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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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艮城 (伊那市長谷黒河内)  

◆黒河内家の本城を守るために築かれた城◆

「明日やろう、は、バカヤロー」 そんな言葉をラジオのパーソナリティが言っていた。なるほど、的を得ている。

「明日からダイエットするから、今日は思いっきり食べよう!}とか、「明日から禁煙するから、今日までは吸っても大丈夫だよね」とか・・・自分自身に言い訳を探しはじめて、期限を延ばそうとする・・・

そう、その明日は、残念ながら永遠に来ないのである・・・(笑)

自慢じゃないが(←いや、充分に自慢してる・・汗)、週二日の休肝日は夕飯を食べない。そう決めて家族に宣言して即実行。おかげで4.5kgの減量に成功。しかし、空腹との戦いに無条件降伏したくなるのも事実である・・・(汗) さて、いつまで続くのかしら。「継続は力なり?」 ・・・いいから米が食べたい・・・心から・・・頼む・・・金払うから・・・(笑)

そんな「腹ペコ青虫さん」が今回ご紹介するのは、八人塚が祀られている「艮城」(うしとらじょう)。

艮城 (28)①
八人塚のある場所から西側に突き出た段丘に艮城があり、八人塚のある場所も改変されているが城に因んだ名が残るという。

【立地】

三峰川によって出来た河岸段丘を北の沢と稲村沢によって削り残された台地の上にある。南北を深い沢に囲まれ中々の要害地形である。現在、三峰川は美和ダムによって堰き止められ、分杭峠に続くかつての秋葉街道は半分以上がダム湖に水没したが、旧長谷村は高遠と大鹿を結ぶ要衝の地であり戦略的にも重要視された場所でもあった。

城の名前は、黒河内氏の本城である神明城(しんめいじょう)の艮(丑寅、北東)の方角にある事に由来する。

艮城① (7)
艮城と八人塚のある台地を遮断する上巾19mの巨大堀切。

艮城① (11)
北の沢側より見た大堀切。

艮城見取図①
主郭の背後を深い堀切で絶ち切り、正面の斜面に通路を兼ねた横堀を伴う。南側には段郭が伴う。

【城主・城歴】

高遠家に属した神明城主の黒河内氏一族の築城と伝わる。(黒河内氏の出自については、次回の神明城で記載したい)
「定本伊那谷の城」の記述によれば、「神明城主黒河内八郎左衛門朝光の弟隼人政信が、武田氏伊那侵攻に備えて築城した。天文十八年に武田と戦った兄の朝光が戦死後も、伊那の諸豪士と合力し武田氏に最後まで抵抗し、弘治二年(1553)武田氏のため伊那狐島で惨殺された。」とある。

艮城 (7)
北斜面の通路。

艮城 (9)
通路の幅が斜面を回り込み次第に太くなり横堀になる。塹壕として作られたように思えるが。

艮城 (13)
こんな感じの土手付きの横堀。主郭の正面の防御用に掘られたようだ。

艮城 (16)
結構しっかり叩いているよね。

艮城 (11)
横堀の先端。この先は適当に稲村沢につなげていて、特に加工された竪堀とはなっていないようだ。


【城跡】

67×28の主郭は、東側台地との堀切側に巨大な土塁を備えて背後から城の中が見えないように工夫している。土塁は大堀切の土を掻き上げて作られたようで、堀底からは13m、郭側からも9mあり、壁のようである。主郭への入口は南側で、ちょっとわかりづらいが、枡形虎口となっている。
主郭の南の稲村沢側には段郭が置かれている。この沢には現在も通路があるので平時は連絡路となっていたかもしれない。
主郭の北側は犬走のような連絡通路が堀切から伸びていて、斜面を取り巻くうちに横堀となり主郭の正面を防御している。
高遠方面からの敵に備え、本城である神明城の守備で新たに築城されたというのは合点がゆく。

艮城 (23)
主郭内側から見た背後の巨大土塁と枡形虎口。

艮城 (22)
南側の土塁はかなり低い。(奥に桝形虎口)

艮城 (21)
北側の土塁はかなり高く盛られていて、東側からの目隠し効果を担っている。

艮城 (24)
67×28の主郭。(東側より撮影)

艮城① (19)
67×28の主郭(西側より撮影、デジカメで撮影した補助用写真。やはりスマホに勝てないのか・・・汗)

艮城 (19)
主郭の南側にある帯郭。

武田軍の諏訪と伊那の侵略は、電光石火の如くで抵抗する地元勢力が無かったような記載も多いが、その実情は違うらしい。
隙あらば「武田信玄、何するものぞ。我ら伊那谷衆が結束し、再び我が郷土を昔の通りに取り戻して見せる!」

しかし、黒河内隼人政信ら上伊那八人衆の思惑は外れ、強大な軍事力を持つ武田信玄の前に散った。
本来であれば、八人衆の一族は根絶やしにするのが鉄則であるが、領民の反抗を抑える為に親族を取り立てる懐柔策を取ったという。

艮城 (27)
桝形虎口に立つ石碑。城友の久太郎さんだったら、寝転がって「いいよ、そのポーズ!!」とかいって撮影するんだろうなあ(笑)

艮城① (35)
主郭背後の大堀切の南側(稲村沢方面)。ここから沢伝いに通路があるので、往時も使われたものと推察される。


≪艮城≫ (うしとらじょう) 

標高:900m 比高:90m (国道より)
築城年代:不明
築城・居住者:黒河内隼人政信
場所:伊那市長谷黒河内
攻城日:2021年2月6日 
お勧め度:★★★☆☆
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け) 
城跡までの所要時間:-
駐車場:無し
見どころ:大堀切、高土塁、段郭、横堀
注意事項:特になし(八人塚よりは害獣除けゲートを開けて入る。必ず閉める事)
参考資料:「信濃の山城と館⑤上伊那編」(宮坂武男著 戎光祥出版) 「定本 伊那谷の城」(1996年 郷土出版)
付近の城址:神明城、桑田砦、溝口上の城、溝口下ノ城など

八人塚地図①
あたしゃ国土地理院の地図しか信用できしまへん・・・(何語じゃ!・・・笑)

艮城① (28)
虎口にある「艮城」の石碑(昭和53年建立)と高土塁。
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Posted on 2021/02/17 Wed. 19:49 [edit]

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コメント

城址碑は芸術だ!

らんまるさん、どうもこんばんわ。
変態城址碑写真家の久太郎です。
18歳未満はお断りの刺激的で選りすぐりの城址碑写真集を販売しようかと模索中です。

さてさて今回は艮城「うしとらじょう」ですね、これ恥ずかしながら読めませんでした。北東方向を指すのですね。へ~勉強になりました!
大堀切に高土塁、それだけでも充分見応えがあり、2、3食抜いてもお腹いっぱいになりそうです。・・おっと定期断食してみえるらんまるさんにとってはそんなこと朝飯前ですかね??

それにこの石碑!(わざとらしい食いつき方)いいですね~。
「いいよいいよ(カシャカシャ!)その立ち方、最高よ~、そう、台座も入れちゃおうか(バシャバシャ)、そーそ~ノッテきたぁ~今度は逆光でいってみようか~苔なんか咥えてみようか~オ~ナイスアングル!!(カシャシャ!)」・・・・誰もいない山中で変態が加速していくのであります。

こんなコメントでいかがでしょうか(笑)。

久太郎 #- | URL | 2021/02/18 21:00 * edit *

Re: 久太郎様へ

久太郎さん、さすがの食いつき、素晴らしいですねぇ~。

やはり期待通りの返答は小生の見込んだ優等生そのもので百点満点かと・・・(笑)

もう、城址なんかそっちのけで、「なんなんだ、この碑と人って」暴走が止まらいしロマンチックも止まらない(笑)

さっき、某国営放送のTV番組を見てたら、「電車は、ローアングルからの写真が迫力倍増なので、鉄ヲタの基本」とかのたまってました。
ほほう、これって、土塁とか堀切とかにも使えるんで内科医ないかい?って思い、即実行ですね。久太郎氏のローアングルは一見ヤバそうに見えて、案外まとも???(失礼・・・笑)

3月、関所破りを承知で信濃先方衆は美濃へ侵攻しようと企画しています。きっとお付き合い頂けると信じております(←脅迫してませんよ、希望的憶測とか忖度とか・・・笑)

らんまる #- | URL | 2021/02/18 22:34 * edit *
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