らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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小倉城(佐久市)  

◆依田信蕃がゲリラ作戦を展開した三沢小屋の支城◆

花粉症との一進一退の攻防を繰り広げているらんまるですが、落城寸前です(笑)

大正製薬の鼻炎カプセルやサンテFXの援軍をしても、今日のような風の強い日は人間を止めたくなるような苦痛です(爆)

祢津城・芦田城 065
↑芦田城全景。

前回の記事で、依田信蕃の生涯についてご紹介しました。

非常長かったので「まんどくせぇ!」という記事でしたが、読んで頂いた方には心より敬意を表します・・(笑)

まあ、せっかくなので依田信蕃関連の城をもう少しご紹介します。(しつこい?)

滋野系芦田氏が、村上氏を後ろ盾にした依田氏に芦田城を攻められて滅ぼされると、依田氏は芦田氏を名乗り芦田城を本城としますが、五代目の依田信守が当主となった時に、立地条件が悪く包囲されると籠城すら容易でない芦田城を諦めて、春日城(三沢小屋)とその支城を改修し移ったとされます。(1549年)

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↑三沢小屋(春日城)

天正十年(1582年)六月に信長が横死すると信濃と甲斐の領地を巡り天正壬午の乱が勃発する。

家康に臣従した信蕃は小諸城に入城するが、北条氏直が五万の大軍を率いて信濃に入信すると春日三沢小屋へ退却。佐久の諸将はほとんどが北条方となる。

川中島の対陣で上杉と和睦した氏直は小諸に下がり、大道寺を小諸城、北条源五郎を芦田城に置き依田信蕃を封じ込めるが、信蕃は三沢小屋から兵を率いて幾度となく芦田城を奇襲する。

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小倉城の麓にある神社

九月に北条方の大道寺軍が三沢小屋を包囲。信蕃は三沢小屋の支城の小倉城へ後退しゲリラ戦を展開し大道寺軍を翻弄する。

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三沢小屋より南へ約2㎞。入新町という場所に小倉城と押出砦がある。

家康は依田信蕃に援軍を送り、大道寺軍は小諸へ撤退。この間に信蕃は真田昌幸に徳川への臣従工作を行い、昌幸は承諾する。

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押出砦があったとされる段上。今は住宅地になっていて何が何だか・・・・。

その後、三沢小屋に戻った依田信蕃は、徳川の援軍と共に芦田小屋(芦田城)を奪取し、望月城の北条源五郎を攻めて討ち取り川西地方から北条の勢力を駆逐する事に成功する。

10月以降は真田昌幸と共同作戦を行い、北条方の補給路を断ち徳川の佐久地方支配を優位に導く。

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小倉城全景。

残念ながら、今回は森林組合の方が城址付近で保全作業を行っており、冷たい視線の前には攻城戦を始める事もままならず付近をウロウロした揚句に撤収。これじゃ北条軍といっしょだなー(笑)

≪小倉城≫

標高900m 比高44m
築城年代:不明
築城・居城者:矢島氏、布施氏、依田氏
場所:佐久市望月春日小倉
攻城日:2011年3月31日
お勧め度:★☆☆☆☆
見どころ:堀切、郭があるというが、今回は発見に至らず
その他:付近に押出砦跡、春日城、康国寺(信蕃の子で松平康国の菩提寺)




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Posted on 2011/04/03 Sun. 10:47 [edit]

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