銅鑼や鉦叩きで伝える方法が主流だったとも・・。

≪関屋城≫ (せきやじょう)

標高:510m 比高:45m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市松代町豊栄関屋
攻城日:2017年4月16日
お勧め度:★★☆☆☆
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け)
城跡までの所要時間:関屋集落から10分 
駐車場:無し (明徳寺の裏道経由で城までの農道は道が荒れているので、道路脇の南側の堀切から直登するのが良い)
見どころ:堀切、主郭、土塁跡など
注意事項:特に無し
Special Thanks to ていぴす殿
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編 宮坂武男著」
付近の城址:ノロシ山、清滝城、尼巌城など

IMG_1128.jpg
地蔵峠へ向かう豊栄保育園側から見た関屋城。


集落側の南堀切出口から登るのが早いが、耕作地を進むので地元の方にはしっかり挨拶しよう。

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Posted on 2020/05/11 Mon. 20:41 [edit]

CM: 2
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コメント

なつかしき・・・

おや、どこかで見たことあるような?
こんな城を取り上げるのは余程のモノ好き?
貴殿と俺かい!

急な尾根を下った場所にあったのは意外でした。
本当にこの先にあるのか、疑心暗鬼になりました。
普通は尾根末端が盛り上がったような場所に城があるはずですが。

堀切の西側の土塁は多分、唐崎城の明星砦のような大土壇だったんでしょう。しかし、帯曲輪のコンクリートで固めた石垣、面喰いました。
帯曲輪は本物だとは思いますが。

あおれんじゃあ #- | URL | 2020/05/17 21:52 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

過去に訪問した城で未掲載の在庫処分をどうしたものかと・・・手っ取り早くささっとテキトーに書けそうなのが関屋城でした。

そういえば師匠も掲載しておられたんで、どうかなーとは思いましたがそれぞれ違う視点なのでまあいいかと・・(笑)
こんなマイナーな城、地元愛が無いと掲載しませんよね。

ジムニーで寺の奥から林道経由で柵明けて入ったものの、途中倒木で車が通れず結局歩く羽目に。川沿いから堀切を登った方が遥かにショートカットでした・・・(汗)

それにしても、この自宅軟禁状態にせっせとブログ記事を上げれば良さそうなものですが、ものぐさ太郎には無理です(笑)

らんまる #- | URL | 2020/05/18 07:20 * edit *
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