らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0831

天白城(上田市)  

★真田氏の詰め城★

こんばんは。
この地方は松茸の産地で有名なので、これから秋にかけて「ウカツ」に山に入ると松茸泥棒と間違われるので要注意です。

といっても地物の松茸が最近取れているのかはハナハダ疑問ではありますが・・(笑)

tenpaku01.jpg
天白城(てんぱくじょう)遠景
◆詰めの城とは?◆

戦国時代の豪族は、ふだんは平地に屋敷を構えて行政を行い、敵が攻めてくると山城に立てこもり敵を迎撃するというスタイルが主流でした。

「人は石垣、人は城」の名言?を残した武田信玄公でさえ、居館の躑躅ヶ崎館の裏山は「要害山城」(ようがいやまじょう)という立派な詰めの城がありました。

天白城
城の登り口の赤井神社にある名もなき戦士の墓

ふだん生活している居館はある程度の防御施設はあるものの、大軍で押し寄せられると突破されます。
なので、最終防御施設として山の上の城に立てこもる訳です。

天白城 (12)
本郭の後ろには天然の岩を利用した見事な堀切があります

籠城戦=負け戦という認識がありますが、実は攻める側が正攻法で攻めた場合、城に籠る兵力の4倍の兵力でも勝ちは難しいというのが歴史の真実です。
(なので、兵を損なわない為の兵糧戦や水攻めという城攻めの戦法が秀吉によって確立されました)

天白城 (20)
天白城からネットワークの山城を望む

この城が詰めの城と呼ばれるのは、真田氏居館の裏山であること、そして真田本城とは沢を挟んだ南の山に位置する標高の高い山中に築かれた事などがあげられます。

つまり真田氏の館が攻められて、真田本城に籠り、それでも防衛線を破られた場合の最後の拠点だったのでしょう。

常に最悪を想定した防衛線・・・真田氏はリスク管理のパイオニアかもしれませんネ。

尾引城 (4)
小豪族が生き残る術を賭けて構築したネットワークは感動ものです

お勧め度:★★
遺構:大堀切、高土塁、石積み
所要時間:赤井神社より20分の山登り
駐車場:ありませんので路駐は覚悟しましょう

スポンサーサイト

Posted on 2009/08/31 Mon. 22:55 [edit]

CM: 0
TB: 0

« 岩櫃城(東吾妻町)  |  洗馬城(上田市) »

コメント
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/14-6ccbf146
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top