らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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七五三掛城(小諸市)  

◆三位一体の小諸防衛戦線の城◆

七五三掛城(しめかけじょう または〆掛城とも表記)は鍋蓋城(小諸城の前身)の南の備えとして築城されたという。

築城時期や城主については不明であるが、小諸大井氏が中沢川の畔に築いた鍋蓋城と乙女城の南側に対する防禦施設だったというのが定説のようだ。

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墓地の駐車場から猪之丸(ししまる)方面。松井川が郭の手前を勢いよく流れる。

北側を松井川が浸食して西へ回り込むように渓谷を刻み、東側は浅間山台地特有の田切地形であり、南は千曲川を見下ろす断崖という天然の要害である。

七五三掛城は、七五三掛郭、物見郭、猪之丸という三郭から構成されていたと伝わり、猪之丸は現在小諸藩主牧野の廟所・旧藩墓地となっている。

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まるで牧野家一族の墓の博物館のようだ・・・

佐久や甲州に通じる街道の要所であったとされ、大井氏の時代に改修されたのであろう。

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物見郭と七五三掛郭の間は深い堀切で遮断。

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写真中央奥が七五三掛郭で右が物見郭。加工したかは定かで無いが、深く広い堀割りが縦横無尽に走っている。

残念ながら、攻城した時には七五三掛郭で畑作業が始まっていて郭を調査する事は出来なかった。

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城の西側を流れる松井川。

天文二十三年(1554)、武田軍の猛攻により鍋蓋城、乙女城は落城。七五三掛城も降伏したと思われる。

その後、武田信玄公は鍋蓋城と乙女城を整理統合し小諸城として小県郡攻略の足掛かりにしたという。

小諸城と隣接しているこの城も、出城として利用されたと思うが、定かではない。

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小諸市教育委員会による地形図

≪七五三掛城≫

標高650m 比高55m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市古城2 〆掛墓地周辺
攻城日:2011年4月21日 
お勧め度:★★☆☆☆
所要時間:-
見どころ:堀割、牧野氏の廟所など
参考出展元:定本佐久の城(郷土出版社)

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七五三掛城全景(千曲川方面の南崖下より)。開発で削り取られた崖が痛々しい。





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Posted on 2011/05/10 Tue. 22:39 [edit]

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