らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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平尾城・平尾富士砦(佐久市)  

◆巧みな処世術で戦禍を免れた桃源郷◆

実はこの城の攻城戦は二度めであり、第一回目の昨年の8月には乗用車で林道を彷徨った挙句の果てに平尾富士登山をしてしまう、という失態(まあ、砦だったから無駄ではなかったが・・・笑)

テキトーな攻城戦の代償は、この山城が平尾富士(1155m)、白山(1066m)、秋葉山(950m)の3つの峰からなるという学習効果をもたらす・・・・(爆)

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↑小田井城(御代田町)から望む平尾城


≪五代続いた平尾氏の処世術≫

15世紀中頃、小県郡依田庄に本拠を置く依田修理亮為泰(よだしゅりのすけためやす)は、佐久の大井氏の配下となり、佐久平尾の地を領して平尾氏を号する。(芦田氏を称した依田一族と同系列だった)

初代為泰が平尾に居を構えたのは応仁の乱の直前であったという。湯川の断崖上に築かれた居館は白岩城(平尾氏館)と呼ばれ、東西80m、南北60mの方形で周囲には土塁と空堀を巡らせたというが、現在その痕跡は残っていない。

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平尾富士から平尾集落方面

平尾城は、居館である白岩城の詰の城として三代信守が永正年間(1504~1521年)に佐久郡内の争乱に備えて築城されたという。

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秋葉山にある城跡へは平尾山市民の森駐車場まで車で登りアンテナ管理道路(封鎖)を歩いて登る。

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アンテナに向かう道路の途中に南の尾根に登れる場所があるので、左に折れるとそこから城域となる。

秋葉山と呼ばれる山頂には、西の本郭と東の二の郭があり、四方を土塁で囲み長方形の地割がされている。
(宮坂氏の縄張り図では4ツに分類されている)

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山頂からは三方向に尾根が伸びるが段郭を多く加工した北西の稜線が守芳院に続く大手道であったと推測される

尾根を西に進むと小さな一条の堀切があり、更に進むと深さ7mの段差を付けた大堀切が出現する。

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↑堀底から4の曲輪の土塁を見上げる。

4の曲輪と3の曲輪は連続しているが、土塁で段差を付けているのが分かる。

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東端の堀切手前の土塁

3の曲輪と2の曲輪は巾3m、深さ2mの空堀で仕切られている。

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曲輪の両サイドには、犬走り程度の細長い腰曲輪らしきものもある。

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残雪のあとが連絡用の通路とおぼしき細長い曲輪になっている

平尾城は佐久地方では唯一戦禍を受けずに済んだ城であり、平尾氏の築城当時の姿がそのまま保存されている貴重な遺構でもある。

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堀底から2の曲輪と段上の1の曲輪を見る(2つ合わせて本郭と見る事も出来る)

段差10mは最後の防禦手段としては充分な高さがあり意識して造られたのであろう。

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↑空堀には土留めとしての石積みが残っている。

高さ10mの壁はさすがに取りつく場所もないので、北側に回り込み秋葉社の石段で本郭頂上へ登る。

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西側から見た本郭。中央に秋葉社の祠があり、周囲の木々には小学生が取り付けた鳥の巣箱がある。

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高さ10mの段上から東側の曲輪方面

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↑小田井城からズーム×7で平尾城。曲輪と堀切の位置が確認出来る。

地元の小学校の子供たちの説明板には思わず「にっこり」しました。

下手な城跡の説明書きよりも、子供たちの一生懸命書いた立て札と巣箱の良く似合う城跡ですね。

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秋葉社の説明

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切岸の説明

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鳥だったらこんなお洒落な家を選びます

文明十六年(1484年)に岩村田の大井宗家が村上軍の急襲を受けて滅亡すると、平尾氏は佐久における戦国の地侍として独立する。
天文九年(1540年)頃から武田軍の佐久侵攻が本格化すると一時的に武田氏に降るが、志賀城攻めでは笠原氏に援軍を送るなどしその時の情勢に合わせ変節を繰り返した。

平尾氏最後の城主五代守芳(平三とも)は武田に従うのを拒否し、一時北条方につくが、身を寄せた松井田城が信玄により落城させられると武田方に降り以後、領地の経営に専念したようだ。

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武田氏滅亡後、佐久の諸豪族は北条方につくが、徳川家康の命で佐久地方の平定に乗り出した依田信蕃と真田昌幸の説得で徳川方となり依田信蕃-康国に従い岩尾城攻めや相木合戦で戦功を立てる。

その後、松平康国が上州藤岡へ転封になると平尾氏もこれに従って藤岡に移った為、居館のあった白岩城と平尾城は廃城になったと云う。

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辛辣を極めた佐久地方の戦国の動乱の中を、巧みな処世術で切り抜けて領民を戦禍から守り抜いた平尾氏。

春先には栽培されている桃の花が咲き誇るこの地はまさしく「桃源郷」なのである。

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↑平尾富士(平尾砦)からは小諸・佐久方面の城館を一望出来る。夏に苦労して登山した甲斐があった(笑)

≪平尾城≫

標高951m 比高差約175m
築城年代:戦国時代
築城・居城者:平尾氏
場所:佐久市上平尾秋葉山
攻城日:2010年8月13日(平尾富士)、2011年3月20日(秋葉山)
お勧め度:★★★★★
見どころ:大堀切、郭、土塁、石積み 展望台からの眺め←平尾富士から
その他:付近には金井城、小田井城

※参考文献:信州の古城(郷土出版社)、信州の山城(信濃史学会編 信毎書籍出版センター)



【編集後記】

んーん、最近の記事掲載の量が大量になっている。それに費やす時間も大量だ・・・なんとかしないとネ(笑)
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Posted on 2011/03/21 Mon. 14:04 [edit]

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