らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0909

鎌原城(嬬恋村)  

★キャベツ畑に埋もれた城★

こんばんは。

らんまる家では10年以上仕えてきた犬が失踪してしまいました。捜索願いを出すも行方知れず。
新しい仕官先で元気に暮らしている事を願うばかりです。

長男は相模の国、長女は善光平で独立系武将として頑張っているみたいです。

先日、新参者が当家に仕官を願い出て許可されました。

ファーストネームは「JIJI」(●●の宅急便にも出演)、当家では「お江」・・・って真田太平記かい!
jiji 036
忍者の素質充分な目つきとカラーリングですが、生後一カ月の♀でござりまする、御贔屓に・・・
◆群馬県吾妻郡嬬恋村(つまごいむら)の名前の由来◆

 第12代景行天皇の皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の東征中に、海の神の怒りを静めるために愛妻「弟橘姫(おとたちばなひめ)」が海に身を投じました。その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)にお立ちになり、亡き妻を追慕のあまり「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)とお嘆きになって妻をいとおしまれたという故事にちなんで嬬恋村と名付けられました。
~嬬恋村の役場HPより~

素敵な村の名前だ!世の妻帯者の男子諸君!単なる同居人ではいけません・・・(笑)

kyabatu01.jpg
遠くに浅間山を望み、キャベツ畑が連続する嬬恋村鎌原(かんばら)

「こんな場所に真田家ゆかりの城があるの?」

らんまるも最近まで知りませんでしたが、信濃源氏の流れを汲む滋野一族である海野氏がこの地方に移り住み、木曽義仲の挙兵に加わりました。
しかし義仲が滅亡すると落ち武者となり名を捨て地元に戻ります。
やがて鎌倉幕府が成立し、草津に湯治に立ち寄った源頼朝から「鎌」の文字を拝領し「鎌原」(かんばら)を名乗ります。

鎌原氏が吾妻川の断崖に城を築いたのは鎌倉時代ともいわれています。

戦国時代になると東吾妻郡は、鎌原氏、羽根尾氏(この一族も海野氏)、湯本氏(草津方面)の3氏により統治されますが、お互いに領土拡大を企み三つ巴の争乱に発展していきます。

羽根尾城・鎌原城 044
地元のお婆さんに場所を教わったが、炎天下を30分彷徨っても城跡が見当たらない・・・

羽根尾氏との領土争いで武田信玄に調停を依頼するも羽根尾氏に攻められたため、城を捨てて武田氏の元に逃れます。(岩櫃城の記事で述べましたよね)

しかし僅か数ヶ月で羽根尾氏の隙をついて鎌原城を奪還すると、武田家臣の真田幸隆に従い羽根尾氏攻略に参加します。(その後武田配属の将となり、武田家滅亡後は真田家家臣になります)

羽根尾城・鎌原城 045
探索を諦めようとした時に城跡発見!嬉しかったなあ・・でもこの場所は城主代々の墓跡で大手口

羽根尾城・鎌原城 056
さらに奥に進むと堀切と土塁に囲まれた本郭?なる遺構を見つける

「あっ、トトロの映画に出てくるトンネルだ!この先にお宝が発見出来るかも??」

kyabetu02.jpg

「私は宇宙人ジョーンズ、ここなら仲間と交信出来るかもしれない・・・(笑)」

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城跡にTV中継局を立てる神経が分からない

その後、沼田藩真田家の家臣となった鎌原氏ですが1681年に沼田真田藩が改易(取り潰し)になるとこの地に戻り、大笹の関(幕府直轄の関所)の関守りとなり明治維新を迎えました。

羽根尾城・鎌原城 082
吾妻川から見た鎌原城遠景。なるほど、ここからみればキャベツ畑の城とは思えない・・(爆)

攻城日:2009.09・06
お勧め度:★★★
見どころ:土塁、堀切、歴代城主墓所、TV塔(?)、天然の崖
所要時間:途中から歩いて20分ぐらい(4WDの車高の高い車なら畑の奥まで行かれます)
難易度:場所さえわかれば、キャベツ泥棒に間違われないような服装でOK
住所:群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原 鬼押し出しハイウェイかんのん堂バス停を西に入る





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Posted on 2009/09/09 Wed. 21:52 [edit]

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