らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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手子塚城(長野市)  

◆大倉城の出城とされる島津氏の城◆

毎日更新するという事は大変ですw(笑)

ものぐさ太郎が六日間の連続更新は奇跡に近い・・・。しかし連続性の無い記事は如何なものかと自問自答する(爆)

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北側の三の曲輪付近には諏訪社の石塔と手子塚城(てごづかじょう)の説明板がある


戦国時代、長沼と鳥居川流域を領有した島津氏による大倉城の出城といわれる。千曲川左岸の小丘上にあり、直下に古くからの渡し場があった。千曲川対岸の高梨氏勢力に備え、防御拠点として築いた城といわれる。

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城域の東側は断崖となっていて千曲川が流れる。渡し場はその先にあったのであろう。

第3次川中島の戦いで、葛山(かつらやま)城を攻略し、武田軍は北信濃に着々と手中に治めていった。その猛進撃により、弘治3年(1557)、島津月下斎[しまづげっかさい]は長沼城から大倉城へ退却したが、その際にも手子塚城が利用されたと考えられる。

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本郭跡に建つ諏訪神社。周囲を二の曲輪、三の曲輪が囲む輪郭式の縄張り。

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社の北側の二の曲輪。

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土塁が残る説明板付近

南側は二段に構えた広い郭があるが、畑で改変されてしまい何処までが城域だったか不明

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飯山口方面の監視も兼ねていたと思われるが、砦程度の作り。北側にV字の堀切りがあるというが、耕作地の窪みのどこまでを遺跡とみれるのか判断出来なかった。

≪手子塚城≫

場所:長野市豊野町蟹沢
標高:337m 比高:2m
築城:島津氏?
攻城日:2010年11月7日
お勧め度:★★☆☆☆
見どころ:土塁
その他:神社手前に駐車場。



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Posted on 2011/05/02 Mon. 22:31 [edit]

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コメント

NoTitle

v-10らんまる様、連日のご更新、ありがとうございます。

もう7年前になるのでしょうか、小生が、まだネット入門者にもかかわらず、城のサイトを立ち上げようとした頃に、とある知人にサイトを閲覧するポイントについて質問したところ、「毎日更新しているページ」と言っていました。
(もうその知人が誰かも忘れてしまいましたが…)


その言葉を胸に、できる限り更新ペースを維持してきたつもりでおります。

わたしのブログは3分もあれば更新できるので楽ですが、サイトの方はやはりある程度時間を要します。
それが、らんまる様の重厚なページであれば、論を待たずですね…

大変でしょうけれども、楽しみにしている読者がいると想って、できる限りのアップを今度もお願いいたします。

まさはれ #- | URL | 2011/05/03 21:56 * edit *

Re: まさはれさんへ

ご声援、ありがとうございますw

と云いつつ、横須賀~湯河原のGW旅行から本日帰還しました。
連日アップというよりは自然消滅する危機感と立ち向かう日々ではあります(笑)

写真を多用すれば記事でのフォローが減らせると目論んだのですが、それぞれの城跡への思い入れが強くてエイヤー(実際はエイヤーです)とは掲載出来ず「お気楽極楽攻城日記」になっていますが・・・(爆)

ご希望に添えていない場合は「そろそろ書けYO」とコメント願いますv-221

らんまる #- | URL | 2011/05/05 22:49 * edit *
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