らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0905

岩櫃城(東吾妻町)  

★真田氏の上州攻略の本拠地★

こんばんは。

池波正太郎先生の歴史小説「真田太平記」では、岩櫃城(いわびつじょう)で真田昌幸と草の者(忍者)の頭である壺谷又五郎が「地炉の間」で密談するシーンが幾度か登場します。

10年前に真田太平記の全12巻を読み終えた時、「どうしても訪ねたい城跡」の一つでした。

真田ゆかりの上州の城といえば沼田城や後北条氏征伐の発端となった名胡桃城(なぐるみじょう)が有名ですが、今回は真田幸隆が心血注いで奪取し、夢にまで見たこの城をご紹介します。

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↑えーまた熊なの?クマは勘弁です・・・ってか、こんな看板つけたら誰も見に来ないでしょ!(怒)
◆武田軍の上野国攻略司令官◆

当時の吾妻郡(あがつまぐん)は関東管領上杉氏の庇護を受けていた斎藤憲広が治めていましたが、勢力拡大を急ぐあまり、この地域の豪族の羽尾氏と鎌原氏(神川合戦で村上・諏訪・武田連合軍に敗れた海野氏と同族)の領地争いに介入し、鎌原氏は武田信玄に援護を求めます。

この事件の前には、お家再興の為上野国に逃れ上杉憲政の配下で箕輪城主の長野業正に身を寄せていた真田幸隆は、長野家を去り信玄配下の武将となっていました。
(真田も海野一族だった事は前にも触れましたよね)

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この城は険しい岩櫃山の中腹に斎藤氏が南北朝の争乱期以降に築城したと伝えられています

1561年信玄より岩櫃城攻略の命令を受けた真田幸隆は、城周辺の豪族や有力な武将に諜略を行い小規模な戦闘を繰り返すことで斎藤家を弱体化させていきます。
1563年、斎藤家の家臣の寝返り工作に成功した幸隆は僅か500の手兵で要害堅固を誇った岩櫃城を落城させます。(城主の斎藤憲行は越後へ逃亡)

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平沢地区よりの登り口。この場所の隣には天狗丸と呼ばれた出城があります

縄張図
竪堀と横堀を迷路のように組み合わせた特徴的な山城(武田時代にかなり改修されたと思われる)

岩櫃城が武田方に落ちたことで上野国に対する信玄の侵略は加速し、その2年後には難攻不落を誇っていた長野氏の箕輪城も落城します。(浪人時代の幸隆を庇護した恩人ですら滅ぼした彼の心中はいかに・・)その後、幸隆は箕輪城代も務め、武田譜代の家臣でも外様でありながら破格の待遇を受けます。

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中城と呼ばれる郭。結構な広さがあります

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二の郭の脇を走る螺旋状の竪掘。他に類を見ないこの城の特徴です

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ここに地炉の間があったんだろうか・・・

上杉謙信との領地の境である信濃と上州の抑えとしても彼は非凡な才能を発揮します。
しかし1574年、信玄が西上作戦途中で病没すると、その翌年に後を追うように砥石城で病没します。
(享年62才、ちなみに信玄は53才)

主従一心同体とはこの事なんですネ。美しすぎる師弟愛でございますw・・・・

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本郭跡より中之条市街地を望む

幸隆亡き後の真田家は信綱が家督を継ぎますが、1年後の長篠合戦で弟の昌輝と共に戦死。
武田勝頼に願い出て武藤家に養子となっていた三男の昌幸が真田家を継ぎます。

◆家名存続の為に主家筋である海野氏も謀殺◆

吾妻地方の豪族で岩櫃城攻略の際に武田氏に下った羽尾兄弟は、海野氏を名乗り真田家の家臣となります。
昌幸の指揮のもで沼田城奪取に戦功のあった羽尾兄弟は、兄の幸光が岩櫃城代、弟の輝幸が沼田城代に任ぜられます。

武田家の混乱のどさくさに紛れて海野家を再興しようと画策した輝幸は真田昌幸に真田家からの独立宣言文を送りつけますが、謀反を察知していた昌幸により謀殺されます。

そして兄の海野幸光もまたこの岩櫃城内で討ち取られます。

主家であろうが一族であろうが家名存続の為には手段を選ばないのは当時の常識です。

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この地域のハイキングコースとなっている岩櫃山にそんな歴史があるとは知る人も少ない・・・・・・  ってかそんなこと知らなくてもいいか・・・(笑)

沼田城や名胡桃城をめぐる上州の攻防戦の秘話はまた次の機会ということで。

休日の半日の時間をかけてブログを掲載しているのどうなんでしょ(爆)

攻城日:2009年3月21日(実は2回目)
お勧め度:★★★★★(個人的な見解)
みどころ:螺旋状の竪堀、堀切、土塁、本郭よりの景色
場所:群馬県東吾妻郡東吾妻町平沢 駐車場あり
所要時間:駐車場より本郭まで20分。歩道は良く整備されてます。ハイキング程度。
その他:近くに岩櫃城温泉やすらぎの湯という施設があり、模造天守閣がありますが無関係。



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Posted on 2009/09/05 Sat. 15:55 [edit]

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