らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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鷲尾城(長野市)  

◆古墳を縄張りに融合させた総石垣の山城◆

今日も今日とて松代方面への遠征。くしゃみ連発で山城の攻城戦なんぞしてるヤツの気がしれない・・(笑)

本日は金井山城へ。今回掲載する鷲尾城との共通点は「古墳」と「石垣」でした。

戦国時代も使えるものはリサイクルしたんですネ。それがたとえ権力者のお墓でも!(爆)

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あんずで有名な倉科の里にありんす。たいした高さでもないので「楽勝!」と思いきや・・・

「んーん、この道はいつか来た道だったような・・」

1年半前に鞍骨城を攻めた時に通過した場所です。当時は鷲尾城など知る由も無かった(汗)

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桜が咲き誇る風情のある場所

「ひとみなの ことは(言葉)たへてもはにしな(埴科)の いしい(石井)のてごが ことなたえそね」

(世の中の全ての人の言伝えが忘れられても 埴科の石井にいる美しい乙女の言伝えはどうか絶やさないで)

登り口にある大日堂には奈良時代の万葉歌碑が残る。でも何を言い伝えたの??(読み人知らず)

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大日堂は、海津城に移った真田信之の次女泰子姫(のちの見樹院)が如来を祀るお堂として寛文十三年(1673)に建立したという。

お堂の上に大善寺を造営するも1742年に大雨で崩壊。その後再建はされなかったらしい。

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↑見晴らしの良い場所ですが、傾斜がキツいので無理があったんでしょう。

まあ、15分もあれば着くと思ったが久々の厳しい斜面で息が上がる(笑)

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途中の案内板は中間地点。まだ登るの??

更に悪戦苦闘の10分経過。見上げると

「おお、おお、おお・・・・」(感嘆)

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何やら石がごっそり積まれて「鷲尾城」と書かれているではないか!

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このような立派な石積みを見るのは鞍骨城や青柳城以来だ。

しかも21×28の楕円形の郭を高さ4mの石垣が周回している。見応え充分だ。

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南側は通路として開けているが、郭の周囲を犬走りのような段曲輪を置いて二重の防禦を施している

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犬走りも石積みとして二段構えになっている。

鷲尾城の城域については、この郭と二重の堀切で遮断された東側の曲輪とする説があるが、果たしてそうだろうか?

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不整形の楕円型の本郭。

マサハレ殿の城と古戦場と同じく崇拝しているウモ殿の埋もれた古城は、この城の範囲について鋭い考察を加えられている。全く同感です。

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↑ほぼ垂直に削られた本郭の東側。石垣が巡っていたらしい事が分かる。

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見事な二重の堀切り。

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堀底から見上げる本郭の壁面。石積みが散乱している。

堅固な石垣の要害を機能させる為には、最悪のリスクを想定した詰めの城が必要なのだ。

連結のための曲輪を置き、一段高い前方後円墳を郭として取り込む事で脆弱さを克服する手段をとっている。

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↑15×5の連結曲輪。一段高い古墳への尾根を三重の堀切りで厳重に遮断している。

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埋まりかけているが三重の堀切がしっかり確認出来る。

倉科将軍塚古墳は、東へ向けての前方後円墳なので、尾根伝いでは最初に高い円墳になる。

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↑説明板の周囲は腰曲輪にした造作跡が見られる。

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円墳の頂上は三角点がある。

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非常時の本陣を置くには素晴らしいロケーション

残念ながら、この古墳は発掘調査が為されていない。理由は不明だが、広大な墳墓の地下には古(いにしえ)の謎を解く巨大な石室が眠っている。

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方墳の先には明らかに人工的に空堀を巡らせた跡がある。

聖域の場所としての古墳を分別する為の堀切ならあり得ない事もないだろうが、その先を曲輪としているのは、更に堀切を設置している事が事実だから。

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古墳の東側には、平坦地があり、その先を堀切で仕切っている。

この城を築いたとされる倉科氏の詳細は不明ですが、鞍骨城の支城である事から清野氏の一族だったのかもしれません。
二重堀切は村上または武田による改修と思われ、石積みは上杉方の改修かもしれません。

古墳を城に融合させる奇抜な発想は、金井山城にも見られます。
祖先のご加護を願う気持ちがあったのかもしれません。

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↑ヘタクソ!やめろ!の罵声(笑)が聞こえる鳥瞰図


≪鷲尾城≫

標高682m(倉科将軍塚古墳の標高 本郭は549.8m) 比高120m
築城年代:不明
築城・居城者:倉科氏
場所:千曲市倉科石抗
攻城日:2011年4月17日
お勧め度:★★★★★(満点)
見どころ:曲輪、石垣、堀切、古墳

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Posted on 2011/04/24 Sun. 22:14 [edit]

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コメント

鷲尾城の乱

鷲尾城、懐かしいです。

あの日は確か、ルートイン上田に泊まり、朝5時から葛尾城に登り、屋代城を軽くこなして → 鷲尾城だったと思います。

あの急斜面のきつさ、朝食もとっていなかったためか、本気で嘔吐しそうになった数少ない城です(失礼)。


まあ、そのまま鞍骨城やら西条城(竹山城)、甘飾城搦め手砦などなどに登り続けた一日でした。。。


最後に金井山城に登り、途中の見晴台にみたいな所で、さすがに精根尽きて下山し、退散しました…。


今も昨日のことのように思い出す狂気の遠征記です・・・

まさはれ #- | URL | 2011/04/24 22:29 * edit *

Re: まさはれさんへ

小生も比高差を考えずに無制限三本勝負を挑む事が多々ありました。ホント地獄の様相ですね(笑)
金井山城は、古墳巡りになってしまい、稜線をひたすら歩いて止めようかと思いつつ辿り着きました。

来週はいよいよ奇妙山へのチャレンジです。

二時間近く黙々と歩く事はまさしく登山。

ご一緒出来れば良いのですが、孤独な旅も修行に違いない(爆)

らんまる #- | URL | 2011/04/24 22:57 * edit *
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