らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
0427
金井山城(長野市) 
前回の鷲尾城は古墳を融合させた城というユニークさを持っていたが、今回紹介する金井山城は古墳に畝傍状の塹壕をプラスするという奇抜な発想で築城されたと思われる。
無論、らんまるの推測の域を超えないが、以前に攻城した埴原城の畝傍状の塹壕と似た防禦施設を中間に備えている。

↑だいぶ進化してきた鳥瞰図(笑)
あおれんじゃー様の北緯36度付近の中世城郭ではこの不思議な人工造作の跡は、防禦施設または天水溜めがあったのかもしれないという推察をされています。
防禦施設という意見では全く同感ですね。

長野電鉄屋代線金井山駅の南東約200mに金井山公園があり、城跡は尾根伝いにかなり歩く。

公園登り口にある古峯神社。
登った先の公園付近が城域だろうと思ってましたが、それらしき形跡も無く観音様と古墳巡りツアーを敢行する羽目になる・・・(爆)

配水池の東にある石勒仏の伽藍。

更に尾根を進むと平和観音。お顔がチョッと恐い。
遊歩道は平和観音様で行きどまりと表示されている。
その先が城跡なんだろうと甘い考えを持つ。

大室古墳群のひとつ。石室の入口から見るに盗掘されたのかもしれない。
数ヶ所の円墳に感心しながら進むのだが、いっこうに城跡らしきものが見当たらないので止めようかとも思う。

土塁の跡と思うのだが、やはり円墳の後ろ姿だったりする。
「このまま進んでも何かあるんかしら???」
不安な思いが交錯するのだが、古墳群を過ぎると畝傍状の不可解な構造が現れる。

↑規模は小さいが迷路にも似た畝傍は埴原城にある防禦構造に良く似ている。
♪歩こう、歩こう、わたしは元気~♪歩くの大好き~どんどん歩こう♪
とはいえ、いい加減疲れてきた・・・・(笑)
ようやく、それと分かる堀切りに到着。


写真ではお伝え出来ないのだが、この堀切りの壁面はほぼ垂直!!
加工度は五つ星。よじ登る場所を探すのに躊躇するのは久しぶりだ。

↑二の郭は天然の岩を利用した障害物競争を彷彿とさせるヘンテコリンな造りだ。
敵の侵入速度を落とすために城域全体をトラップ化している。面白い。

本郭手前の大堀切。段上に伏兵を置けば侵入者を倒すのは簡単だったと思われる。
石垣で囲まれた段違いの構造を二つの曲輪と見るか、一つの曲輪と見るかは意見が分かれるが、らんまるは敢えて一つの本郭と見たい。

↑石垣は上杉方により修復されたと見るべきであろうか?

↑指揮所というよりは、天水溜めだったと思われる最高部。
本郭の東側は天然の深い渓谷になっていて、その先は鳥打峠。
物見岩に哨兵を置き北信濃への監視を強化していたのだろう。

高い場所は好きですが、既に遠足疲れで転落のリスクを回避しました・・。
尼巌城の支城として寺尾城、竹山城、金井山城、霞城が存在したようですが、武田軍の勢力下で海津城が築かれるといずれも後詰めの城としての機能を持たされたのでしょう。

↑城跡から望む尼巌城
街道の要所を抑える海津城砦群の中では、奇抜な発想のユニークなお城です。
寺尾氏の家臣だった金井氏の築城とされていますが、異端だったのでしょうネ。
≪金井山城≫
標高480m 比高130m
築城年代:不明
築城・居城者:寺尾氏(金井氏とも?)
場所:長野市松代町東寺尾
攻城日:2011年4月24日
お勧め度:★★★★☆
見どころ:曲輪、石垣、堀切、古墳、畝傍
その他:長野電鉄屋代線金井山駅から金井山公園入口まで徒歩10分。車の場合は駅の無料駐車場を利用するのがベスト。城域までは400mひたすら歩くのでガンバ!

後世まで残して欲しい石垣の貴重な平山城の遺構。

↑金井山駅から見る城跡全景。
Posted on 2011/04/27 Wed. 22:15 [edit]
« 清滝城(長野市 挫折編) | 鷲尾城(長野市) »
NoTitle
らんまる様、貴重なレポ、ありがとうございます!
けっこう試練な登城路のようですね・・・。
古文書史料で出てくる、「上杉方に攻めらている城」というのは金井山でしたっけ?寺尾城でしたっけ?
いずれにせよ尼飾城に連なる尾根上に連携する重要な砦だったんですね。
そういえば、この山は、昔に北に通じる街道が存在していたために、熾烈な争奪戦が繰り広げられたのだ、とかいう文献を読んだことがあります。
ちょっとGW前に気持ちよく飲酒しているために、支離滅裂のコメント、ご容赦下さい。
Re: まさはれさんへ
いや、楽しいお酒は結構な事でございますw 小生は毎日泥酔状態ですから・・・(笑)
寺尾城と金井山城の間には鳥打峠があり仰せの通り重要な街道だったと思われます。
長野インターからは松代周辺の城郭群が一望出来るので両城とも海津城の要だったのでしょう。
あまり文献には詳しくないのですが「上杉方に攻められて・・」とは須坂の福嶋城だったような記憶があります。
約450mをだらだらと攻城するのは辛い事ですが、面白い構造だったので良しとしましょうか(爆)
←主郭手前の堀切 金井山城は、川中島城砦群の一つで、歴史は不詳であるが、寺尾城のすぐ北側に位置することから寺尾氏の支城と考えられている。寺尾城と同様に、尼巌城のある尼
« p r e v | h o m e | n e x t » |