らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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依田城(上田市)  

◆木曽義仲挙兵の地◆

いつでも登れると思うと後回しになること必須の地元の城跡(笑)

長野県のご当地大河ドラマ制作要望では「木曽義仲」と「保科正之」が多数を占めるとか。

保科公は家光公の異母兄弟で、高遠藩主から会津藩の礎を築いた名君なのだがイマいちインパクトが弱い。

木曽義仲は平家を都から追い出した功労者なのだが、田舎武者の三日天下(といっても約三ヶ月)の誹りを受けて人気度が低い。

依田城 036
↑依田城登山口の宗龍寺。義仲を支援する依田氏が自らの館を譲り渡して居館を構えた場所と伝わる。

1180年、以仁王の平家打倒の令旨を受けた叔父の源行家が全国の源氏に通達し、それに呼応して最初に挙兵したのが木曽義仲だった。(頼朝とは従兄同士)

木曽の日義で中原氏の庇護を受けていた義仲は、木曽路から東信濃に北上し、同調する東信濃や上州の同志三千を集めて挙兵したのがこの地(小県郡御嶽堂)と伝わる。

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この時期の統一戦は、世間では一般的に源平合戦と呼ばれ、誰もが「源氏vs平氏」を想像するが、源義朝(頼朝のオヤジ)に父親(源義賢)を殺された義仲の本当の敵は同族の頼朝なのだ。

「源氏vs平家vs源氏」

親戚だからとか、同族なんで仲良くしましょう!って密約なんぞ無くて「殺るか、殺られる」かの世界。京への一番乗りこそ保身の最先端。

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↑登山道途中の不思議な光景。賽ノ河原とはこういう風景なのだろうか。

とにもかくにも平家討伐の第一走者は義仲。横田河原(長野市)で越後から攻めて来た平家側の城助職を散々に討ち破る。

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↑宗龍寺から寡黙に20分ほど登ると城址への標識がある

軍事的緊張の高まった関東の頼朝との衝突を避ける為に長男を人質として差し出す屈辱はあったものの、北陸道から周辺の反平家勢力を統合し都を目指す。

倶梨伽羅峠では北陸追討軍の平惟盛(10万とも云われた)を夜襲による奇襲戦法で叩き潰す。

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↑依田城の頂上手前の痩せた尾根。幾度となく整備されたようだが、来るものを拒む険しさがある。

怒涛の如く義仲が京都に入ると、平家は安徳天皇を擁して西国に逃れる。

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依田城の最上郭。そこそこの広さと360度の視界は圧巻だ

京都の義仲は、朝廷の皇位継承問題に介入して以仁王の子で北陸宮の擁立を試みるが失敗。朝廷からは政治・文化・教養に疎い粗野な人物として反感を買う。

更に京都の治安回復にも失敗した義仲は、名誉挽回のため、後白河上皇に平家追討を願い出て播磨で転戦するも苦戦が続き信用を回復するような成果を得る事が出来ない。

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頂上からは素晴らしい展望。義仲もこの景色を見て京へ上る決心を固めたのであろう。(浅間山方面)

その一方で、朝廷への工作で東国支配権を得た頼朝は、後白河上皇に上洛を願い出て許され義経を総大将とする鎌倉軍を京へ向かわせる。

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北信濃方面を望む。

この時点で義仲の敵は平家では無く頼朝となる。

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何故か城跡の鯉のぼり。この辺では小牧城跡にも鯉のぼりが泳いでいる。(時々吹き流しに変身する)

後白河上皇の心変わりを阻止したい義仲は、反義仲軍として武装した法住寺殿を襲撃し、後白河を捕えて幽閉し傀儡政権を朝廷内に樹立するが、この期を捉えた頼朝は鎌倉軍を京へ入れる。

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↑主郭脇の石積み。

頼朝を朝敵として自らを「征東大将軍」に任じ鎌倉軍と戦うが、自前の軍隊を持たない寄せ集めの義仲軍は、士気が上がらず暴挙もあって逃亡する兵が多く宇治川、瀬田の戦いで惨敗を喫し、自身も近江国粟津で討死。享年31歳。

木曾義仲 022
木曽町の義仲館に展示れている義仲公と巴御前の蝋人形。何故かアンニュイな表情(笑)

日本史の授業では、鎌倉幕府成立までの過程が難解とされるが、実は以下の通りの単純明快さなのである。

↓   ↓   ↓   ↓

①武家政権樹立のための第一走者として平家を京都から一掃した義仲。ブレーンに恵まれず自暴自棄となり自滅。

②兄頼朝に才能を見いだされた第二走者の義経は軍事の天才で驚くべきスピードで平家を滅亡させる。が政治には疎く、頼朝に利用されて鎌倉幕府の目の上のコブだった奥州藤原氏のもとへ逃亡し共に滅びる。

③鎌倉で忍耐強く引きこもり生活をしていた第三走者の頼朝が最後に笑ったかと思いきや、奥さんの実家の陰謀により落馬して急死。(真相は闇の中だが・・)

④公武合体を模索した第四走者の天才実朝は、実家に陰謀がバレてしまい、甥の公卿に暗殺されて源氏は三代で滅亡。

こうして鎌倉幕府は北条執権政治により安定期を迎えるのである(笑)



あっ、スミマセン、依田城の記事でしたよネ(汗)

山麓の龍泉寺付近に居館を置き、中腹に根小屋を配置し、山頂に見張りの砦を置く鎌倉初期の様式を持つ山城です。義仲の思いを辿るには絶好のロケーションには違いない。


≪依田城≫ (内山城)

標高903m 比高差367m
築城年代:鎌倉時代~
築城・居城者:
場所:上田市御嶽堂曲沢
攻城日:2010年7月25日
お勧め度:★★☆☆☆
見どころ:石積み、頂上からの展望
その他:龍泉寺の駐車場借用。徒歩約30分。登山道は整備されていますが最終の頂上付近は足場が悪いので注意。
付近には御嶽堂居館跡、砂原峠には義仲ゆかりの名所が散在する。

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Posted on 2011/02/27 Sun. 10:54 [edit]

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コメント

NoTitle

マサハレですv-40

依田城、私はお寺の所まで行きました。それ以上は無理でした・・・。
その時のツアーだったかも知れませんが、あまりの苛酷な山登りの連続で靴が破損し、上田駅前のヨーカドーで新しい靴を緊急購入しましたね。

上田には何度も泊まっていますが、その時はホテル「ルートイン」だった気がしますね(当然、ヨーカドーでつまみが買って単独宴会です)。

ところで、酔いにまかせてのWEB更新は誤字脱字が多く、反省しきりです(と言いつつ、今も呑んでいますが…)。

46 #- | URL | 2011/02/27 22:32 * edit *

Re: マサハレさんへ

お酒飲みの方は、同志ですのでノ―プロブレムです、ハイ(笑)

ルートイン上田ですね。上田市の産業道路沿いに今もありますよ。
小生は一日に最大でも三ヶ所の攻城が限界です。
靴は大事なアイテムと認識しております。

かく云う私も一年以上慣れ親しんだナイキのトレッキングシューズが型崩れしてしまい、最近替えました。
道無き里山を登るので、靴選びも大変です(爆)

千葉にお邪魔する機会がありましたら、とことん飲み比べといきましょうか・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2011/02/27 22:53 * edit *
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