らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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猿ヶ城(上田市)  

◆名前だけで遠慮したくなる城の攻防戦◆

宮坂武男先生が2500以上の城跡を訪問して心血注いで作成した「山城探訪記」をデジタル化して皆さんにご覧頂きたいというのが、らんまるの目標になりつつあります。

師匠曰く、”「鬼ヶ城」「猿ヶ城」と呼ばれる城跡”において、「県下の山城踏査の中で、敬遠したくなるような城跡がある。その代表的なのが「鬼ヶ城」あるいは「猿ヶ城」と呼ばれているもので、名前だけでも察しがつく。(中略)どこを見ても険しい山ばかりで、よくぞここまで辿り着けたものだと満足感はあったが、二度と行きたいとは思わない山である。」

師匠に一歩でも近づきたいなら、避けては通れない運命に立ち向かうしかありません・・・(笑)

今回トライしたのは上田市真田町入軽井沢(いりかるいざわ)の猿ヶ城。

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真田町から松代へ抜ける地蔵峠の手前で、真田町入軽井沢地区にある猿ヶ城遠景。

この城についてのWEBにおける訪問記は、地元の登山愛好家の1件のみで不完全な記載でした。

「WEB上では未公開の弥六城の攻城と併せて、いっちょ頑張るか・・・」(苦笑)

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目視出来る城ほど遠いのだ・・・宮坂先生は崖を避けて迂回するようにアドバイスしている。

猿ヶ城の入口には牛乳生産工場がある。以前仕事で取引先の本社工場に飾ってあった「猿ヶ城工場」の写真には戦慄を覚えたものだ。数年後の今日、この場所を登るとは夢にもおもわなんだ。

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牛乳工場の脇道を入り、矢坪鉱泉に向かう林道の途中を直登する。
ひたすら尾根を目指すが、恐ろしいほどの急斜面には往生する。

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林道沿いの変形したガードレールの先を直登する。登山道などある訳がない。

新緑が異常なスピードで山全体を覆っているので、尾根に辿り着く確証など無いのだ。

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時々聞こえる重低音の意味不明な音は、山を彷徨うらんまるには恐怖に感じる(汗)

久々に準備した地形図もコンパスも山中では何の役にも立たない。

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斜度40度近い斜面を直登するのは水の手城以来だ。
稜線がこんなに遠いと思いつつ、尾根にへばり付いただけでも奇跡に近い(笑)

目指す場所は標高930mなのに、1000mまで詰めてリバースするのも攻城戦では初めてかもしれない。
攻城開始から既に30分以上悪戦苦闘している。

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939mの三角点。実はここからが猿ヶ城の城域なのだ。

違う意味で興味深い城ですね。

戦国期の城は、徹底して人工的な手を加えたのに対して、この城は天然要害にプラスアルファの手を加えただけで終わっているんです。

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本郭(三角点のある場所)から二の曲輪へは天然の岩石が防禦を為す。

左右を深い崖で防衛する二の曲輪は「必死の広さ」だ。

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ある程度手の加えられた堀切。左右は奈落の底。

その先の三の曲輪は3人で満員状態(笑)「押したら危ないってば!」


さあ、最終の物見砦。


堀切などいらないのだが、尾根を深く断ち切っている。お見事!!!

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正直云うと足が竦んでしまい、何とか勇気を振り絞って撮影。

三角山の形状をした物見砦は、岩盤が脆くて命網でも無い限り登れそうに無いと判断。

その先の絶景を見る事は命の危険があり、猿だって登らないと思われた。

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物見砦にチャレンジした最後の画像。今思い出しても震えが止まらないほどの恐怖だけが残った。

片道45分の登山は別に珍しくもないのだが、猿ヶ城のネーミングは的を得ている。必死で挑むという事か。

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この後、攻城戦に及んだ対面にある弥六城もまた恐ろしい急勾配の山腹にあるとは思いもせなんだ。

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戦略図。極秘扱いなのだが、「俺の屍を越えて行け!」(笑)


≪猿ヶ城≫ (真田町入軽井沢)

標高939m 比高200m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市真田町入軽井沢矢坪
攻城日:2011年5月14日 
お勧め度:★★★★☆
所要時間:片道45分
見どころ:天然の堀切、展望
参考出展元:「図解山城探訪」

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たぶん、二度と登る事は無いと思うくらい辛かった。






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Posted on 2011/05/15 Sun. 05:47 [edit]

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コメント

NoTitle

らんまるさま、タイトルを観て、久しぶりに戦慄しました。

ついにパンドラの箱を開けたのですね・・・


「戦国期の城は、徹底して人工的な手を加えたのに対して、この城は天然要害にプラスアルファの手を加えただけで終わっているんです。」

武田氏系の「烽火山」と同じですね。苦労は多いが遺構は僅少。とても辛いですね(登頂の満足感は別格ですが)。

今後もこのシリーズが楽しみですv-7


しかし、本当に生死に関わる趣味になってしまいますね。

私はこちらで死の危機を垣間見ました。
高松薬師城
http://utsu02.fc2web.com/shiro549.html
帰路で道を喪失して崖をズルズルと落下、落ち葉の落ちた先は断崖絶壁の袋小路でした…。
あのまま奈落の底に落ちても、何ヶ月も発見されないでしょう…。


くれぐれもご注意下さいv-40



まさはれ #- | URL | 2011/05/15 20:49 * edit *

Re: まさはれさんへ

ご心配ありがとうございました。更新していれば生きているという事で・・・v-221

高所恐怖症の小生がこの場所に挑む事事態が無謀でした。
猿ヶ城の最終砦は岩肌の岩盤が脆くなっていて登ったが最後降りる事は不可能だったと思われます。
ヤバイ場所の攻防には、登山計画書を家人に提出するのが懸命ですね(笑)

前人未到の城跡はリスクが大きいし場所すら不明瞭なケースがほとんどです。
角間山の鬼ヶ城が次の課題ですが、鬼も猿も嫌いになりそうなこの頃です・・(爆)

らんまる #- | URL | 2011/05/15 22:49 * edit *

追伸

「こんな山奥の険しい山頂に堀切を打ってどうすんだ?」って城はたまに観ますけど、ここの城主さんもマジメに城設備を築いたんですね。

立地的には”古くから街道を監視する目的”というところですか?

昔の武士・農民は「当番制」でここに登らされたんでしょうね。

宮坂武男先生は、たしか、「こういった奥地の山城でも、当時の人々には意外に身近だったのかも知れない」と述べられていますが、「今日はうちの番だから、おとうさん行って来てくれ」なんて会話が中世の人々の中であったのかも知れないですな。v-205

まさはれ #- | URL | 2011/05/15 23:16 * edit *

Re: まさはれさんへ

まさはれさん、連コメ恐縮です。

恐らく当時はどの集落にも自主防衛の為の見張り台や逃げ込みの城があったのでしょうね。
この二つの城の先は地蔵峠。松代方面からの襲来に備えた砦だったと思われます。
山奥の痩せた土地でも、そこで暮らす人々にとってはかけがえのない故郷なんですねv-47

らんまる #- | URL | 2011/05/16 07:28 * edit *
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